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届け!海の向こうの家族に 〜コロナ禍での看取り 第2弾〜

<はじめに>

コロナ禍の看取りの第2弾となる。第1弾の記事はこちら。

前回の記事にも書いたように感染予防という観点で、家族の人生の最期なのに逢えないというケースもよく伺う。当たり前のように諦めなくてはいけないことになりつつある。最期の瞬間を見届けることも辛いことではあるけれど、逢えないことは、もっと辛い。今回は、海外在住のご家族がいるかたのお話をしようと思う。
国内でも中々、家族に逢えない状況の中、海外に住むご家族にとっては、大きな苦しみではないだろうか。

<アキラさんのこと>

アキラさんは、自営業を営む庭の花いじりが好きな70歳代の男性。つい数ヶ月前まで自営のお仕事をしていた。奥様と二人暮らし。痛みが出てから病院受診した。しかし、がんが全身に転移しており手の施しようがないことをアキラさんにも告げられた。初めて訪問に伺った時には、ベッドに横たわり既に黄疸や眼球黄染もあったけど、優しい目にはまだ力があり、にっこり笑って色々お話も聞かせて頂いた。

長い間、アキラさんはお風呂に入れていなかった。状態的には、訪問入浴がいいなぁと判断していた。でも、数日後にアキラさんがご自宅のお風呂に入れそうと言われた。私もなんとかギリギリ行けるだろうと急遽、判断した。ターミナルのかたのケアは、時間が限られている分、現場での直感のような判断も度々必要となる。一つ一つのケアが、最後になるかもしれないと思いながら心を込める。
アキラさんの電池の残量は随分と少なくなってきていた。

私は、ターミナルの方を看る時にこの電池の残量を意識している。
この電池の少なくなった貴重な電池をどんな風に使えばいいかを丁寧に考える必要があった。

短時間で電池を温存するためには、洗髪も体を洗うのも全て浴槽の中で完結することで電池を稼いだ。「いいねぇ、久しぶりだなぁ。気持ちいい」と喜んでくれた。
これが、私たちのケアの最初で最後の入浴となった。

ある時は、私たちは、バーバー(ばばーじゃなくて、床屋よ)のおっちゃんにも変身した。へーんしん!もうバーバーに行けないアキラさんの為に。ここでもできるだけアキラさんの電池を無駄遣いしないようギリギリまでは臥床のままで、後ろ髪の時だけ短時間だけ座って頂き整える計画を立てた。
お客になりきっているアキラさんは、行きつけの床屋の「ヘアスタイルの地図」を見せてくれた。「ヘアスタイルの地図」の紙を見ながら「へい、お客さん、もみあげは、耳半分の位置で、分け方は七三ですね、わかりやした〜」と言いながら、驚くほどのイケメンに変身させた。アキラさんも「いいねー」と、満足そうだった。バーバーに転職していいくらいのレベルに仕上がったので奥様は惚れなおしていた(はず)。

<奥様のこと>

奥様は、小柄で可愛い奥様で、いつもパタパタと動いていた。初めてお会いした時から奥様のことが大好きになった。何かしてあげたくなるタイプの人いるけど、この奥様がそう。ピンポーンと玄関のインターフォンを鳴らすと奥様がパタパタと一生懸命、待たせないように走っているのが聞こえている。働き者の奥様ということがすぐに分かる。とても大変な時なのに私たち看護師への気遣いも忘れない。アキラさんの望みを全て叶えてあげたいと必死だった。

医療用の麻薬も始まっていたけど、パタパタしながらもちゃんと麻薬の管理もこなされていた。緊急電話の加算は取らせて頂いているけど滅多に掛かってこないので毎日のようにこちらからお電話して様子を伺った。「あー、ちょうど困っていたの」と毎回言われた。電話するのを遠慮されていたのだろう。だからこそ、奥様がウトウトと体を休めていない時間帯であろうことを願いながらこちらから電話をかけた。

我慢しているけど、私たちを玄関の外に送りに出てくれた時に我慢できなくてよく泣かれてた。アキラさんの前で泣かないように普通に振る舞っていた奥様。
心の準備も充分にできないまま、どんどん病状が変化していき怖かっただろうなぁ。

