#ソシャゲの話をしよう。「報酬とモチベーション」
#ソシャゲの話をしよう 。
どうも、死に急ぐ生命の果実です。
みなさん、ソシャゲ遊んでますか?
え?「報酬がしょぼくてどうにもモチベーションが上がらない」?
まぁ、そういう方もいらっしゃるかもしれませんね。
さて今回はそんなケースに至る原因のひとつ、「報酬とモチベーションの設計」に関するあれこれをお話しましょう。
ざっくり以下のような構成でお話をできればと考えております。
ソシャゲにおける報酬とはなにか
まず報酬とはなにかから考えてみよう。
我々がゲームを遊ぶ理由は至極単純だ。おもしろいからである。
なぜゲームはおもしろいのか、考えてみたことはあるだろうか。
「ゲームは褒める機械である」ということは昔からよく言われる。
褒められると嬉しい。これはまあ当然であろう。
ゲームはことあるごとに試練を出し、クリアするごとに褒めてくれる。
要は「褒められる嬉しさの質」が「ゲームのおもしろさ」に直結していると言っていい。
勝てば嬉しいし、うまくなれば嬉しいし、成長すれば嬉しいし、経験を積めば嬉しい。
乱暴な言い方をすれば、これらはすべて「ゲームがそれをすれば褒めてくれる」からだ。
で、褒め方がヘタだとおもしろくないゲームになる。
課題の出し方がヘタだとゲームとして機能しない
勉強に例えてみるとわかりやすいかもしれない。
超えるべきハードルが極端に高かったり、興味のない課題をバンバン出してきたり、答えはわかってるのにクソデカクソ太いクソ重鉛筆がやたら使いづらかったり、そもそも問題文が未知の言語でなにが書いてあるのか読めなかったりする。
こういう「そうはならんやろ」な事例は、意外と「クソゲー」などと呼ばれて世の中に存在する。
誉め方がヘタだと報酬として機能しない
課題の出し方がヘタであれば、褒め方がヘタな場合もある。
「テストの点が100点だったから、次は200点を取れ!」は、これは「褒め」ではないだろう。
「テストの点が100点だったな。記念にシュールストレミングを食べにいこう」と言われても違う。
当然、褒めることは「ユーザーが求めていることを与える」ことで達成する。
報酬の魅力を演出しなければ機能しない
んじゃ単純にユーザーが求めてるもの渡せばいいのか。
難しいもので、そこに「嬉しいと思える体験」がセットになっていないと報酬として感じづらい。
黒背景のディスプレイにプレーンテキストで「1万円もらいました。」と表示するよりも、画面いっぱいに舞った札束とファンファーレ、ド派手な演出の方が嬉しいのは想像に難くない。
面倒くさいと機能しない
また、「じゃあ体験を紐づけよう」として「馬の糞をあげよう。これは売ると1ゴールドになる。100ゴールド貯めると鋼の剣が買える。それが報酬だ」みたいなことをやると、今度は体験はあるが報酬が労力や手間に見合わず、結局トータルで見るとマイナスになったりする。難しいものだ。
(よくある「おつかいイベント」などと揶揄されたりする)
報酬は価値の高いものを渡すと、モチベーションは上がるが次の報酬に困る。
かといって価値が低いと報酬として機能しない。
価値の低いものをたくさん集めるのも、目標が遠すぎればやる気はなくなる。
一旦まとめ
ここまでの内容をまとめよう。
褒めることがゲームのモチベーションの源泉である
褒めるには報酬・ハードル・体験など、複数の要素が適切な配分で行われることが望ましい
バランスが取れていないと、ユーザーに意図したように受け取られず、報酬が報酬として機能しない
故にクソゲーが誕生する場合がある
冒頭の言葉を借りるのであれば、「褒める→嬉しい→やる気が出る」というサイクルが根源的な報酬であり、おもしろさの原点である。
それを感じさせるために「報酬提示→目標設定→目標達成→報酬獲得→成功体験」というゲーム的な報酬が設定される。
無限に報酬を与えればいいのではないか?
