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回顧録その1:Diablo(初代)の話

以前にも書いたが、私が初めて購入したWindowsPCはソニーのVAIOというブランドのノートパソコンである。スペックはここに書くのも憚れるほどの低スペックだが、それはパソコン界隈の技術進歩が速すぎるためにそう感じるのであって、1998年当時として、それはそれなりにきちんとしたスペックであった。あんまり売れなかったようであるが。

こちらが当時の記事である。「MMXペンチアムって何やねん? CPUってセレロンとかコアデュオとかじゃないの? それに266MHZとはいったい何事? クロックってGHZじゃないの?」と若者は思うだろうが、こればかりはもう時代のせいとしか言えない。大体、あの一斉を風靡したファミリーコンピュータなんて、CPUの動作周波数は1~3Mhzである。周波数なんぞ飾りなのである(ウソ)。

そんで、このノートパソコンで、私は初めて「オンラインゲーム」というものに触れた。それが今回のタイトルでもある「Diablo」というアクションRPGゲームである。今回はそこら辺の思い出を、できるだけ記憶を呼び起こして書いておこうと思う。私も年齢が年齢なので、死ぬ確率は若者に比べれば跳ね上がっているはずであるからして、頭がはっきりしているうちに若かりし頃の思い出を書き留めておこうという魂胆である。

どこから書いていいかあまり指針がないのだが、とりあえずこのDabloというゲームに関して簡単に説明しておこう。

これがDiabloだ。アルファベット「O」のフォントは未だに慣れない

こいつはアメリカのBllizardというスゲー会社が出したアクションRPGで、今で言うハック&スラッシュのまあ元祖みたいなもんである。歴史を遡ればハクスラの元祖はWizardlyだいやRogueだみたいな意見もあるのだろうが、世間一般にハクスラという概念を浸透させたのはこのゲームで間違いないと思う。

これがプレイ画面。当時のモニタは4:3だったのである。

画面は斜め見下ろしの疑似3Dで、実際の描画は2Dである。ゲーム内容はまあ取り立ててややこしいことはなく、とりあえず自キャラを三種類(戦士、弓、魔法使い)から選んでわんさか湧きまくる敵を血と臓物を撒き散らしながらぶっ殺しまくってレベルを上げつつアイテムをかき集め、そん中につおい武器があったら喜んだり、しょぼいドロップばっかりだったら怒ったり、そういう繰り返しをしながらボスであるDiabloを倒して、倒したらまた新しくマップ作ってわんさか湧きまくる敵を血と臓物を撒き散らしながらぶっ殺しまくってレベルを上げつつアイテムを以下略、というまさしくハクスラを絵に描いたようなゲームであった。

ただ、このゲームの革新的なところは、「バトルネット」と呼ばれるインターネット経由のオンラインロビーが用意されており、誰でもそこへ無料で参加することができ、そこで仲間を募って4人までの協力プレイが始められることだった。

当時、やっとこPCが購入できた私は、インターネットにこそ繋いではいたが、このオンラインゲームというものはなかなかに敷居が高かった。なにしろ、それまでの私には概念すら存在しなかった「見知らぬ人とオンラインで繋がっていっしょに遊ぶ」というものが、想像の範疇を超えていたのである。まったく未知の世界であったから、そこへ踏み出すのはやはりどうしても二の足を踏んでしまうのである。

ちなみに当時のインターネットは、電話回線をそのまま利用して接続していた。今では信じられないかもしれないが、その名の通り、近所のプロバイダまで電話をかけていたのである。「もしもし? オレオレ。ちっとさー、今からインターネットに繋げたいんだけど、いい? あ、IDは◯◯でパスは◯◯ね」みたいな感じである(これはウソで、実際はPCが「ピー。ガーガーピーピーガー。ピーヒョロロロロロ」とか鳴って電話回線経由で接続していた)。

ほんで、電話回線だから、要するに、インターネットにつながっている間はずーっと電話をかけっぱなしの状態なのである。誰かに電話をかけたければいったん切るしかない。誰かから電話がかかってきても話し中である。キャッチホンを使っている人だと接続が切れたりもする。そして、当たり前のように「通話料金」というものがかかる。だってずっと通話状態だから。大体3分10円ぐらいだろうか。1時間で200円。5時間で1000円。それが1年なら365000円である。目の玉が飛び出るような金額だが、当時はそういうものだったのである。しかもこれは回線の接続料金だけで、実際はこれにプロバイダとの契約料もかかるのである。これがまたいわゆる従量課金制だったりして、ホント、当時のインターネットは金がかかる贅沢品だったのだ。

しかも、想像できるかもしれないが、電話回線だから送受信の速度がめちゃくちゃ遅い。「さーて、今日はちょっとハッスルしちゃいますか?」とかよからぬことを考えてエロ画像なんかを検索してあーでもないこーでもないと厳選に厳選を重ねてみても、お目当ての画像が表示されるまでにすんげー時間がかかる。あたかもガンツの転送のごとく、頭のてっぺん(あるいは足先)から、ジワリジワリと表示されるのである。当時を知らない人には想像しづらいとは思うのだが、今だったらサムネ程度の画像でも全部表示されるまで2~3分かかるなんてのはザラだった。時には、「なんか表示おっせーなー」とか思ってたらいちばん肝心なアレとかコレとかを写す前に「connection timed out(相手の反応ないから接続切っとくネ)」エラーが出て愚息とともに涙をこぼす、なんてことも普通だった。