何故もっと早く気づいてあげられなかったのかと自分を責めて泣いてしまう奥様。
「でもね、考え方によっては、もし、元々、人の命の長さが、ある程度決まっているとしたなら、ギリギリまでいつものお仕事を奥様とできていたって素敵なことのような気もするなぁ」とお話した。「そうね、そうかもねぇ。そう思ったらいいのかなぁ」と指で涙を拭きながら笑ってくれた。

<息子さんがお見舞い帰省>

息子さんは、国内在住だけど遠距離。数日間、時間を作って会いに帰ってきていた。帰る日も1日延長して少しでもお父さんとの時間を過ごしたかったのだろう。次は、もう逢えない可能性もあったので、「ちょっと照れくさいかもですけど・・・お父さんに今のうちに今までのお礼が言えるといいですね」とお伝えした。奥様によると、その日の晩に息子さんは、アキラさんに今までの感謝の言葉が伝えられたようだ。帰省中、息子さんは今までアキラさんが毎年やっていたお花の手入れを手伝われたり、家のことを色々してくれたのを見て、アキラさんはとても安心されていたようだった。

<海外在住中の娘さん>

娘さんは、ご主人とお子様たちと海外暮らしだった。コロナもあり、2年は逢えていなかったようだ。娘さんは、お父さんの顔を見に帰りたかったけど、幼い子供を置いて母親が帰ってくるなんて子供たちが可哀想だからとアキラさんは「帰ってこなくていい」と言っていた。いつもリモート電話で声を聞いていた。
娘さんは、逢えない分、余計にご心配だろうと察していた。
一度、娘さんにお電話だけでもしてみたいという話をしていたところだった。
私が、娘さんの立場ならもどかしくてきっと胸が張り裂けそうになっていると思ったから。
娘さんに届け、届け!と思っていた。

<ビッグニュースからの急展開>

そんな時に奥様からニュースが入った。
なんと、娘さんが、成田の近くのホテルに帰ってきている、しかも1週間前から帰国していたらしいの!と。奥様もその時初めて知ったようだ。届いてた!!
2週間の自主待機予定で、あと1週間待機してから会いに来るというではないか。

ただ、その時にはアキラさんの容態は、変化しており、寝ていることが殆どだった。1週間も時間がないと判断した。
ただ、コロナの時期であり、娘さんは、あと1週間は待機する計画でいる。
よし、主治医に相談だ!でも主治医に相談して主治医が石頭だったら(いや、間違えた、主治医が慎重だったら)許可してくれないかもしれない。
次の日に主治医と同行予定の日だったので、私にそのミッションが任された。女優になって泣いて頼んでくるように指令が出た。女優かぁ・・・。初めて会う主治医を相手に女優。

判断は難しいところだけど、娘さんは、PCRは陰性で、既に1週間の自主待機をしており、感染症状も全くない。国会でも『無症状者から感染したと証明される論文は見つかりませんでした』と偉い人(厚生労働省の感染対策課長)が答弁していた。それぞれの国によって対処はさまざまなので、娘さんの国の情報も事前に得ており、入国後は、任意の自主的な滞在という事は確認していた。(自宅からは、2週間の待機が終わるまでは出れない決まりはあり。)

初めて会った主治医は、もしや、『話がわかる系』ではないかと直感した。きっと女優の涙をタラタラと垂れ流す必要もないであろうと思った。私の説明が、情熱的でさぞかし上手だったのだろうか、主治医は、娘さんの早めの帰宅にGOサインを出してくれた。
「先生がOKしてくれなかったら私はこの辺りで泣く予定だったんですけど泣かなくてすみました」と主治医にどうでもいい情報も付け加えておいた。

