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マイノリティ?その未来は〜統合失調症患者家族、自死遺族だと話してこなかった私の恋愛・結婚編
まずここでも書いている通り、私の兄は統合失調症から自死したので、私は精神疾患患者家族、自死遺族になるのだと思うのですが
今まで特にそこをオープンにしてこなかったんです。
断片的に友人に話したりしたことはありますが、こんなにオープンに色々語っているのはnoteが初めてです。
もう兄が死んだ歳の倍以上生きてやっと俯瞰して見ることができる気もするし、
きっと統合失調症患者(精神疾患)の家族、自死遺族ということを私自身が意識していて、恋愛にも消極的になっていたこともあるなと感じるので、ここに書いておこうかなと思いました。
私はこの春に離婚しているのですが、
元夫とは高校3年生から付き合っていて、紆余曲折あった後結婚しました。
元夫とは高校2年生の時に同じクラスで、その夏に兄が亡くなりました。
兄が亡くなった時は、中学から付き合っていた他校の彼がいてその彼と兄は同じ高校でした。
兄は高校生になってから統合失調症と診断され、入退院を繰り返していたのですが、
高校に通えた時にも、薬の副作用で手が震えたりしていてテストに記入ができなかったと泣いていたこともありました。
兄が死んだ時、私は精神的にいっぱいいっぱいで…それでも家族の前ではできることをしないとと頑張っていたように思います。
そんな時に当時付き合っていた彼から、
「…頑張れよ。」
と言われて、
「これ以上何を頑張ればいいのーーー!」
とハッと気づいた時には泣き叫んでいました。
当時の彼には今でも申し訳なかったなと感じます。
かける言葉に迷ったはずです…
振り絞ってかけた言葉に泣き叫ばれたら、ね。
その後その彼とはお別れしました。
別れた後も兄や私を気にかけてくれていた当時の彼には、今も感謝しかありません。
その後高3になった私は、心身共に疲れていて、人生で一番痩せ肩には霊でものってるんじゃないかと思うくらいいつもだるくて、金縛りや悪夢に悩まされる毎日でした。
兄が首を吊っている夢を見たこともありました。
夢の中で夢を見て、またそれも夢だった…起きれないなんて夢もよく見ていました。
それでも学校に行けば、変わらず友達は接してくれる…
それが私の救いで、家に帰った時の張り詰めた気持ちを緩ませてくれました。
それまでと変わらない生活を送れることは私にとって、自分を保つために大切なことだったのだと思います。
だから、友人には「どうしてそんなに笑顔でいられるの?」と涙目で心配されることもあって、それでも私は精一杯なので、その一言で、あぁ私笑えてるんだ…と気づくような感じでした。
そんな私のもとに、ほぼ毎日他のクラスからやってきて、男友達や私たち女子と何でもない話で笑わせてくれたのが元夫でした。
明らかに私のこと好きなんだなと分かる感じで、気にしてくれているんですね。笑
嘘がない元夫はとってもわかりやすくて、どちらかと言えばイジられるタイプ
ちょっと関西人の血が入っている元夫はノリも良くて、イジられても軽いノリで返す感じ
そんな元夫も悩みはあって、当時スポセンで大学受験をするか普通で行くか…その道をある程度極めたからこその悩みがあったようで、
そんな話も少し聞くようになっていました。
毎日メールのやりとりをするようになって、いつしか付き合うように
元夫には何でも話ができて、たくさん泣いて
不安定な私もさらけ出すことができて…
それが実際にできたのは私にとって元夫だけだったのかもしれません。
大人になっても子どものように泣きたい時ってあると思うんです。
泣いて泣いて…もう涙も出ないってほど泣いてスッキリした後に見える景色の鮮やかさや、そんな自分がその後どう前向きなエネルギーを発揮することができるかを知ることができたのは、紛れもなく元夫のお陰です。
そう言えばいつもこう言われました。
「chachiはいつもアドバイスなんていらないね。スッキリしたら自分で答えを見つけるから。」
そうして元夫に支えられながら、私は兄に教えてもらったことを大切にその後の人生を生きようとしてこれました。
それでも、元夫との結婚は諦めないと…と思っていた時がありました。
