#131 WAIS-IV(知能検査)受けてみた
まえがき
本記事は、引きこもり経験者で現在無職の私が「WAIS-Ⅳ」という知能検査を受けて感じたことを中心に記されています。
他所様の役に立つかは甚だ疑わしいのですが、一瞥していただけると幸いです。
検査を受けるきっかけ
私は今年の春に入社し、その会社を3日で辞めています。
この経験が事の発端になります。
殊に最近の私は、こうした「スピード退社最短記録」を着実に更新しておりまして、どうも「自分は何らかの異常があるのではないか?」という疑念を抱くようになりました。
何せ昔から「働かない」「働いても続かない」のコンボを連発する人生だったものですから、そう思っても無理はないと思いませんか。
そして、このまま以前と同じように就職したところで、同様の失敗を繰り返すような気がしたのです。
そこで、私は近年巷で話題の(?)「大人の発達障害」というものの可能性を洗い出してから進路を再考し、再出発しようと考えました。
ネットで調べてみると、どうやら私が以前かかっていた病院で検査ができるということが判明しました。
ならば話が早い、善は急げだ、と鼻息を荒くして早速受けてきた、というわけです。
WAIS-Ⅳとは?
病院で医師に事情を伝えると、「WAIS-Ⅳ」なる検査を実施しましょうかと言われたので、それを受けることにしました。
WAIS-Ⅳとは、ずばり知能検査です。
5つ(4つの指標+総合的な指標)の項目における得点を算出し、分析するといったものになります。
発達障害を特定するための検査ではないようですが、その判断材料を得る為によく用いられるのだとか。
私の場合は、検者と被検者の一対一で検査が行われました。
検査には数種類の課題があります。
人によって処理速度が異なるので一概には言えませんが、私の場合は所要時間が90分ほどであったと記憶しています。この辺は検査の課題をこなすのに必死だったこともあり、記憶が曖昧なので、ご容赦ください。
WAIS-Ⅳに関しては下記のサイトが解り易かったのでリンクを貼っておきますのでよろしければ参照ください。
WAIS-Ⅳの結果や如何に?
それで、私の結果なのですが、
なんと全ての項目が平均レベルを満たしていました。
ふむ。はて。ほほぉ。うん。そうだね。
言語理解(VCI)だけが平均よりも上となっており、それ以外は全て平均レベルとのことでした。中々、凡庸を極めていますね。否、中庸と言ってあげたい。
まぁ、なんというか、想像以上に普通過ぎる結果が出たものですから、拍子抜けしてしまったのが正直な感想です。しかしながら、知的能力に大きな問題なし、という結果が出たことで安堵の念も抱きました。
知覚推理(PRI)とワーキングメモリー(WMI)に関しては本当に自信が無かったので、これは嬉しい誤算でしたね。とはいえ、ギリギリ平均レベルに食い込んでいるような感じなので、日によっては平均未満になってしまってもおかしくはないかなぁ、という気もします。
それらが、私にとって相対的に苦手な分野であることは間違いなさそうです。検査者の総評でもそれらは「苦手と考えられる」という旨が記されていました。あらら。
目で見て理解することと、短時間でものを覚えることは、以前より強い苦手意識がありましたから、そうした主観はあながち間違ってはいなかったようです。
私の苦手なあれこれ
私は、ものごとを言語と長期記憶で処理している傾向があるという自覚があります。
だから某SNSアプリの「スタンプ」や家電などについている「記号」、あるいはみんな大好き「グラフ」などによる忙しないやり取りは非常に疲れます。というか、結構わけが分からない感じです。視覚が強い人、多すぎやしませんかね。
ちなみに、私が苦手とする読譜および初見視奏は、知覚推理とワーキングメモリ―にとても依存するものですよね。どうりで苦手なわけです。
謎がどんどん解けていきますね。感覚が裏付けされていくというか。まぁ、だからといって苦痛が和らぐわけでも状況が激変するわけでもないのですが。
