#3【難病と向き合う記録と記憶】 この両親の子どもで良かったと心から思えた家族写真
大好きな母がALSの診断を受けて2ヶ月。
まだ2ヶ月か、というのが正直な感想だ。
ALSとは?
告知を受けて何を考えた?どう動いた?
これまでの記事はこちら。
今日は、余命を告げられた母とやりたかったことの1つを叶えた話。
9月上旬、まだ太陽がはげしく照りつける鹿児島での思い出。
そうだ、写真を撮ろう
思えば我が家は、私が子どもの頃から写真好きな家族だった。
特に父が記録に残すのが好きで、アルバムや写真、ビデオなど今でも山のような素材が実家に眠っている。
そんな家に育ったものだから、私もいろいろとポーズを決めてみたり、どこかへ出かけては写真を撮り、もちろん撮られるのも好きで、そのまま大人になった。
今でも実家に帰れば家族で写真を撮り、両親が二人で出かけた先でも写真を撮り。そのデータをどうするわけでもなく、思い出が蓄積されていく。
母のことを聞いて考えたこと、一緒にやりたいと思ったことの一つに家族写真の撮影があった。
ALSの進行は速い。そして治ることはない。とすれば、今が一番若い時(よく聞くフレーズ)であることは確かだ。両親と私、そして夫が揃う機会をフレームに収めておきたいと思った。
父の作品展がきっかけに
夏から鹿児島で開催していた父の作品展閉幕にあわせて、父が鹿児島に来ることになっていた。もう最後かもしれないから、ということで母も一緒に来てくれることになった。
現在81歳の父は、70を過ぎてから水彩画を習い始め、今では人様から「買いたい」と言ってもらえる作品を描けるようになった。
そもそも彼が水彩画家TAKAとしてデビューするきっかけはこちらのブログをご覧いただきたい。
両親と夫が会うのも久しぶりで、4人揃うのは5−6年ぶりかもしれない。
この機会にプロにお願いして写真を撮ってもらいたいと思った。
撮影は、鹿児島で「ほっとグラファー」の愛称で親しまれる山口浩一さんにお願いした。彼自身、若い頃に奥様を亡くしていて、写真に残る思い出がどれだけ大切なものかを知っている人。即決だった。
http://www.smile-studio.jp/(有限会社スマイルプラン)
義理の両親も鹿児島へ
ここからは予期せぬ出来事である。
撮影予定日の3日前、義理の両親から連絡があり鹿児島へ来たいとのこと。
関東から鹿児島へのフライトは便もたくさんあるとはいえ、3日前にすべてを手配するとは、なかなかのスピード感。
私のスケジュールともにらめっこしながら、アテンドできるスケジュールを組み、フライトとホテルを手配した。ふぅ。
この時は「なんということでしょう!」とやや混乱していたし、私の両親も恐縮していたが、今となっては本当に良かったと思っている。思い切って鹿児島に来ることを提案してくれた義理の両親にも感謝だ。
予期せず、両家が揃うことになった。結婚式以来なので16年ぶり。
最初で最後になるかもしれない6人そろっての写真撮影。さあどうなるか。
桜島に見守られながら
当日はあいにくの曇り空。なんとか雨は降りませんように、と願いながら撮影の時を迎えた。
父と私は撮るのも撮られるのも慣れているので問題ないが、母と、義理の両親の表情がそれはそれは固かった。
カメラマンさんの和やかな雰囲気と鹿児島弁の声かけで、慣れないポージングも交えながら、次々とシャッターが切られていく。4人で、6人で、2人で、1人で。せっかくなのでいろんなパターンで撮影してもらった。
場所を変えての撮影で、ようやく太陽の光が射してきた。母も少し緊張が解けてきたのか、なかなかの表情やポーズでカメラの前に堂々と立っている。
母の自作の和装をリメイクしたベストがとても似合っている。何も言わなければ病気を患っているなんて誰も思わない。
この瞬間を心に、記録に、残せておけて良かったと心から思った。
たぶん一生忘れない鹿児島での1日
撮影も無事終わり、義理の両親は関東へ。父と母は翌日の作品展閉幕を終えてから大阪へ帰った。
新幹線で片道4時間。2泊3日の旅は母にとって体の負担は大きかったかもしれないが、両家が揃うこともでき、父の作品展にも同席でき、絵を観にきてくれた私の友人にも会えたことで、「今」を体感してもらえたのではないか。
鹿児島に住んで16年と半年。日数にすると6000日くらい。
これまでの数々の出来事も思い出も忘れられない大切な喜怒哀楽ではあるが、この1日のことは別次元で私の中にストックされる思い出だ。
この親でよかった、この両親の子どもでよかった、この家族でよかった。
そんなシンプルなことを、この1日に感じられたから。
後悔のない人生を過ごすには
まだまだ母と一緒にやりたいことはある。
しかし、これを書いている10月中旬現在、母は胃ろう増設手術をしてまだ入院中であり、退院後にどれだけ何ができるのか分からない状況だ。
胃ろうを増設すれば、口から食べられなくても栄養や薬を摂取できて元気になると思っていたが、そもそも胃に穴を開けているのだから身体へのダメージは大きい。
その観点がうっかり抜けていた。
今は何をどれだけ一緒にできるか分からないが、少なくとも私がこうして、母と過ごせる時間について思いを馳せるだけでも、母にエネルギーを送れるような気がしている。
写真の中で恥ずかしそうに笑みをつくる母はとても愛おしい。
きっと母も、私が子どもの頃には父が撮った写真を、同じ気持ちで眺めていたに違いない。
後悔のない人生を過ごすにはどうすればいいか。
誰にでも後悔はあるし、後悔があるからエネルギーや喜びも湧くのだから、実は後悔だらけでも良いのかもしれない。
「いつか」は突然やってくる。
その「いつか」がいつやってきても良いように、当然のように訪れると思っている毎日を、まるで最初で最後の1日のように味わうことができれば、後悔はないはずだ。
母が私に教えてくれていることを、精一杯、体現していく。