これは感覚的にしか今でも言えないのですが、どうしても結婚するには致命的だと感じる部分がありました。
それはどうしようもないと感じる部分で
私は結婚を考えた時にとても葛藤して、他の人を探さないとと思っていました。
ただ、私は結局元夫から離れられなかった…
だって私は、元夫にしか兄のことを1から10まで話せていないんです。
元夫とは紆余曲折、何度か離れて他の人を好きになったこともありました。
それでも常に不安に思って話せなかったのが、兄のこと
兄の死をどうやって話せばいいんだろう…
話して引かれないだろうか
統合失調症
精神疾患の患者の家族
自死遺族
兄に起きたことを私がどれほど苦しんで生きてきたか
それでも…と兄から教えてもらったことを大切にしてきたから今の私があるということ
そこを話せずにいて、何だか自分で空回りしてうまくいかない恋愛が続いたような気もしています…
例えば
兄は家のベランダから2回落ちています。
それも幻聴、幻覚があってその先に行ったら落ちていたと…
そして救急車でその度に運ばれました。
CDショップで、自分の意思に反して気づいたらCDを持ってきてしまっていたと玄関で泣いていたこともありました。
その後、お店に返しに行き土下座して泣いたと…
部屋に日本刀を持って部屋に立てこもってしまったこともあります。
当時、戦死した兵隊さんの刀が、家の仏間にしまってあったのです。もちろんちゃんと自宅保管できるように登録済みで。
それをいつの間にか兄が持ち出し部屋に持っていってしまいました。
誰かを傷つける目的ではなくて、
兄ではない侍のような他の人格が出てきていた感じで…
最終的に人格の変わった兄を救急隊の方が説得してくださったのですが、
その時のことを兄は覚えていませんでした。
もちろんその後、刀はお寺に納めて今後同じようなことが起きないようにしました…
当時、どこにでもいるような高校生を謳歌していた高2の私にとって、兄に起きたこうした不可解なことは
どうしてもすんなり受け入れることができることではなかったんですね。
兄がベランダから落ちた時には
自分が少し乖離する感覚さえ覚え
どこか遠くからその風景を眺めているような自分がいました。
そうでもしないと自分自身を保てなかったのかもしれません…
そうした乖離した感覚に、その後しばらく悩まさせることにもなりました。
PTSDの症状が出ていたのだと思います。
さらに当時はあまり深く考えず、おじいちゃんの遺伝かなと思っていたけれど、
妊娠したらほとんどなくなったので、あれ?もしかして苦労してたのか私?そっちのだった?と我ながら呑気に思ったのだけど、
大学に行った後に、私の頭は白髪がかなり増えて、白髪染めをしないといけないほどになっていました。
そんな兄の状況や私の状況を全て話しても離れず、優しく受け止めてくれたのが
元夫でした。
それらを乗り越えて今があることを、私は恋愛に関しては特に元夫にしかうまく伝えることができずにいました。
元夫とは大学も同じ関西方面
私は兵庫の大学寮で、元夫は大阪の親族の家に下宿していました。
私の門限が21時だったので、それまでにほぼ毎回、元夫は私を寮まで送り届けてくれました。
何でも安心してさらけだして泣いたり甘えることもできるのは、やっぱり当時は元夫しかいなかったんですね。
それでも…離れなきゃいけない。
結婚前、私は何故かそう思っていました。
夫と別れて少し恋愛をしたものの撃沈し、
やはり私には彼しかいないと最終的に感じました。
それでも、私にとって離れなきゃならないという直感は、結婚してやっぱり…とどんどん現実となっていった感覚でした。
そういえば後日、母から聞いて、もっと早く言って…と思わず言ってしまったウソのようなエピソードがあります。
ある時、用事があってみんなで他県に1泊することになり、ペットを預かってくれる方に愛犬を頼んだことがあったのですね。
その方がどうやらペットの気持ちがわかる方?だったそうで、
その方が当時、子どもを亡くしてまだ憔悴していた母に、大丈夫ですか?と声をかけてくれたそう。
その時に私の話も出たそうで、今付き合っている方とは結婚しても難しいと思うと言われていたそう…
離婚する時に初めてその話を母から聞かされて
え“ーーー!
