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#352 坂本龍一、そして畠山地平

本日は8時45分起床。
9時からの「日曜美術館」を視るために眠かったが体を持ち上げる。
昨晩の就寝時刻は2時30分。いつも以上に遅い。なんだかなぁ。全く反省していない模様。
中途覚醒は一度。しかし、あっという間に再び眠りにつく。恐らく一分も起きていなかったのでは。
寒さは感じなかった。

ここ半年ほどは随分と大人しくしていてくれた病気不安が少しずつぶり返している。
とはいえ、大分扱い方(向き合い方・付き合い方)が上達しているのか、以前のように心が支配されてしまうようなことはない。

今日も頭重感が若干あった。
起床時あるいは午前中には発症している。そして時間の経過とともに緩解していく。

なまじっかテクニックがあると、余計なことをしてしまう。
テクニカルな人がそのテクニックを飼いならしている例は稀有といえる。
なんというか、大道芸人みたいになってしまうんだよな。それだけでなく、彼らは本質的に大道芸人なのに芸術家ヅラするから非常に質が悪い。
周りの者も持て囃すものだからいよいよ本格的にそうだと錯覚してしまうのではないか。
まぁ、SNSが彼らのような人々を必要以上に生んでしまった側面はあるのだろう。
能力は万能薬ではない。毒にもなる。
それを自家薬籠中の物とするには思慮を要するようだ。
思慮なき芸術家など、どれほどの価値があるというのだろう。

ドビュッシーもラヴェルもピアノは達者だったとは思うが、それでも「ピアノで大成できなかった組」である。
それくらいがちょうどいい技量なのかもしれない。
まぁ、私は全てに於いてテクニックが不足し過ぎているのだけれども。
テクニックは守破離の「守」段階だろうから、これがないというのも大分まずいなぁ、などと思う。
だのに、局所性ジストニア(フォーカルジストニア)を発症してしまったものだから、永遠に「守」止まりである。もうその道を追求することはできないだろうな。
それでも私がやりたいのは伝統的なものではないからよしとする。
・・・・と、言い聞かせて精神をバランスさせようと図っている。

今日の日曜美術館は坂本龍一の特集だったので珍しくリアルタイムで視聴。
エレクトロニカを経由して、坂本はどんどん音響的かつ「async」になっていったわけだが、こうした(極めて重要な)一面は割と今までメディアには放置されていたように思う。
メディアが取り上げる坂本の側面を大別すると、
「YMO(テクノポップ)のサカモト」「映画音楽(戦メリ/ラストエンペラー)のサカモト」「ピアノ音楽のサカモト」ではないだろうか(次点で「社会活動家のサカモト」)。
坂本が亡くなった際にテレビなどで組まれた特集は正にそのようなもので、そこに不足があるのではないか、と感じていたのは私だけではないと思う。
今回の企画展はそんなゼロ年代以降の坂本へと入門する端緒にもなるだろう。
そういう意味でも意義深い企画展と言えるのではないだろうか。

今日読んだ記事を貼っておく。

泣く子も黙るギタードローンのChihei Hatakeyama。
件の記事で紹介されていたYoutubeの動画を一瞥する。
私はコンテクストで理解するのが苦手だから、少しぐらいは頑張ろうと思う。
白状すると、ちゃんと視聴した訳ではないのだが、先人たちのドローンがどんな雰囲気や長さなのか、という概要くらいは解ったかな。
しかし、ドローンはちゃんと聴かないと解らない(体験できない)ことがある。
長尺の曲を飛ばして聴くのは本末転倒というもの。その尺の中を漂わなければ感じることが出来ないことがあるわけで。
映画などの映像作品もそうで、早送りなどは極力すべきでない。
これは時間芸術の特有の事情と言えるだろう。
腰を据えて聴きたいところだが、今は他に聞きたい音楽がある・・・・・・のでまたいつか。

そうだ、今日も散歩してないじゃないか。あれまあ。
立て続けにサボってしまったな。
いよいよ私の体力は貧しくなってきている。
歩くと心なしかふらつく気がするし、筋肉もすぐ疲労してしまう。
散歩と筋トレも日課に取り入れますかねぇ・・・・・

今回はこれにて筆を置きたいと思う。
ぬか床をかき混ぜて速やかに寝ようと思う。
それではまた。ごきげんよう。


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