グラフィックがゲームに寄与するもの
聴覚、触覚、思考…そして視覚。
ゲームとは多くの感覚器官を用いて楽しむ
ゲームから与えられる情報と自己の入力によって進行する
双方向性のコンテンツである。
と自分は思っている。
今回、焦点とするグラフィックはその視覚を担う要素である。
さて、そんなグラフィックだが
美麗グラフィックなるものをウリにして販売されるゲームが
世にあふれるようになって久しい中
「美麗グラフィック」とは何を基準に美麗とするのか?
具体的、定量的に語れる方はおられるだろうか?
ポリゴンの頂点数?テクスチャの解像度?
これらが高くても
色合いやライティングなどが台無しにしてしまうケースもあるだろう。
そういったものを総合的に評価して良い悪いと判断しているのは
近い年代の作品であれば、数値だとかといった具体性ではなく
「受け手の感覚」という非常にファジーなものであるのが現実ではなかろうか?
2024年、7月
ファイナルファンタジー14の新大型パッチ、黄金のレガシーにおいて
グラフィックアップデートという施策が実装された。
これを受けてユーザーからは
「自分のキャラクターの顔が変わってしまった」
「そこまで影響を感じない」
様々な声が上がっている。
公式のフォーラムやSNSなどではパッチ適用前後の比較を丁寧に行い
フィードバックを行う方々や、逆にそれを揶揄するような意見。
そもそも自分は楽しんでいるので、そんな喧噪には関わりたくない…という人も目に付く。
この混乱こそが、グラフィックという要素の良し悪しが
個々の感覚という非常にファジーなものでジャッジされている証左であろうと思う。
施策としてはこのようなユーザー間の断裂を産んだ時点で失敗であったと断じてしまっても良いかとは自分は思うが……
スクウェア・エニックスという会社は同シリーズを通して
「グラフィックの良さがウリになる時代」を先導し続けてきた。
スーパーファミコン時代のドットの描き込みも相当なものであったが
そこからFF7にて3D表現へ移行、FF8ではムービー中にキャラクターを動かせるという革新もやって見せた。
あの頃はファジーな感覚に依るまでもなく
先に挙げたポリゴン頂点数の増加などの確実な進歩がそこにあった。
更に後の作品ではそのグラフィックを推し出し
ムービーに傾倒したがためにムービーゲーなどと揶揄されることもあった。
しかし双方向性の薄まりをグラフィックの質の高さでねじ伏せんとばかりにその歩みは止まらなかった。
最新作のFF16においてもそういった声はある。
しかしだ、かつてのスクウェアが
グラフィック時代の先頭を走っていた時代と違い
最早とっくの昔に他社のゲームとの間には
「ファジーな感覚」で判断する程度の差しか
なくなってきているのが実状ではなかろうか?
それでもまだグラフィックを推し進めるのか?
グラフィックがゲーム体験に寄与するものが無い
と言いたいわけでは勿論無い。
RPGならば広大なフィールドで美しいランドマークとの出会いがあれば
気持ちが高揚することだろう。
アクションゲームならばハイディティールなキャラクターが自分の思うがままに動けばそれだけで楽しいと思えてしまう事もあるだろう。
それらは体験とグラフィックの相乗効果からの現象であり
どちらかだけでは起き得ない。
双方向性の感動なのである。
片方に傾倒するのではなく
この双方向を改めて見つめ直すべきなのではなかろうかと自分は思う。
ゲームは体験する娯楽だ。
さんざん「ファジーな感覚」と称してきたが
最終的に働きかけるのはそのファジーな感覚たる「人の感情」だ。
そこに誠実なゲームを作っていってほしいものだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?