ただ、そんな貧弱な大日本のインターネット環境にもかろうじて救いの手が差し伸べられており、それが有名な「テレホーダイ」である。こいつはNTTのサービスのひとつで、指定した電話番号に限り、夜11時から朝8時まで月極料金で通話ができるというものである。

おそらくだが、当時日本でオンラインゲームを遊んでいた一般人のほぼ100%が、このサービスを利用していたと思う。当時一緒に遊んでいたメンツの中には「会社に残って会社のPCと回線で遊んでる」みたいな剛の者も少数いたが、一般人はみんなこのサービスを利用していたはずだ。

けれどこのテレホーダイも不便な点があって、これは要するに日本中のインターネット利用者が「夜11時になると一斉に繋ぎだす」という恐ろしい状況を生み出す元凶でもあったのだ。だから11時になると北は北海道から南は沖縄まで、待ってましたとばかりにそこら中の有象無象がインターネットを求めて蠢き出すという地獄絵図が繰り広げられており、特に人口の多い地域なんかだと、ほら、詰まるところ電話だから、「かけてもかけても繋がらねーじゃねーか! 金返せ! インチキ! インチキ!」みたいな悲惨なこともあったのである。

こういう有り様だったから、当時の日本のオンラインゲームというのは、やはりごく一部の好事家だけが遊んでいるものだったと思う。そもそも11時からじゃないとまともに遊べないという時点でごく普通の生活を送っている学生とか社会人とかは無理だったわけだ。したがって、当時よく一緒に遊んでいた連中は、ゲーム開発会社に所属していて昼夜の概念がないとか、学業はどこかに置いてきた破綻した大学生とか、暇な家事手伝いとか、享楽的なフリーターとか、あるいはテレホーダイの時間に無理やり合わせてキチガイみたいな生活スケジュールで生きている社会人兼廃人とか、まあろくな人間はいなかった。

当時の私は幸いなのか不幸なのか分からないが、仕事が昼~夜であり、仕事が終わって飯食って家に帰るとちょうど11時過ぎ、みたいな、まさにテレホーダイに合わせたようなワークライフバランスだったので、実に都合が良かった。オンラインゲームで遊ぶ前も、朝方5時に寝て昼12時に置きて出勤、みたいな生活だったし。

さて、話が逸れたがDiabloである。

でまあ私も意を決してそのオンラインゲームに挑もうと思い、Diabloを購入したのだが、当時はこれを買うだけでも一苦労だった。開発販売元であるBllizardという会社は世界的にも有名な会社で、出すゲーム出すゲーム軒並み大ヒットという極めて優れた実績の企業なのだが、当時、日本にはBllizardの正規代理店がなかった。というか今でも日本にはBllizardの正規代理店はないし、まともなローカライズもない。この辺りの事情は詳細は知らないのだが、一時代理店をやっていたソースネクストとかカプコンとかのやらかしが原因だという噂である。

だから、Diabloを買うには、個人輸入をしているどっかのショップの通販で買うしかなかったのである。今はダウンロード販売があるから、Bllizardのゲームも公式HPでポチポチやれば簡単に買えるのだが、当時は買うだけでも結構めんどくせーことになっていたのである。

さて、購入もして、インストールもして、ソロプレイでだいたいな感じを掴んで、そんでやっとこさ私もBattleNetにデビューしたのだが、当たり前のように、当時のロビーは日本語なんぞ使えなかった。

4gamersからコピーしてきた。無断転載すいません

日本サーバーなどもなく、USサーバー上に、ローカルなルールで作られていたJPNチャンネルが、日本人プレイヤーの集合場所だった。日本語が使えないから、みんなそこではローマ字で会話していた。

Tarou: konnnichiwa :)
Gomaki: konbanwa- (warai
Kuraudo: dareka buttya- ikimasenka?
Ares: sine
natti: omae ga sine
Suezou: lol

みたいな感じで、なんかもう混沌の極みというか、誰と誰が会話してんだか、楽しい場所なのか恐ろしい場所なのか、ここにいていいのかいてはまずいのか、何がなんだか分けがわからない場所であった。

私はこれらの流れ続けるチャットに圧倒され、そもそもそれまでチャットというものをしたことがなかったこともあり、呆然と魑魅魍魎たちの意味不明な会話を眺めていた。もちろん参加することもできなかったが、なんとなく、「今この時間にコイツラが日本のどこかからここに参加しているんだなあ」と、今まで想像もしなかったフィールドにこんなにゲーマーがいるということに喜びを感じていたように思う。

