#312 ホールズワースとの形而上学的接触
本日は8時30分起床の寝坊。バイトの疲れが蓄積されてきたので少々多めに寝ることにした。体調を崩してしまったら元も子もないので。
中途覚醒あり。2回ほど。
昨晩はうっかりしていて暖房をつけ忘れていた為か就寝中に寒さを感じることがあった。
寝つきは良かったが、途中で寒さを感じて目が覚めた。これは対策が必要な気がしている。
しかしながら、それでも毎日元気に過ごせていることは感謝せねばなるまい。
今冬に風邪など一度もひいていないもの。少し体調が優れない日こそあれど、葛根湯を飲んでしっかり風呂で温まると大概治る。というか、いまのところはそれで100%治っている。いぇい。ぴーす。
とはいえ、油断大敵。特に私は睡眠習慣が脆弱なので早寝の上達は今後も課題となるだろう。
レコードでU.K.の「憂国の四士」を聴く。
プログレ感とポップス感の塩梅がいい感じ。風変わりな歌モノを欲していた際によく聴いていたなぁ。懐かしい。
アラン・ホールズワースのギターは色気がある。ただのテクニカル系レガートギタリストとは違う。
藤岡幹大なんかは相当このアルバムのホールズワースから影響受けたのでは。多分。
ホールズワースは真にレガートなギタリストだと感じる。細かいニュアンスのコントロールなども絶妙。先ずもってピッキングが上手い。そしてよく歌う。
原点にして最強。我らが大将。こりゃあ参りました。誰もが認めざるを得んでしょう。
スラ―を増やすことがレガートではない。
ピッキングを多用してもレガートに聞こえればレガートである。
私はホールズワースから直接的な影響は受けなかったが、結構気づきを貰った気もする。
それから、昔はホールズワースを聴いてやる気が出たものだが、今となっては逆にやる気がなくなる。ギターを弾くよりも、ホールズワースを聴いていた方が良い時間のような気がするからだ。
私が行っているのは、楽曲分析ではなく形而上学に則ってホールズワースの本質に到達しようという挑戦的な試みである・・・・・
・・・・嘘です。記憶力が悪すぎるために採譜が億劫すぎるだけです。すんませんした。
私はニワカのホールズワース好きに他なりませぬ。
バイトを始めたことでちと金遣いが荒くなっているなぁ。
2000円のセーターを衝動買いしてしまった。
まぁそれなりに必要なものだったから別にいいのだが・・・・・
しかしながら、消費はあまり心を満たしてくれない。
今日の買い物においてもそうだった。
嬉しいはずなのに、何故だか虚無を感じる。
手に入るとつまらないのか?
手に入れるために試行錯誤している期間が楽しいのだろうか?
なんだかよくわからなくなってきたな。
先ほど書き忘れたこと。ホールズワースは音作りもうまい。当たり前すぎることか。以上。
バイトして得る金よりも、失われる時間の方が大きいと感じる。
どれほどの金銭をどのように稼ぐのか。量と質の問題。
これは本当に難しい問題だなぁ。
いっちょAIにでも聞いてみた方がいいのかもしれない。
思うに、私はオン/オフという感覚が無い人間だから、仕事と趣味を棲み分けしない方が良い気がしている。というか、今までの経験上そのように器用に生きることは出来なかった。
しかし、私には趣味しかない。趣味というか道楽だと思っているのだが。
道楽は仕事として機能するのだろうか?はて。
私には労働とか仕事といった感覚がないのだ。
ずっとあの頃から夏休みが続いている。
困ったものだ。
しかもこれといった才能や関心があるわけでもなく、どれも中途半端。
「やりたい」という能動的な欲が特にあるわけでもなく。
なんとなく、ダラダラと日常を過ごす。
そうした日々が続けられれば十分満足だが、もう少し熱く・泥臭く生きたいような気もする。
必死にならないと面白くなって来ないということも少しずつ分かってきた。
久しぶりに真っ新な紙に書いて考えるとするか。
今回はこれにて終了。
それでは皆さんさようなら。近頃はより一層寒いですから、体調を崩されぬよう。