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#77 良い飲酒とは何か?

先日こんな記事を書いた。

それに関して更に思うことがあったので、今回は再び「酒」をテーマに書いていこうと思う。


酒は極力飲まない方が良い。
そのように私は感じている。経験に基づく直感と言うやつだ。
なので、エヴィデンス至上主義者はここで躊躇せずにページを閉じて頂きたい。
得られるものは無い上、不快な思いをするかもしれないから。
しかし、酒は飲まない方が良いと思う一方で、酒を飲んでも問題ないケースもあると思っている。
それを「良い飲酒」と位置づけ、その基準・指標を提示しておきたい。

良い飲酒、それは、自他共に酒を飲んだ後に後悔しないことである。
なんとも、物凄く単純なことだ。
これを満たせるととても良い。
後悔しない/させないということは、「誰も傷つけない」と言い換えてもいいかもしれない。
要するに、節度を持って楽しむ、という元も子もないような一般論なのだが、これを困難にしてしまうのが酒なのだ。
常人にはどだいコントロールできるような代物ではないから、私は否定的にならざるをえないだけ。
鍛錬なき楽を享楽という。
酒を舐めてかからない。

仮にその時は気持ちよくても、後に後悔するのならば、それはリバウンドに他ならない。
しかも、それは単なる相殺とはならない。
少なくとも着実に肝臓は傷めつけられている。気分に関しては「前借して翌日返済」で済むこともあるかもしれないが、悲しいかなそれだけでは済まされないのが現実だ。
酒はノーリスクでないことを理解する。いや、頭では皆、嫌というほどわかっているのだが。
そもそも金銭的なマイナスを負っているのだから、どう足掻いてもノーリスクとはなりえない。希望的観測で見積もって、仮に心身がプラマイゼロで済んだとしても、どんどん金は無くなっていく。確実に。
しかし、心底好きなもののために様々な代償を払うことは悪いことではあるまい。
身体に良かろうが悪かろうが、やりたいことをやりたい、と思うのもまた自然な感情の発露であるのだから。
それに酒の持つ「美食」としての側面も忘れてはならないだろう。
だから、先述したような「良い飲酒」ができる者であれば、リスクを負って好きに飲めばいいだけ。そう思っている。
これもつまらぬ一般論かもしれないが。

やはり重要なことはシンプルだ。
そして、それが一番困難を極める。
世の中というのは一筋縄ではいかないようだ。


追記:「自他共に酒を飲んだ後に後悔しないこと」という指標を定めてはみたものの、それは「『後悔』という概念および感覚」と「それを判断できるだけの知性」を持つ、というのが前提となる。
何を当然のことを言っているのか、と思われるかもしれないが、心配性なものだから念のために記しておく。悪しからず。


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