で、しょうがないから私は適当にゲームに参加してみた。

Diabloのマルチプレイは、誰かがゲームを立てて、そこに後から参加するという形だった。だから私は今参加できるゲームのリストを眺め、適当に入ってみた。

それなりにソロプレイで育てたアマゾン(弓キャラ)だったが、ゲームを遊ぶとかコミュニケーションを取るとか以前に、街を出て一分ぐらいで部屋主に瞬殺された。私を殺した外人と思しき部屋主は「hehehe」とか「lol」とかほざいていたが、私はあまりのことに茫然自失であった。そして、気を取り直した私は速攻でDiabloを終了し、「オンラインゲーム怖いよう」と泣きながら布団をかぶって眠りについた。

Diabloにおいて、キャラ同士の攻撃判定は基本的になくならない(と記憶している)。町中では攻撃は不可能だが、一歩町を出れば剣も弓も魔法も普通に当たる。だからいわゆるPK(Player Killer)が掃いて捨てるほどいた。

こうして私のオンラインデビューは、ものの数分で終わったのだが、私は翌日も性懲りなくDiabloを起動した。昨日は外人の部屋に適当に入ったからまずかったのだ、日本人の部屋に入ればああいうこともないだろう、と反省したのである。

そうして、BattleNetのチャットを眺めては、人の良さそうな部屋主の部屋に参加する、というように遊び始めた。プレイ自体がどうだったかの記憶はほとんど残っていないが、そうする中で、徐々に知り合いが出来始めた。

結局、上でも書いたように、夜11時を過ぎて朝方まで延々とBattleNetに居座っているような輩はそうそういないのである。だから自然と顔見知りというか顔じゃないから名前見知りというか、お互いがお互いに「コイツいっつもいるなー。よっぽど暇なんだな。しょうがねえやつだまったく」みたいな親近感がだんだん生まれるのである。

今はオンラインゲームと言っても別に珍しいことでもないし、下は幼児から上はご老人まで多くの人が遊んでいるから、オンラインゲームをしているだけで親近感が生まれるということはないだろうが、当時はそういう遊びをしている人間は非常に少なかったので、自然に親しくなれたのである。

そうして、私は毎晩毎晩BattleNetに入り浸りローマ字でしょうもないチャットをしたり、時には部屋を立ててボスを殺したり、外人のPK部屋に仲間と共に入って殺し合いをしたり、韓国サーバーに遠征して韓国人とケンカしたり、振り返ってみると実にアホらしいことばかりなのだが、飽きることなくDiablo生活を満喫したのであった。

ちなみにその時期のDiabloはもうゲームが発売されてから結構時間が経っていたので、チートもハックも横行していた。あらゆる攻撃を盾ではじく戦士とか、壁をすり抜けて飛んでくる矢とか、無限のマナで魔法を連発するウィザードとか、もうそこらじゅうにいた。何しろ、ゲームデータがユーザーのPCに保存されていたから、改造が仕放題だったのである。

ハクスラを根底からくつがえすような最強武器の量産も、ツールで簡単にできた。だから、暇つぶしにそこらへんに立てられたゲームに入ってみると、町の真ん中に最強武器が山盛りで置いてあってご自由にお持ち帰りください状態である、みたいなことが日常茶飯事だった。

これはDiablo3のものだが、当時の最強武器KSOHである

正味な話、Diabloのマルチプレイはゲームとしては破綻していたと思う。

オンラインでまともにプレイしている人間はほとんどおらず、BattleNetに毎日のように来る連中も、ほとんどはチャットが目的で、真面目にハクスラを楽しんでいた人間は少数派だったと思う。

ただ、Diabloが初めて経験させてくれた、「今この時間に遠く離れた仲間とリアルタイムに喋り遊ぶことの楽しさ」というのはやはり強烈なものだった。部屋に一人でいても、インターネットを経由してBattleNetにさえ行けば、そこには自分と同じような同好の士がたくさんいて、そいつらとバカを言ったり協力プレイしたり殺し合いをしたりできる、というのは本当に楽しかった。

そして、Diabloがだんだん下火になり、BattleNetで知り合った友人たちとICQ(当時のメッセンジャーソフト)やIRC(当時のチャットシステム)で連絡を取り合うようになったころ、私と友人たちは、先に始めていた仲間の誘いでUltimaOnlineに移住することになる。

最新のICQらしい。当時はこれで連絡を取るのが流行りだった
こちらはIRCクライアントのChocoa。これも当時はメジャーだった

またこのUltimaOnlineというやつがとんでもねーゲームで、もうなんかゲームと言うより「一つの世界」だったというか、「別の人生」というか、まあとにかくものすごいゲーム体験だった。私はDiabloから始まってアレコレとオンラインゲームを遊んできたが、未だにいちばん衝撃を受けたのはUltimaOnlineであると断言できる(ちなみに、いちばん時間を使ったのはおそらくEver Questであろう)。

とりとめのない話になったが、ひとまずDiabloに関する思い出話はこの辺にしておく。いろいろと思い出すことがあったら随時改定していくつもりではあるが、今回のnoteは実にまとまりのない話で、申し訳ございません。

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