先生が帰られた後、早速、娘さんへの電話タイムに入った。娘さんは、突然の初めての看護師からの電話に戸惑いながらも、私から今の状況を説明し、時間がないことも伝えた。それでも娘さんは、感染のことをとても心配され躊躇されていた。実は、私たち看護師は、居ても立っても居られなくなり、よし!時間は相当かかるけど成田まで迎えにいくか!と言っていたくらいだった。折角の想いで帰国しているのにお父さんと会えない可能性だって充分にある状況だった。とにかく時間が僅かだから帰ってきてと必死で伝え、ようやく、わかりましたと言ってもらえた。もし、何かあれば、責任問題かもなぁと覚悟もしつつ。

翌日、娘さんは、関係各所に報告もしないといけないようで、私たちが車で迎えにいく案はあっけなく消え、手続きを済ませてから専用の車というもので帰宅することになった。どうかどうか、間に合いますようにと祈った。
夜に娘さんを乗せたその車が到着した。私たちもビュンビュン自転車を飛ばして駆けつけた。意識も朦朧としていたアキラさんだったけど娘さんのことは、目を開いてお顔も見ることができ、わかったようだった。間に合った。
ギリギリではあったけど、どうにかこの瞬間に繋げたことが嬉しかった。

アキラさんは、娘さんをずっと待っていたのかもしれない。
親子水入らずで過ごし、娘さんのお顔を見て安心したのか、その8時間後には、あっけなく神様の元へと旅立たれた。

<おわりに>

アキラさんは、私達と出逢って2週間後には、神様のもとへ急いで行ってしまった。
もうちょっとゆっくりでもよかったんじゃないですか?

アキラさんが、旅立つ3日前くらいに訪問に伺った時のこと。玄関から部屋を覗くと、ベッドに横たわるアキラさんが見えた。更に痩せて起き上がる元気もないのに優しく儚く笑ってる顔が、ぽわんと光って見えた。生物学的な意味でのアキラさんの力はほとんどないのに柔らかい光で満たされているような感じと言えばいいだろうか。
まるで、「そろそろそちらに行きますね」と神様やご先祖さまと打ち合わせが終わった後のような空間だった。
その瞬間、一瞬で私の目は、涙でいっぱいになってしまった。

<精神科医 E.キューブラー.ロスの死の5段階の受容モデル>

1段階: 否認と孤立
2段階: 怒り
3段階: 取引き
4段階: 抑うつ
5段階: 受容

初めてアキラさんにお会いした時には、告知後2ヶ月弱だったと思うが、この5段階でいうところの既に「受容」であったと思われた。この短い時間で「受容」まで行かなくてはならなかったのは、本当に辛かっただろうなぁと思う。
それに寄り添うご家族のお気持ちも最たるものだ。

この日のアキラさんを見て、キューブラー・ロス氏の言う「受容」の後に、受容のもっと奥深い部分に在る崇高な「悟り」に似たような最終段階なのだろうかと感じた。

アキラさん、あなたが大切に育てていた数日しか咲かないクジャクサボテン。「蕾が硬いからまだまだ咲かないよ〜」とアキラさんは笑って言っていた。
あなたの予言は見事に外れました。
あなたがそんなに急ぐからクジャクサボテンもめっちゃ急いで咲きましたよ。
あなたに最期に見せたくて。
皆さんにも見て頂きましょう、この見事な大輪の花を。

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〜 あとがき 〜

この記事を読んでくださっている方は、医療従事者、介護の現場にいらっしゃる方かもしれません。或いは、海外在住でご家族の最期のことを心配されているご家族かもしれませんね。何かの判断に迷われているのかもしれません。今回の記事が、何かのお役に立てたらと願って投稿します。この記事が、必要なかたに届きますようにと願っています。

この未曾有のコロナ禍の現場で、病院でも在宅でも私達は、様々な判断をしていかなくてはなりません。かつて経験したことがないことが起こっているので、何が本当に正しいことなのか、正解もわからない中で。

ただ、私達だからこそ、その時にできることもあると思っています。私達が、その行動を起こすことで何かが動いていくはずです。何でも慎重さは必要。とはいえ、動けばよかったと後悔もしたくない。

「何か得体の知れないものに飲み込まれそうな時こそ、一旦、俯瞰やで〜」
           by  にゃむ

俯瞰した後に 動いています。








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にゃむ
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