私は音楽を聴覚と意味(文脈)と身体性で捉えていますから、実は視覚は殆ど使っていないんです。
楽器演奏時のポジションを確認する際には使いますが。というか、私の目が活躍するのはその時だけじゃないですかね。
それから、昔の職人気質の「見て学べ」という学習法もまた、私には不向きといえるのでしょう(まぁ、見て学べ、というのは「能動的に自分で掴み取れ」の意だと思うので、文字通りに受け取ってはいけないとは思いますが)。
そんな世界に行こうものならポンコツ確定ですね。
なんというか、生まれる時代が悪ければ確実に野垂れ死にですよね。危ない危ない。人は目から入る情報にかなり依存していますから、それが弱いというのは結構致命的な気がします。
しかし、それでも、捨てる神あれば拾う神あり、とも言うようですから、必死に生きていれば案外なんとかなるのかもしれないですね。
ひきこもりの社会貢献
あまり悲観的になるのはよしましょうか。
私は他者の下に立つことで他者に自信を与える、という役を与えられたのだと思います。これは数年前からずっと感じていることです。ネガティブサイドのヒーラー、とでも言いましょうか。
人は虐めたり蔑んだり憐れんだりする対象がいないと、上手く自己を固定することが出来ないんですね。多くの人は基準というものを持ちませんから。
そういう所で、実はひきこもりも役に立っています。バリバリ体張った慈善事業みたいなものですね。皆、人生を賭していますから覚悟の違いが自ずと窺い知れるでしょう。それは壮大なプロジェクトです。ひきこもりの社会貢献の控えめなひとつの様相です。ご存知でしたか?
そこのあなた!自信を喪失しかけたら、私を見てください。あなたは十分過ぎるほど優れた人なんですよ!それを体感してください。
相対評価も使いようなんです。上手く使っていきましょう。二重思考。
医師の出した答えは・・・
すみません、話を戻しましょう。
担当の医師は、今回のWAIS-Ⅳの結果と共に私が以前受けた他の心理検査なども参照しつつ、「発達障害と見做すことは難しい」と結論しました。
まぁ、そりゃそうですよね、と思いつつ、さぁ、これからどうするか、やっていけるのだろうか?みたいな倦怠感が私の裡に渦巻いてきたことも事実です。
健常者とは一体何なのか、とも思うのですが、そういう哲学的な問いは一先ず置いておきましょう。兎にも角にも、私は「健常者」としての人生を模索することになりました。それが検査の先に見えて来た現実です。
WAIS-Ⅳは個人の得手不得手がわかりますので、それを参考にしていこうと思います。まぁ、こうしたことは一般論に過ぎませんが、とても大事なことです。当たり前のことを当たり前のようにこなせるのが一人前です。
斜に構えることなく行きましょう。
さぁ、悩み多き、迷える一人の健常者の船出です。餞を。
あとがき
実は本記事を書くにあたって、当初はルポ記事みたいな形式で書こうかとも思っていました。
しかし、私は目的に向かって行動することがあまり得意ではありません。気分が憂鬱だったこともあり、どうも気乗りせず、次第にやる気が無くなってしまいました。
それでも折角受けたWAIS-Ⅳについて記録しておきたいという思いから、手探りで書いていくことにしました。折衷案という名の妥協です。妥協してでも何とか書き上げたかったのですね。その必死さがいじらしくて、我ながら泣けてきます。
その結果として出来上がったのが本記事です。
まぁ、冒頭部にも記しましたが、この記事が直接的に誰かの役に立つようなものではないと思います。しかし、個人のもがく姿というか、「あがきの過程」を観察することから得られるものもまたあると思うのです。その一例として、本記事をnoteという森にひっそりと置いておきたいと思います。本記事は事実をそのまま記録したものですから、どうぞサンプルになさってください。
それでは、ここで筆を置きます。