思わず私は言いました。
それ私の直感もだったんだけど…
さらにはまたウソのような話ですが、
そのペットの気持ちがわかる方が、娘さんはガタイのいい人と同じ職場で机を並べて楽しそうにしてるのが見えるからそっちだと思うんだけど…ということをお話しされたそう
え“ーーーーー!
とまた私は言いました。
どうしてかというと、なぜかそのイメージ?も母から聞かされる前から、私の頭の中から離れない光景だったのです…
なんだこの感覚?
というのは今でもよく分からないし、それ以上考えることもないのだけど、昔から割と直感が当たってきたタイプではあったのかな?
と思いつつ、ウソのような話はここで終わって本題に戻りますね。
元夫とは結婚できない…その直感の先に結婚を選んだ訳は
やはり元夫以上に、自分をさらけだせる相手なんてもういないと思い込んだからだと思います。
あの時は実際にそうで、自分で体感した出来事で人にはなかなか言えない部分を
この人には言えるんだろうか?
こんな私でも受け入れてもらえるんだろうか?
重いって思われるんじゃないか?
統合失調症を誤解して引かれないだろうか?
そんなことが心の奥底で引っかかって、どうしてもどこか心に蓋をしながら恋愛していたような気がします。
これって、今思うと私の最大の傷だったなと思います。
マイノリティになったと感じた私のなかなか人に話せない傷…
そういえば兄が亡くなった時にも、親戚に言われたことがありました。
結婚に響くこともあるかもしれないね…と
そういうものなのかな?と高校生の私は、そうした言葉も自分の中にそっとしまい込んで、恋愛する度に思い出していたのですね。
今こうして初めて、兄が亡くなって感じた傷や私が思い込んで抜け出せずにいた部分を書いているのは、
もう、そんな風に思っていたことも私の一部だったなと思えるし、
これを話して離れていく相手ならばそれで仕方ない!(否定してる訳ではなくて、そんな考えもあるし、それでいいんだよねと思える感じ)
と思えるから
そして統合失調症患者の家族、自死遺族として
私が1人で抱えてそれでも抱えきれなかった部分を
元夫に支えてもらっていて…
そこに感謝しつつ、そろそろ手放しながら
もっと私らしく生きていきたいなと思うから
そんな風にマイノリティだと感じて傷を負って
一歩踏み出せなかった私がいたから…
今なら、そんな私だからきっとそんな悩みにも寄り添えるのかもと思えるし
やはり兄にはいろんなことを教えてもらったなと最後には思います。
さらにはここで、こうして突然語る私の話を聞いてくださる皆さんに心から感謝します!!(夜中に突然失礼しました…)
私らしくもっと楽しみながら
たまにこうして兄のことやその時の自分のことを語りながら
誰かの心にもそっと寄り添えたらいいな…
そんなことを今は思います。
そして私の目先の目標は、
・息子に、ママいつも楽しそうだね!と言われるくらい好きなことをして生きる
・父の年収を超えて母と安心して老後を謳歌してもらう(無謀だけど…本気w)
・できたら大切なパートナーと過ごしながら上記を実現させる!!!
とりあえず叶えたい夢は宣言して、ひたすらコツコツ頑張ることにしたいと思います!
いつマイノリティになるかわからないと兄を亡くした当時の私は感じたし、
そこから学んだことって本当にたくさんあると思います。
もちろん苦しいですが…それだから寄り添えることってあるのかな?
今の私だから発信できることもあるのかな?と
今日は今後のためにも過去の恋愛や結婚を振り返ってみました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ここでも宣言したし、あとはひたすらコツコツ頑張りますw
ちなみに私は息子を寝かしつけて寝落ちして、変な時間に起きてしまい
作業中の休憩noteでした♪
それではみなさま、どうぞ良い夢を🌛おやすみなさい★(あ、おはようございますでしょうか🤗)
本当に、最後まで読んでくださりありがとうございました🙌
良い連休をお過ごしください🌈
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