自分の感覚には責任を持っている

物の価値を決めるというのは、いつだって重大なプレッシャーがかかる。
茶師という仕事を継いでからというもの、茶を見ては評価し味を見ては評価し、香りを嗅いでは評価して、価値を判断してきた。
もちろん、最初から判断を任されていたわけではない。父の仕事を見ながら、自分には到底できない仕事の一つだと思っていた。そのお茶を買わない選択をすることで、そのあと「買っておけばよかった」と後悔したり、「こんなに良いお茶を作ったのに買わないなんて」と農家さんが悲しむことを考えてしまったり、自分には重い思考がどんどん湧いてくるからだった。
今は、自分がそのお茶を買わなかったからといって廃棄になるようなことは無いということは重々承知しているし、選ばれなかったお茶はまた誰かの目について最終的には買われていくという茶業の形を理解しているから、ある程度は安心してお茶を拝見している。それでも、重大なプレッシャーがかかっていることに変わりはない。

品種、外観、味、香を見て率直な意見を言う。生産者や産地などの情報はお茶を選ぶにあたって関係ない。あくまでも、そのお茶が自分や自分のお客様にとって「よい」か「わるい」で選ぶ。選ぶことに関しては関係ないが、知っている方やお会いした方のお茶を見ることになると緊張感が高まる。
その後のことを想像してしまうのは、たぶん自分の悪い癖なんだろうと思う。どんなに技術の高い生産者でも、毎年高品質かもしれないが、自分の求めるものでなかった場合は選ばない。厳しい目で見ているからこそ、選ばなかったときはかなり苦しむことになる。
しかし、ここで後悔はしてはならない。自信をもって選ばない選択をしていると自分に言い聞かせる。毎年、自分のブレンドするお茶を待っているお客様がいる。その皆様に最高においしいお茶をお届けすることが仕事なのだから、ここでブレてはいけない。そして同時に選ばなかったお茶に対しても責任を持つ。自分が選んだお茶だからこそ、最高のブレンドができるのだということを証明する義務がある。

自分が「美味しい」と思うものは、「美味しい」ものでなくてはならない。自分が選んだお茶だから美味しい。自分がブレンドしたからお茶だから美味しい。自分がそう評価したのなら、驕りでもなく傲慢でもなく、そう言えるだけの責任感を持って仕事をしなければならない。そして、今ではそのように思えるようになりつつあると自分自身を見てそう思う。
お茶は嗜好品であり、誰もが自由に好みを追求していい世界だし、それを否定してはいけない。だからこそ、自分のつくるものくらいはだれにも負けない「美味しいものである」ということを自信をもって発信していく必要がある。
お茶を売るということは、年々厳しさを増していると肌で感じる。
自分のつくるものが、いま求められているスタイルなのかはわからない不安はあるが、それでも今のつくりに心血を注いで、こだわってこだわって自分たちの「おいしい」を表現し、人に伝えられたらいいなと思う。



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