【エッセイ】2023年、とにかく自己肯定感が低すぎたな?

クリスマスイブの日に、一人で買い物をした。
アウターと、リップと、靴下三枚を買った。
服を買うのは半年以上ぶりだった。

翌日、クローゼットを見ると、昨日買ったアウターがかかっている。お気に入りの色柄が見える。

胸が踊った。
その時思った。
「これでいいんだ」と。


私はこの一年、この世の全てのものを、無意味で無価値だと思って過ごしてきたのかもしれない。

例えば恋愛。ときめきなどどうせ半年もすれば消える。それに成就しなければショックが大きい。他人に振り回されたくない。
例えば就活。社会に出るのにそんなに媚びて馬鹿らしい。職に就けたとしても死んだ目で過ごす未来しか見えない。
例えばお洒落。見た目を着飾って何になる? 中身がこんな怠惰な汚泥では自分の心情とつり合わない。最低限清潔であれば十分だ。

例えを挙げればきりがない。季節の行事もどうでもよかった。わざわざ人混みの中に行くのが嫌だし、行事に合わせて何か買って、金が飛ぶのもアホらしかった。
それから小説、漫画、アニメなどの創作物。いや、この世に製品として売られるもの全般。これらは所詮、消費者に売れるだろうと目論んで作り出されたもの。受け手に気に入られるように試行錯誤したもの。人々はその計略を見ないふりしてまんまと策略に踊らされているだけ。なんて滑稽! 現金! 気色悪い!

……とまあ、この一年で思っていたことを挙げてみた。
我ながら人生楽しくなさそうだ。実際、楽しくないどころか、肌を撫でる空気すら痛かった。毎日死にたいと思っていた。

全てのものが無意味で無価値。当然、自分もそうだった。

生来のオタク気質である私は、オタクな自分が好きだった。
創作物に感動し、キャラクターを愛し、思考を止めず、時には自分で一から創り出すことが、何よりも生きている心地がした。

だが先述の通り、小説も漫画もアニメも穏やかに見られないと来た。そうなれば、もう何を楽しみにしたらいいのか。

無い。何も無かった。

楽しみもなく、生きる理由を失った。それは自分に価値を見出せないのと同じだ。
生きる理由だの価値だのと、なくても生きていける人もいるだろうが、私にとっては生きるために必須のものだった。

味のしない毎日だった。
むしろ不味い毎日だった。

何かに笑っていても、楽しいように自分に言い聞かせているのか、それとも本当に楽しいのかわからなかった。
世界が全部ぼやけていた。アリの行列みたいに、区別がつかなかった。

もう私の心を落ち着かせるのは、暗い歌詞の曲と、田舎の自然の風景くらいだった。

歌は、創作物ではあるが心に語りかけてくれる。寄り添ってくれる。音を通して、私の頭に居座る靄に少しだけ光をくれる。それに、あまり“媚び”を感じない。

自然は、人に媚びない。勝手に芽吹き、勝手に葉を萌やし、勝手に散っていく。写真や動画ではダメだ。人の“媚び”を感じる。やはり実物でないと。

思えば恋愛も、就活も、お洒落も、行事も、創作も、人がなすことだ。
人は、常日頃、無意識にも意識的にも媚びている動物だ。誰かに媚びねば、生きていけない動物だ。
だが私は、人間であることに疲れ、自然の土と同様になりたかった。

それでも、秋になって、涼しくなってから、徐々に感覚が戻ってきた。

ものを楽しむ感覚が。

フェードアウトするように数カ月間開かなかったソシャゲにログインした。
不思議と、“媚び”はあまり感じなかった。ゼロではなかったが、キャラクターの美しさを前にどうでもよくなった。

たまに気分が落ち込んだり、“媚び”を感じて萎えたりする日もあった。しかし長くは続かなかった。

だんだん媚びが見えても動じなくなった。
相変わらず、媚びなければ誰も生きていけない人間社会にはうんざりするが、憎み、消えたくなるほどではなくなった。


そしてクリスマスイブ。一人で買い物をしたら気分が良かった。

家に帰って、買ったアウターに袖を通し、鏡を見れば心が踊った。自分に似合っていると思った。数十分もの間、ずっと着ていた。

クリスマスなんて浮かれたものは馬鹿らしいと思っていた。陰鬱な自分には痛い雰囲気だった。
けれど浮かれた街を歩き、買ったものを身に着けた自分を愛おしく思ったら、クリスマスのキラキラした雰囲気が痛くなくなった。

生きていて楽しかった時のことを思い出した。
「これでいいんだ」と思えた。

何かと理由をつけて嫌わなくても、ただ純粋に、自分の心に従って、喜んだり悲しんだりすればいいのだと。

たぶん、この一年、(就活という大人へのステップがあったからか)子供な自分を無意識に否定し続けていた。
人に良く思われなければならない、そのためには自分の個性を殺し、感情を殺し、いつも微笑み、耳触りのいいことを言わなければならない。
だけど自分が自分である意味を失いたくなくて、あらゆるものに難癖をつけて持論を展開しようとした。
そんな卑屈な自分が嫌いだった。

自分が嫌いなのは今も変わらない。自己否定する癖はなかなか抜けない。
だけど、素直に自分が良いと思えるものを、買ったり身に着けたりすれば、自分を好きになれるのではないか。

まあ、その気に入ったアウターも友達に似合うと言われたもので、自分で見ただけでは(気になりはしても)買うまでに至らなかっただろう。

まだ、自分が良いと思えるものを手に取る勇気がない。不釣り合いだと無意識に思っているのかもしれない。
だけど少しずつ、増やしていきたい。






2023年を振り返ったら病んだ記憶しかなくてとりとめのない文章になった。
結局何が言いたいのかわからないけど今年は「自己肯定感底辺だったな」で来年の抱負は「自分を少しでも好きになること」なんじゃないか?
人生自体に疲れてたけど、ちょっとだけ最近活力がある。
この調子で生きたい。気楽に娯楽を享受したい。
そろそろ寝る。AM1:50

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