上司がとってもウザいんですという現象
私、あの人が苦手で部署異動したんです。
悪い人じゃないんですけど、押しつけがましいんです。
転職先で少し仲良くなった年齢の近いその人はかつて私の部署に在籍していたという。そして彼女は私の現在の教育係であり、かつての彼女の教育係の妙齢の女性上司の「善意」に反吐が出ると、耐えられないと人事に訴え、あっさり異動が認められた。
ホアさんは大丈夫ですか?
そう聞かれると、私の心は揺れ動いた。
私はこの、大学卒業後新卒で入社し1カ月で部署異動を認められた彼女が苦手とする上司に自分の将来の姿を見出していた。私も、余計なことをして将来の新人に1カ月で異動されるのではなかろうか。そして井の中の蛙よろしく人事の「善意」により新人の異動理由が自身にあることは告げられず、自己を省みず仕事に邁進しているつもりになるやもしれない。
建設業界の設計職から金融の経理へ転職して分かったことがある。
それは、取り扱い職務や社員の構成により仕事への姿勢が大きく変わるという事だ。
設計はmm単位の積み重ねで時に高さ100m、延べ床面積は東京ドームx個分を超える膨大な図面を準備する。そして日々、mm単位で修正する。
経理もまた、決算や財務諸表の作成に向けて日々勘定をつけていくのだが私からする現職はかなり緩い。全く厳しくなかった。後からいくらでも修正できるから、など、まあ粉飾になるかならないかは不明だが少なくとも建設では一度打設したコンクリが数mm高ければ大問題となり可能であれば斫りというコンクリを削り予定高さに合わせるという気が遠くなる作業をするが経理は全てエクセルでちょちょいと、簡単にやってくれる。
「突合は大変な仕事だから」と言われると少し拍子抜けするくらい、現職の経理はそこまでプロフェッショナルじゃない。役職持ちを除いた会計士はベテランの1人だけ。その1人に随分としわ寄せがいっていた。
仮に1カ月で経理部に見切りをつけて部署異動した彼女をRちゃんとしよう。
教育係はRちゃんについて一度私にこのように評したことがある。
「為替の見方もよく分からないみたいで、やっぱり学生さんには難しいのかな、社会の事は」
一事が万事、教育係はずっとRちゃんを、新卒のRちゃんは何も理解出来ない学生さんと決めつけ、彼女そのものを見ようとしなかったのだろう。新卒に分かるはずがないと決めつければそうとしか見えないのだ。
実際のRちゃんがどうだったのかはその場にいなかったので分からないが、Rちゃん曰く「わかります」ということが許されない雰囲気がそこにはあったという。
分かるなぁ。
実は私は、「エクセルのショートカットキーが分からないホアちゃん」と評されている。教育係はそう決めつければ後は何も目にも耳にも入らず、経理部全体のメールに「ホアさんにはエクセルのスキルアップをしてもらいます」と書かれた。
面接担当時の社員がこっそり、「どういう行き違いがあったの?」と聞いてきた。無理もない。建設現場で積算を長いことやってきて、マクロVBAの資格も名ばかりながら持っている私は一応経理部の中では最もエクセルが使える。しかし教育係の脳内では「図面屋=定規で線を引く=エクセルはチンプンカンプン」の図式が成り立っている。また、彼女の思い込みを決定付けたのは私がエクセルの保存をSCを使用せずリボンから行ったからだろう。
特に理由はなかった。正直SCを使っても使わなくても良いと思っていた。
教育係は劇団員ばりに驚き、「保存のショートカット、建設現場出身だと分からないかぁ~~~」と言われ、懇切丁寧に伝聞された。
「あの新しく来たホアちゃん、タイピングは早いけどショートカットキーもろくに知らないみたいで教えるのが大変!」とのことだ。
