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【現代アート⑧】アンディ・ウォーホル|ポップアートの代表者

常識には普遍性のあるものとないものがある。前者は疑う必要のない常識だ。例えば、時計の針は右回りだとか、朝が来たら昼が来てその後に夜が来るとか、校長先生の話は長いだとか。こうした常識には普遍性がある程度存在する。

しかし、普遍性のない常識には疑いの目を向けることが肝心だ。

例えば、時代や住む地域によって変わること。かつての時代と今の時代、人々が自然に見ているものは違っているはずだ。

そう言った観点からアンディ・ウォーホルのやったことを見ると面白い。今回はかの有名なポップアートの神様、アンディ・ウォーホルを紹介する。


❶「社会現象」をモチーフに

マリリン

戦後、アメリカは隆盛を極め、大量生産・大量消費の権化となった。

そんな中で大衆文化が花開き、身の回りには陳腐なものが溢れ出した。

例えば、キャンベルスープの缶、ドル紙幣、マリリンモンローなど、普段からアメリカ人が目にしている、いわば「自然な風景」をウォーホルはハイ・アートの領域に昇華させた。

つまり、ポップアートとは、ポピュラリティのある大衆的なもの(ありふれた製品、生活様式、漫画など)をモチーフとしたのである。

かつての中世の時代、人々が森や農村の情景を自然な風景として見たように、

ウォーホルは、低俗で大衆的で陳腐なものを、大量生産・大量消費時代の、ある種の自然な風景として捉えたのだろう。


❷ビジネスの天才 アンディ・ウォーホル

ウォーホルパーティ

彼は大衆の心理を理解する天才だったのかもしれない。

18歳のころまで、彼には親友がいなかったという。だから(?)なのか、彼はパーティを開いて、人を集めるようになった。

初めは全然人が集まらなかったウォーホル主催のパーティだが、徐々にウォーホルの変質ぶりに皆が興味を示し、彼のパーティは少しずつ盛況になったという。

その中で、彼は「時代」や「大衆」の求めることが分かったのだろう。

好調なビジネスは、何よりも魅力的な芸術だ。

とウォーホルが言った通り、彼はビジネスマンとして商業的な戦略に優れていた。

例えば、1962年、性の象徴ともいうべきマリリンモンローが死を遂げた年、彼はいち早くマリリンをモチーフとしてアートに取り込み、商業的デザインとして落とし込んでしまったのだ。(なんと軽薄というか、浅はかというか…。)

それでも、この作品は大衆の心を掴んだ。タイムリーで時代の潮流にあっていて、それでいてちょっぴりセンセーショナルな作品に大衆は盛り上がった。

毛沢東

ニクソンが毛沢東を訪問した時だってそうだ。政治的な問題は一切スルーして、彼は民衆が求めるものをただただビジネス的に作り上げた。


ちなみに、彼の制作を進めるアトリエは「ファクトリー」と呼ばれ、まるで工場のように芸術作品を作ることで有名だった。

巨大な作品を分業的に制作、たくさんのアシスタントを集め、働かせ、機械的にアート作品を生産していたのであった。

こうしたところにも、彼の革命的な側面が垣間見れる。


❸Think Rich Look Poor(見た目は貧しく、思考は豊かに)

ウォーホルかっけえ

最後に僕が一番好きな名言を添えて。

この言葉を反芻すると、軽薄で表面的なだけの人物に見えるアンディ・ウォーホルも、実はものすごく裏で考え、豊かな創造性をもった人間だったのではないかと思う。

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