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企画展 水俣病を伝える
特別展のついでのつもりが、時間を取って見ることとなりました。
導入がよかったですね。
教科書、ビンゴ、私の世代でした。
今の教科書にはどう載っているのかなと気になりつつも。
まず、水俣の自然にグッと引き込まれます。
それを見る限り、過去にそんなことあったのかな、って思えてしまうほど。
自然の力強さと、それにかまけて忘れてしまう人の愚かさも感じつつ、だからこその語り部。
かつて、そこで何があったかを伝えることの大切さ。
しかし、その工場で働いていた家族を亡くした人にとっては、語りにくいのもまた事実。戦争でもそういったことがあったよなぁ、とも思いつつ。
いろんな立場の人があって、いろんな思いがあって、葛藤があり衝突もあり、けれど、伝えていくことの大切さ、その土地を知り慈しみ生きること。
街では欠けていること。
水源の問題が昨今言われるようになってますが、やはりしっかり守ること、維持していくこと、その重要性を水俣の自然から感じたり。
補償の問題とかは、正直、当事者でないとわからないものもあると思います。けれど、その方達の言葉に耳を傾けることは、2度とことを起こさないためにも、何度でも聞くべきなんじゃないかな、と。
私が小学校の頃は毎年夏休みが戦争と向き合う時間があって、懇々と話を聞いたり触れたりしたからか、なにがあっても戦争はすべきでない、という考えがあって、今もそれは間違ってはいないと思っています。
だって、もう、大事な人を殺されたり殺したりするのは絶対イヤですから。
柔軟に生きていたいと思います。
話しがずれましたが、当事者が語り部として生きていく辛さもあるんだな、ということ。それでも語ることにしたこと。
終わった話、とはせず、これからに活かすため伝え続け考え続けていく。
遠足かな、小学生たち、先生に先導されての素通りだったけれど、もう少し時間をかけたらいいのになぁ、とも思いつつ。
まぁ忙しいんでしょうね。なにかがあって観覧時間が減ってしまったのもあるのかも。
ババアには何も物申す権利はありませんが。
子供がもう少し大きくなっても、こういう展示はあって欲しいな、と思います。
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あ、特別展のお面たちも引き込まれましたね。
本当に、八百万の神々がいることを感じながら生きている人たちが多い国だな、とも。島国だとそうなりがちなのかな。
それもなんだか不思議な気がしますが。
芸の派生でもあるお面。儀式のためもあるお面。
お面といっても多種多様。
これが世界の、ってなるともう広すぎて収拾つかなくなるのかな。