悩ましき「スキ」問題。~note初投稿 一週間後のつぶやき~
noteに初めて投稿してから一週間。
手探りだった活用法の習得もじわじわ進み、なんとか二回目の投稿にこぎつけております。
そもそもこちらに投稿を始めたのは、SNSで連載していたエッセイが気付いたら100回を超え、このまま書きっぱなしで放置もいかがなものか…ということで、加筆・修正を加えてnoteに引越したというわけです。
SNSに連載を始めた当初から、こんな長文読む人いる?という疑問をうっすら感じながら書き続けておりましたが、もともと自分の内にたまったものを吐き出し整理するために書いていたもの。書き終わった時点で心は軽くなり、時には生きる希望みたいなものも生まれたりしていたので、ひとまずそこらへんは横に置いてせっせとアップしておりました。
ただ書き上げたものを投稿してみても、スマホの画面は地味の極み。ひたすら文字が並ぶ画面はちょっと離れて見てみれば蟻が列をなしている様子とさほど変わりなく、「もっと読む」をタップしてさらに読みふけりましょうという人はかなり限られているのが現実でした。が、逆にこの高いハードルを果敢に乗り越えて読了し、なおかつ共感してくださるという貴重かつコアな読者との出会いもあったりして、えも言われぬ有難さと喜びに打ち震えることもありました。
とは言え、この字ずらの地味さ・そそらなさはいったいどうしたものか。
十年ほど前に、何を思ったかボーカルレッスンにせっせと通ったことがあります。こういったお稽古ごとの例にもれず、年に一度発表会があるのですが、歌の方はなんとか練習するとして、当日何を着て舞台に立つかに案外頭を悩ませた記憶があります。先生いわく「人間は地味なの。楽器を演奏する人は楽器のキラキラ感に助けてもらえるけど、歌う人は着飾らなきゃダメなのよ!」
なるほど、もしあの人やこの人に衣装やセットがなかったら。超有名歌手といえども、ライト輝く舞台の上に素でポツンと立った絵面を想像してみれば、その寂しさ貧弱さたるや…。そして先生の言葉に(人間ってホントに地味!)と至極納得したものです。
この例が適当かどうかは微妙なところですが、文字の地味さもこれに似ているかもしれません。なにしろ、画像と比べると目に入ってくる情報量がぜんぜん違う。インスタならパッと見て、気楽にいいね!と反応できます。画像と「いいね」は好相性。一方noteは「スキ」です。
確かに文字を丹念に追って最後まで読み終わり、そこで「いいね!」ではちょっと軽すぎる感じは否めません。この文章良かったな、うん、「スキ」だな、ポチ。と、納得の間合いみたいなものが「スキ」には込められているような気がしないでもありません。ただ面倒くさいことに、このポチ、の動作の前に「スキ」かどうかいちいち悩んでしまう、というのは自分だけでしょうか。スキかどうかと聞かれれば、嫌いじゃないし悪くないと思うし、共感する部分もあるし。ただスキかと聞かれると、う~ん…
ここからは勝手な憶測ですが、そんな「スキ」問題に悩む人たち(自分も含め)のために、「スキ」をタップしてくれてありがとう!のメッセージ並びに画像が表示されるギミックがあるんじゃないかなと。好きだ!と心を決め♡をタップすると、感謝の言葉と画像が。あぁ、文字を最後までたどって良かった、♡を押して良かったと思わせてくれ、勇気ある行為をたたえてくれる。特にありがとう画像、嬉しいです。何となく、幼稚園の頃、先生から「よく頑張ったでしょうシール」をもらった時のことを思い出します。
見出し画像ももちろん大事。ここが魅力的であれば、より多くの人を文章へと導けることは言うまでもありません。言ってみれば、見出し画像は文章への門、素敵であるに越したことはありません。けれど、最後まで読み終えて「スキ」をした時ぴょこっと出てくるシールみたいにちっちゃい画像が私は好きです。白と黒の文字の連なりの果てに出てくる、読んでくれてホントありがとね、の気持ちがこもったこれが。
このギミックをnoteに盛り込んだ人は、文章をかくことの大変さや、最後まで読んでもらうことのハードルの高さや、文字の地味さや、「スキ」を押すのに躊躇してしまう気持ちなどなど、いろんなことを分かっているんだなぁ。と、初投稿より一週間、しみじみと感じ入っております。