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#4【難病と向き合う記録と記憶】 理想と現実の間で生まれた葛藤。告知以来はじめての衝突
大好きな母がALSの診断を受けて3ヶ月。
9月に鹿児島で会って以来2ヶ月ぶりに見る母は、もうずいぶんと話せなくなっていた。
ALSとは?
告知を受けて何を考えた?どう動いた?
これまでの記事はこちら。
今日は、11月に大阪へ帰省した際の出来事、病名を告知されて以来はじめて、母と娘が感情をぶつけ合ったことを書こうと思う。
この時は本当に苦しかったが、2週間経って気持ちも理解も追いつき、言葉にできる時が来たからだ。
病気がますます進行している
父からなんとくなくは聞いていたが、かなり進行している。
10月に胃ろう増設の手術を行い、経過観察を含めて2週間の入院をしたのだが、その間に随分と体力が落ちたり、話す機会が減ったりで、弱ってしまったらしい。
院内では筆談が主で、頑張って伝えようという気持ちも機会も叶わなかったのだ。
自宅へ戻ってからも、父との間で、間違いのないコミュニケーション手段として筆談が採用されていた。
母は声を出せるが、母音(あ・い・う・え・お)の区別がわかる程度。
「な・は行」はギリギリ聞き取れるが、特に「か・さ・た・ま・ら行」といった唇や舌を振るわせたりする行の発音の区別がつかない。
例えば「頭(あたま)」と言いたいところが「あはは(ま)」となる。文脈の中で理解できる言葉もあるが、2ヶ月前に比べてだいぶ難しくなっている。
筆談のメリットとデメリット
そんなわけで、書いて消せる電子メモパッドで会話をしていた。
電子メモもピンキリのようで、2種類を使い分けているようだ。
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私が感じた筆談のメリットとデメリット。
メリットは、誤解なく伝わる、ストレスなく伝わるところ。話し手も聞き手も楽にコミュニケーションが取れる。
デメリットは、時間差があることと、感情が伝わりづらいところ。
こちらが話すことは全部わかるので、それを聞いた母が書くのを待って、見せてもらって会話が繋がる。電子メモに書ける文字数は限られているので、1文や2文、時間にすればたった何秒のことだが、一呼吸おいて返事を受け取る。
会話における言葉は、感情や表情が伴ってこその言葉なのだと痛感する。
無表情で「ありがとう」と言われても全くありがたみを感じないのと同じで、電子メモに書かれた言葉を、どんな感情や表情で母が発したのか分からなければ、ただの文字。
これはあくまでも聞き手である私からの目線でしかないが、母はどのように感じているのだろう。
訪問看護で話されたこと
今回、訪問看護の時間に立ち合わせてもらった。
母の体調変化についてのヒアリング、胃ろうや服薬の様子、リハビリのことなど30分ほど話をした。胃ろうの箇所も確認をし、「綺麗に使えていますね」と言ってもらえた。さすが器用な父と母である。
母はまだ手足に症状が出ていないので、日常生活はほぼ問題なく自分でできる。在宅介護とはいえ、医療的な支援も介護の支援もあまり必要ないので、予定に組まれているのは2週間に1度の訪問看護の時間と、リハビリくらいだ。
このリハビリがなかなか難しい。
退院後も週1回くらいで予定が組まれているそうだが、足が遠のいている。
なぜかというと、嚥下障害のリハビリができる施設が家から遠く、電車や徒歩で1時間近くかかるそうで、気が向かないとのこと。手足が動くと言っても77歳の難病患者にとって1時間の通いはなかなか厳しいだろう。
もう1つの理由は、1時間ほどのリハビリのうち、体調や症状のヒアリングに時間がかかり、発音練習に取り組む時間は半分以下だと言う。
聞いた話で私が実際に見たわけではないので、そういうものなのか、母の場合がそうなのか、その施設がそうなのか、何が正解は分からない。
ただ、母にとっては、時間をかけて通っても、あまり手応えを感じられないリハビリに対して頑張る気力が湧かないようだ。
訪問看護師さんは、気分が乗らないのに無理やり行ってもしんどいでしょうから、負担にならない程度でいいんじゃないでしょうか、と言った。
最終的に、気分転換や運動を兼ねて週1回は頑張って通ってみるということになった。
何のためのリハビリか
リハビリテーションについて調べてみた。
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何となく、怪我からの回復や日常生活への復帰のためにトレーニングすること、のように捉えていたが、もっと深い意味合いがあるようだ。
母の場合、治療法がないと言われる難病に対するリハビリなので、回復や復帰というよりは、現状維持や進行遅延のための取り組みである。
つまり、リハビリを頑張っても症状が良くなるわけではないので、「頑張った分だけ良くなった」と実感することもないし、何を目標にして取り組めばいいかが分からない、というのが本音かもしれない、と想像する。
ただ、何もしなければ筋肉の衰えは進んでいく。確実に。