教育係について振り返ってみよう。なぜ教育係はここまで思い込みを拗らせてしまい、そして周囲はそれを指摘できない空気にしてしまったのだろうか。
教育係の口癖はこうだった。
「私は○○(某外資最大手)で新卒後経理を4年した後、寿退社して、そして3年前に社会復帰してこの会社に入ったの!」
つまり会社員の経験はせいぜい7年で、新卒後4年は電卓をフル活用する時代なので現職に役立っているかは不明の50代なのである。
「働こうと思えばいつでも復帰できるけど、旦那さんの給料も高いから私が働く必要はなかったの。私には語学スキルも十分にあるからこうして子育てがひと段落したのでブランクありながらもまた復帰することができたのよね」
これを社内で言えるのだから大したものだと思う。会社にはあらゆるバックグラウンドや家庭、幼子を育て日銭を稼ぎに来ている人がいるのに、ママ友社会で上位層として威張り散らしてきたであろうノリをそのまま会社に持ち込んでしまっているのだ。
教育係とは上手に働かないといけない。そう理解するまでに時間はかからなかった。「知ってますよ」は禁句だ。Rちゃんが早々に見切りをつけたのも理解できる。設計時代の「口より手を動かせ」がここでは通じない。
Rちゃんの方がずっと英語が得意なのも、教育係のコンプレックスを指摘したに違いない。
「あの人ずっと誰かの悪口を言っているじゃないですか。特に部長の悪口。新卒で右も左も分からない時からずっと聞かされると吐き気がして。だから男性の多い部署に異動したんです」
Rちゃんは群れることが大の苦手で、だから外資に入ったまであるそうだ。しかし悲しいかな。経理部は概ね支店が置かれている国の社員ばかりである。つまり東京支店は日本人がほとんどなのだ。
部長の悪口は私も毎分毎秒隣で聞かされている。内容は言いがかりや妄想に近いものだと思うが私はなぜ教育係が執拗に部長に噛みつくのか、その本質が知りたかった。
もしかして、為替が読めないRちゃんとショートカットキーの分からないホアちゃんという妖怪(伝聞でしか聞いたことのない、実態のないもの)はかつて部長が教育係に与えたコンプレックスから来ているのかもしれないとふと気付いた。部長は丁寧に仕事を教えるタイプではなかった。限りなく建設現場の管理職のような人だった。「一から十まで教える学校じゃないんだから、何が分からないのかしっかり言語化してください」というタイプで、私は部長と仕事がやりやすいのは前職の延長のような環境だからだろう。
25年近く家庭に留まり社会復帰をした教育係に対して部長はあまりに不親切に映ったのだろう。「どうしてあの人は何も教えてくれないの」これが口癖になっていた。他の社員はどうかというと、部長に反発するでもなく、しかし教育係に叱咤する人もいなかった。この教育係が経理部の最年長だったのも要因だろう。自分が社会から求められていないように錯覚して、部長が意地悪をしている気持ちになって、部長の悪口を他の社員に伝え、結束を図っていたのだ。
「私がアジアの経理部の代表に直接、部長が使えないと伝えたから部長はクビになる」嬉々として、ニヤニヤと伝えてきた教育係。
「驚いた?ホアちゃん。アジアの代表は私のことを部長より評価してるみたい。私が最後の引き金をひいちゃったのよね」
教育係が現職で勤め上げた3年間は上へ上へ行くことではなく下へ下へ井戸を掘り進めることだったのだろうか。たった一人の経験3年目の平社員が、アイツ使えないと垂れ込んだだけで誰かの、まして管理職のクビを飛ばせると本気で思いこんで、それを新人の私に伝え、「だから私に歯向かうと大変な目にあうぞ」と暗に伝えてくるのが恐ろしい。
教育係以外は知っている。部長の次の転職は栄転の引き抜きであり、クビではないことを。しかし年上平社員があまりに面倒な特急呪物なので皆反発をしないだけなのだ。
