日下野由季『句集 馥郁』(ふらんす堂・平成30年)
みなさま、こんにちは。
今日は『句集 馥郁』という本を見ていきましょう。
本書は日下野由季さんの第二句集で、第42回俳人協会新人賞を受賞されました。俳誌「海」の編集長をなさっています。
俳人の大木あまりさんが栞文を寄せています。大木さんの「どのページをめくっても、透明な句に出会うことができる」という一節が本書を象徴していると思います。とても素敵な句集です。こういう本はめったに出会うことができないので貴重です。
外に出て金木犀のかおりに出会うと、秋の深まりを実感します。
春の沈丁花とともにかおりの良い花の代表ですね。
掲出句は、散文にしてしまうとなんでもないような情景なのですが、五七五という器におさまると途端に詩情を帯びるのが不思議です。
『みだれ髪』所収の与謝野晶子が終生最も愛した歌のひとつ
「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」が自然と連想されます。「ごとく」という断定を避ける表現が柔らかくてやさしいですね。さりげない措辞に漂う余情を味わいたいと思います。
俳句に時折出てくる羅とは、絹織物の絽・紗、麻織物など、夏の和装に用いる極めて薄い織物のこと。秋櫻子の『俳句小歳時記』によると、「主として婦人、しかも上品な人にふさわしい」という記述があります。やや主観の入った注釈ですが、それゆえ実感が伴っており納得のいくものです。
「水のごとくに」という比喩が秀逸。透明度の高い句です。
湯舟にぷかぷか浮かぶ柚子。かおりを感じなくなってきたら、そっと手に取ってみる。湯面が動いて、ふわっとかおる。日下野さんはそのさまを「あらたまる」と表現されました。何気ない日常のひとこまを丁寧に掬った句で、しみじみと共感を覚えます。
あとがきに「生涯の伴侶と出会い、小さないのちを授かりました」とあります。調べてみると、胎芽とは、妊娠8週頃までの胎嚢のなかにいる赤ちゃんのことを指すそうです。そうか、ひとのいのちも芽吹くというのか。
日下野さんの新しい生活が始まっていきます。第三句集が発刊されるのを楽しみにしております。