んで、ここまで読まれた方はこう思うかもしれない。
「報酬を無限に与え続ければ、無限に遊べるゲームにならんか?」
んまぁ、気持ちはわかる。
わかるのだが、それを成し遂げているゲームが多くないのも想像に難くないだろう。
なぜなら報酬には限りがあるからだ。
多くの場合、「リソース的な上限」と「飽き」で説明できると思う。
報酬とは、プレイヤーにとって価値のあるものでなければならない。
でなければそもそも報酬として機能しないからだ。
しかしながら、ゲーム上で役に立つものを与えるのには限界がある。
リソース的な上限の例
例えばRPGの武器。
強ければ強いほど、レアであればあるほど、プレイヤーにとっての報酬の価値は上がるだろう。
しかしながら、あくまでそれはゲーム内における価値である。
コンシューマーはもちろん、ソシャゲなどのオンラインゲームであっても、「ゲームバランス」「上限」の壁は厚い。
ゲーム内でプレイヤーが欲しがる武器なども、パラメーターが高すぎればバランスを崩し、そもそも「強い武器がほしい」という根幹を揺るがしかねない。
ソシャゲでインフレしようものなら、ゲームとして破綻をきたし、多くのユーザーがコンテンツから離れるだろう。
これを実現するには、慎重な調整や長期的な運用が不可欠だ。
以前、「環境」というものに関して記事を書いたので引用しよう。
環境のバランスが崩れると、報酬が報酬として機能しなくなる。
やがて起こるのはやる意味を失ったユーザー離れの加速である。
そして、有限である以上、いつか報酬がなくなるときがくる。
それは摂理としては仕方ないだろう。
飽きの例
では、一旦システム上・パラメーター上の価値から離れて、別方面での報酬は検討できないだろうか。ちょっと考えてみよう。
例えば対戦ゲーム。
対戦ゲームはゲームをプレイし、上達し、勝つ過程が楽しく、それ自体が報酬と言える側面もある。
FPSであったり格ゲーであったり、あるいは自分自身のハイスコア更新を狙うゲームもある。
ゲームとしておもしろいなら、報酬など必要などないのでは?と考える向きもわかる。
が、それがそうもうまくいかないのも、時代が証明しているだろう。
一言でいうなら、「飽き」である。
どんなにおもしろいゲームでも、どんなに優れた演出でも、どんなに気持ちの良いサウンドでも、いつかは飽きがくる。
もちろん、制作する側もこれはわかっているだろう。
だからこそ、最大の敵である飽きがくるのをできる限り遅延させるべく、要素を作り込み、演出を研ぎ澄ませ、あるいはオンラインでのアップデート、対戦や協力要素に解決を求める。
スピンオフや続編などゲーム外のコンテンツに解決を求めるというのもある。
しかしながら、コンテンツは遊びつくされ(ればまだいい方で)、新しい娯楽に興味は移り変わり、コンテンツ自体も時代の流れには逆らえず、いつか古くなっていくだろう。飽きないゲームなどないのである。
とりとめのない話が続いてしまった。
「栄誉」という方向性
結局、「リソースの上限」と「飽き」を解決する「報酬」はあるのだろうか。
筆者はそれを「栄誉」に求めてもよいのではないかと考えている。
「称号」や「ランカー」など、イメージしやすい言葉に置き換えてもよい。
「栄誉」は報酬に内包されるが、条件が特殊である。
「獲得」ではなく「貸与」であり、恒久的に保持できるわけではない
そのため場合によっては、「ふさわしくない」などの理由により剥奪されることもある
そのハードルの高さから、所持しているユーザーに羨望のまなざしが集まる
その「羨望」の唯一性が報酬である
これを実現するためには、一定以上の熱量のあるユーザーが必要である
こんなところだろうか。
「栄誉」は、コンテンツが続き、一定数のユーザーを保持し、アクティブユーザーが多く、多数のユーザーが栄誉を欲しがることで機能する。
そのためには、このシステム・サイクルが機能するコンテンツであることが大前提である。
ゲーム性が高くなり、勝敗にシビアなユーザーが集まるため、初心者にとっては入りづらいコンテンツになりやすい。
また、前提のひとつである「一定以上の熱量のあるユーザーが必要である」を満たすためには、それを意識したエンタメ性などが高い運営が求められるだろう。
また、ゲーム内容も重要である。
たとえば運で勝てるようなものでは話にならない。
技術・経験・知識、そしてちょっとの運、ここまで揃ってやっと栄誉を獲得できる。
取ってつけたような生半可なランキングコンテンツなどでは、これを実現することは難しいだろう。
きちんとした競い甲斐のあるゲームである
それに真面目に取り組む多くのユーザーが存在する
一連の栄誉獲得の勝負に話題性があり、魅力的である
一連の流れ・システムがきちんと機能する運営体制がある
さて、みなさんそろそろ思い当たることがあるのではないだろうか。
ぶっちゃけてしまうと、コンテンツ自体をエンタメ化・プロ化して、eスポーツくらいまできっちり擁立しないと、永久機関になる報酬ってできないんじゃないのか?というお話である。
なんだか夢のない話になってしまった。
まとめ
報酬は……
報酬のメカニズムを理解した上で設計しないとダメ
バランスもちゃんと設計してあげないとダメ
うまくいってても限界はあるのでダメなときはダメ
ワンチャン永久機関があるかもしれないが、世間ではそれをスポーツと呼ぶ
報酬の最適解については、コンテンツの内容も相まっていろいろな可能性が考えられる。
これらの基本要素を鑑みつつ、各コンテンツに合う報酬設計をしてほしいものである。
以上、本日僕から言いたいことは以上です。
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