私は仕事を教えてもらえなくて苦労したから、新しい子たちには丁寧に教えてあげよう。
そう、最初は純粋に思ったのかもしれない。
Rちゃんは教育係と同じハーフで、英語が日常にある暮らしをしていた。Rちゃんはすぐに異動を認められるほど優秀でもあった。何かが、教育係の琴線に触れたのだろう。「面白くない。せっかく教えてあげるのに、感謝を感じない」概ねそんなところだろう。
言葉が汚くなるがたかだか3年働いた経験値と、優秀な大学で更に優秀な成績を収めインターンでも活躍したというRちゃん。スキルは比較するものではないだろうが恐らくどっこいじゃないだろうか。Rちゃんから教わることはあっても教えることはあまりなかったのかもしれない。そしてRちゃんは部長とも相性が良かった。要するに気に入らなかったのだろう。
世の中には多様な上司がいる。
すぐに部署異動を願い出たRちゃんは蛙だろうか。
自己の能力を過大評価し新人を無能と決めつける教育係は蛙だろうか。
俯瞰して二人を見ている気になっている私は蛙だ。
私は蛙として、今後教育係とどう過ごしていこう。
最近よく考えるテーマである。学生の頃、こんな大人にうんざりしていた。「うるせーんだよ黙って仕事しろ」くらい言っていたかもしれない。部署も、1カ月と持たず異動願いを出していたに違いない。しかし私は雨にも負けず風にも負けない土方出身、培ったのはフィジカルだけではない、精神的な強さも育ったと思いたい。そんな蛙の私は、どうしたい?教育係の0距離悪口ラジオ(なぜか私の狭いデスクに教育係の椅子も並べ、肩がぶつかる距離でラジオはOAされている)を聞き流しながら考え込む毎日である。
私は将来、シンガポールのMBAを取得したい。
この夢に回帰した時、この部屋はなんて狭い井戸なんだろうと気付く。たちまち教育係からの善意という名の「あの子はこんなこともあんなことも出来ません。なぜなら土方だから!」という無能街宣も愛おしく思えてくる。幸い現職はシンガポールに支店があるのでパートタイム学生として日中はシンガポールで経理の仕事、夜間は大学に通いたい。
その後、ベトナムの支店立ち上げなど東南アジアでの職務に携わりたい。
そうであるならば、教育係とはうまくやっていく方が得策だ。ずっと肩を並べる人生じゃないのだ。目くじらを立てる暇など蛙のホアちゃんには残されていないはずだ。
人事部長は全て理解しているような口ぶりだ。
Rちゃんが嫌がる気持ちを全て受け入れ、しかし教育係のコンプレックスも刺激せず、常に中立地帯にいる。この人事部長に評価されることが、私のシンガポールへの異動への第一歩ではなかろうか。
それは、「モンスター教育係とうまく折り合いをつけてやっていくこと」だ。彼女の善意である、「そんなことも分からないの~~?」に感謝をし、というより感謝だけすべきであろう。少なくとも今は未熟で無能であることをヨシとされているのだから。たぶん。「善処します。邁進します。いつもありがとうございます」この程度のストレスを乗り越えられなくてシンガポールで寝る間も惜しむ学生社会人生活が送れるか?否、不可能だろう。
私はストレス耐性を強化するプログラムに無料で招待されたに違いない。
大海を知りたい。出来れば会社のお金で大海を知りに行きたい。会社のお金でMBAを取りたい。そのためには猛獣使いでなくてはならない。支店立ち上げにストレス耐性が貧弱な人間が抜擢されるはずもない。私は確実に、成功する黄金ルートを歩いている。私の頑張りは人事部長が公平に見てくれれば何よりであり、新しい部長がどのような人間であってもうまくやっていきたいと思う。そしていつか、「あの時の教育係さん、ちょっと酷いな~って思ってましたよ。でも、本当に感謝してます」と、モンスターと酒を酌み交わしたい。