現に、入院中に話す機会を奪われ筆談に移行したがために(それだけが理由ではないだろうが、大きな理由の1つと思われる)、話す力が弱くなってしまった。
娘としては、母の言葉を母の声で聞いてコミュニケーションしたいと思う。母音しか話せなくても、少しでも長く会話できればと願っている。
リハビリに通う以外に、家で練習するメニューももらっているというので見せてもらった。
アナウンサーが最初に取り組むような「あえいうえおあお、かけきくけこかこ・・・」を母と一緒に練習してみた。
「あ・え・い・う・え・お・あ・お」
一音ずつ、全身を使って声を絞り出す。
「か・け・き・く・・・ゴホゴホ」
顔を真っ赤にして咳き込む母。
父が「お母さん、ものすごくしんどいんよ」と言った。
そうか、肺機能も低下しているから言葉を発する時の呼吸も負担になるのか。これでは何十分も練習できないなと思った。
苦しい思いはして欲しくないけれど、機能低下を少しでも遅らせるために頑張ってほしい。私も葛藤しているが、母も父も葛藤しているに違いない。
「やりたいこと」を問われる苦しみ
何のためのリハビリか?についての答え。
少しでも会話ができれば、外出もしやすいし、友達とも会いやすくなる。
あれだけ社交的だった母が家に籠っているのをみると、母らしさが奪われているようでとても悲しい。何か目標があれば、やる気になるかもしれない。
そう考えた私は、思い切って母に尋ねてみた。
結果的にはこの問いが大きな間違いだったことに気づく。
***
私「やりたいこと、ないの?お友達とお出かけできるのはどう?」
母(筆談)「ランチに行っても食べられないし、みんな気を使うし。」
私「お母さんが食べられなくても、みんなは事情を知っていて、それでもお母さんと一緒にお出かけしたいと思ってくれる人なら、遠慮しなくてもいいんじゃないの?」
母(筆談)「せっかくランチに行くのに、それじゃ、つまらないでしょ。話にもついていけないし。」
私「その場を一緒に過ごすことに、楽しさを感じてくれるお友達だろうから、聞こえてくる話を、うんうんって聞いてるだけでもいいんじゃないの?」
母「・・・」
私「もしリハビリに取り組むことで少しでも話せたら、そういう場にもまた行きたいな、って思わない?」
母(筆談)「・・・頑張れっていうの?」
私「頑張れっていうわけじゃないけど、やりたいことを、どうやって楽しむかを考えた時に、1つの方法だと思うねん。」
母(筆談)「・・・あんたは、病気のことわかってないわ。」
***
この一言に、胸を撃ち抜かれた。
返す言葉がなかった。
会話は終了。私の気持ちも終了した。
2人のコミュニケーションのストレスを見て、こんなのはどうか?あんなのはどうか?と父にもいろいろ提案をしていたが、父からも「それは理想論や。」と言われていた。
いろんな機能が失われてできないことが増えていく現実。いつ呼吸が止まるかも分からない。生きるのも必死。そんな中で「やりたいこと」なんて考えられない。それも現実。
じゃあ、
理想や希望を語る以外に、何を信じて過ごしていけばいいのか。
どこにもぶつけようのない怒りと悲しみが湧く。
これは果たして娘のエゴなのか。
普段近くにいない分、父と母を見て感じることから何かサポートできることがあればと思っての関わりが、ことごとく失敗に終わった。
母と父の思いのままに任せる勇気
もともと頑固で、自分のやり方への正義が強い父。
今年で結婚50年を迎えた夫婦の絆は、たとえ血のつながった娘でも、越えることはできないのだと知った。
母の病気が分かった時、何人かに相談をして思ったことがあった。
「父が後悔のないよう母のお世話をできればいい」と。
50年連れ添ってきた夫婦、そして今も一緒に暮らしているのだから当然のことだ。
しかし実際は、81歳の父が 「お母さんをお世話できるのは僕しかいない!」と息巻いて介護疲れや体調を崩すなどしたら、共倒れになってしまう恐れもある。父は数年前に救急車で運ばれた実績もあり、生真面目さが心身に影響しないか常に心配なのだ。
「・・・あんたは、病気のことわかってないわ。」と言われ、
「それは理想論や。」と言われても、娘の立場で考えていることもあるのだ。
せめてそこは汲んでほしいと思う。
鹿児島に帰ってきて夫と話したり、マイコーチと話したりして、心の整理と方針が固まった。
母と父の好きなようにさせよう。
もし何かあってSOSが来たらすぐに動けるように、私自身が健康でいることと仕事のスケジュールを円滑に回すことに注力しよう。
ようやくそう思えるようになり、このブログを書いている。
ちなみに夫は「ケンカできるくらい元気でよかった。」と、あっけらかんと言った。思いもしない感想だった。
執着を手放す
今になって感じることだが、この一連の出来事は、母への執着を和らげる機会だったのかもしれない。
大好きな母への愛が執着になり、傷つけてしまった。大きな学び。
「私にできることがあれば…」と願うことは悪いことじゃない。
ただ、それをどう体現するか、しないか、は私の選択だ。
心の距離と関わりの距離を置くことで、これから起こり得ることへの免疫ができるのではないかと期待している。
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