見出し画像

『やさしさ』を絶やさぬ世界であってほしい



やさしいね、と言われることが嫌だった時期があった。

正確には今も少しそうかもしれない。

もちろん「やさしい」は褒め言葉だと思っているし、言われると素直に嬉しい。でも、98%が嬉しい気持ちだとしたら、残りの2%くらいは、心の奥がちくりと疼くような複雑な気持ちになる。

「やさしそう」「やさしいね」そう言われる度に、本当はそんなことないんだよ、私多分あなたが思っているほどやさしくないよ、と心のどこかで卑屈になってしまう。自分だけが知っている自分の黒さやずるさを抱えて、「やさしそうな雰囲気」と言われると、相手を裏切っているような気持ちになる。

そして、同時にいつも思っていた。

やさしいって、大変だよ。


◇◇◇

昨日、大阪にいる仲良い友達と、夜中にビデオ通話で盛り上がった。

彼女も私と似た部分が多くて、昨日はグループワークでの立ち回り、理性、直感、効率の良い生き方などいろいろ話した後に、「やさしさ」についてたどりついた。深夜にするボリュームの話じゃないです(笑)

「私、割と繊細だと思うのね。」私が恐る恐る言ったら、友達が

「え、うそでしょ?いまさら?いや”割と”じゃなくて、あっちゃん”ふつうに”繊細だよ(笑)」

と、けらけらと爆笑されてしまった。

繊細であること。薄々気づいていたけど、認めたくなかった。普段の生活ではあまり出さないようにしているから、本当に親しい人しか気づかないと思う。

他人の言動で傷ついても、傷ついていないふりをするのはそんなに難しくないし、そうやって繊細であることを認めないことで、ある意味自分を守っていた。


自分で言うのも何だけど、私はよく、やさしいねと言われる。

やさしくない時もたくさんあります(笑)
ケーキは大きい方を食べたいです。たまにどうでもいいことで怒ります。


でも、私のやさしさは、繊細であるがゆえ成り立っているものでもあると思う。

自分が人の言動をもろに受けてしまうからこそ、言動には責任を持ちたいし、ささやかな優しさが人を救うことを知っているから優しくしたいし、自分が傷つきやすいからこそ、その打撃の深さを知っているからこそ、安易に人を傷つける発言なんて絶対にできない。

なるべく、できるだけ、世界はあたたかくて、眠くなるくらい心地良い穏やかな場所であってほしい。


でも、現実はそんな風にはいかないわけで。


やさしく繊細でありながら生きるのってむずかしい。

やさしいのも、繊細なのもやめたいと、結構本気で思うこともある。絶対、もっと生きやすくなる。

自分の心の柔らかい部分を、硬くさせることができれば、自分を守れるのかもしれない。感情の起伏をなるべく小さくすることで、感覚を麻痺させることはできるかもしれない。こどもだった頃は、無条件に大きく動かせていた感情。自分が生きやすくなるために、感情の動きを小さくして、心が硬くなっていくことが、おとなになることなのかもしれない。そうやってみんな自分を守っている。

友達は、そんな心を「おとなの心」と呼んだ。

おとなになるって、少し悲しいことかな。私は寂しいことだなぁと思う。でも生きやすくなるためには、嬉しいことなのかな。


「ねぇ、私もそうなりたいの!やさしいのも繊細なのもやめたい!」


私がそう騒いだら、少し間を置いて、友達が言った。


「でも、私は、やさしい人でありたいと思うけどなぁ。」


ハッとした。やさしい人でありたい、か。

彼女も私と同じように、傷つきやすくて、脆くて、他人にすぐ感情移入してしまって。でも彼女は、だからこそ自分のやさしさがあることを知っている。それでも、やさしくありたいと言えるのだろうか。言えるんだろうな。

”それでもやさしい人でありたい。”

その言葉に、その瞬間勇気づけられた。

ねぇ、私こんなに繊細でやさしいって言われて、それが嫌な時もあったけど、なんなら今もたまに嫌になるけどこのままでいいの?


◇◇◇

やさしいからといって、お金を稼げるわけでも、良い成績をもらえるわけでもない。

やさしさは、武器にも強みにはならないんじゃないか。

「そう考えると、“やさしい人”って“何もない人”ってことなんじゃないかって思って悩んでいた時期があった」と友達が言った。わかるよ、その気持ち。私も就活の時そうだった。やさしいって言われる度に、そんなの無意味だって卑屈になっていた。やさしいのって、何もないじゃん。むしろ損じゃん。“やさしい”から“許してくれるだろう”と甘えられたり、気持ちを無下に扱われたことがすごく悲しかった。


それでも、一つだけ確実に言えることがある。


やさしさは、人を救う。

そして、やさしい人たちがいるから、世界は成り立っている。



◇◇◇

やさしさがあるから、世界は成り立っている。

それは本当のことだと思います。


アメリカでBLM運動が勃発した。

アフリカの国々ではワクチンも医療も追いついていない。

毎月届く、UNHCRからの心痛い難民ニュース。


そして、ウクライナで戦争が始まってしまった。


生きているだけで、悲しいニュースがたくさん渦巻いている。

でも、みんな遠い国なのに、寄付をしたり、想いを馳せたり、声を上げたり、一緒に悲しんだり、温かいメッセージを届けたり。

やさしくて、あたたかい。

そんなやさしさがなかったら、一体世界はどうなってしまうんだろう。


◇◇◇


なんにでもなれるとして、どんな人にでもなれるとしたら、どんな人になりたい?

強い人?かっこいい人?愛情深い人?


私はね、温かいひとになりたいな。

温かくてやさしくて強いひとでありたい。


就活期にもらった数々の励まし、呼び出したらいつでもマックに駆け付けてくれる友達、誕生日に届くメッセージ、帰り気を付けてねという母からのライン。

やさしさを受け取ったから、もう少し頑張ってみようと思えた。

あの時の誰かのやさしさがあったから今の自分がいる。

私は生きてこれた。


「やさしいね」そう言ってもらう言葉の裏側で、誰かが救われているということ。

やさしいのは大変だ。それでも、やさしい人でありたいなとはやっぱり思うんだ。

そして、ひとりでも多くの人がやさしいままであってほしい。

やさしさを絶やさぬ世界であってほしい。

届けたやさしさのかけらで、誰かが救われていることを信じて。


最後まで読んでくださりありがとうございます😊



あこ

















いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集