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20代からの隠居生活。身軽に自由に生きていく。#3「村上春樹からの学び編」

時系列に沿って、端的に、順序立てて話す。

これらは私が最も苦手とする分野である。

どうやら私の人生に、時系列や順番というものは存在しないらしい。

だからその時思いついたことを、思いつくままに文章を書いていくことになると思うが、どうかお許しいただきたい。

正直いってインスタも、すごくすごく難しいと思っている。

載せたい写真に合わせて文章を作るというやり方がどうも私には合わない。(と最近気付いた)

写真→文章という順番で投稿を作ろうとすると、いつも思考停止になる。

何が言いたいのかというと、私は根っからのしゃべりたがりなのだ。

たくさんのしゃべりたいことが思いつく。
突拍子もなく急に思いつく。
だから一人でずーっとしゃべり続けられるYouTubeがかなり合っている。

インスタやnoteではどれほど文章を読まれるのか分からないが、たった1人でも読んでくれる人がいるのなら、私はこの上なく嬉しい。


そもそもこのようにラフに文章が書けるようになったのは、村上春樹の本を読むようになったお陰である。

彼の文章はもちろん秀逸だし、何かしら読者を惹きつける不思議な力をもっている。

だけど、書いている内容は正直いって、
「え?こんなくだらないことも書いちゃっていいの??」と思うものも多い。(とてもいい意味で。)

特に『村上春樹 雑文集』という本を読んだ時は衝撃だった。

彼自身も、「この文章の意味を聞かれても困る」と語っている。
自分でも何の意味も見出せないことについて、
(世間的にしょうもないと思われることについて)真剣に考えて語っているのである。

ただ一つ彼が断言していることとして、「この文章を書く時、とにかく楽しかった」ということだ。

誰かに気付きを与えるわけでもなければ、
学びも教訓もない。
次にも繋がるわけでもないし、(なんなら雑誌の編集者にボツにされたらしい)
自分でも意味がわからない。

だけどその時、僕は楽しく書いた。
それでいいじゃないか。と語っている。


そんな彼の飾り気のないごく自然体な文章に、
私の心はどれだけ救われたことだろう。

意味なんて、どこで見出されるか分からない。
意味なんて、自分で決めることじゃないのかもしれない。

どんなすごいことをするかとか、
どんなやり方で、
何をするのか以上に、

"どんなエネルギーでやったのか"の方が
よっぽど大事なような気がする。


島原での1日はとても長く感じられる。
だからここでは、村上春樹の本をひたすらに読み耽ろうと思う。

今回も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また次回もお会いしましょう。

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