見出し画像

50歳を過ぎてからは

心の中心は魂。
体と心は魂に仕える。
魂は精神に帰依し、精神が魂を満たす。
魂は心のなかに生き、精神は魂のなかに生きる。

魂を形成しつつ、魂として生きる精神は、
人間の自己として現われるから、
「精神的な自己」と呼ばれる。

自己は天界と物質界に向かい合っている。
物質界は感覚によって知覚され、
天界は直観をとおして現われる。
心、あるいは心の内に輝く魂は、
身体的側面と精神的側面に向けて、
扉を開いている。
感覚的な知覚は
個我のなかでの物質界の開示であり、
精神的な自己は魂のなかでの天界の開示だ。

地上に物質的な体があるように、
天に霊的な体がある。
物質的な体に生命が浸透しているように、
霊的な体に精神的な生命が浸透している。

心の核としての魂が
衝動・欲望を支配できるようになると、
心のなかに精神的な自己が出現する。
精神的な自己は「変容した心」と言える。
同様に、精神的な生命は変容した生命であり、
物質的な体が変容したのが霊体だ。

「西川隆範:シュタイナー人智学の研究」


  自己は天界と物質界に向き合っている。
  これは、映画「すずめの戸締り」でも
  常世・現世といっているものと
  同じだと思う。

  幼い頃、若い頃は
  天界と物質界どちらにも
  入りやすい気がする。
  だから、すずめは若い女性なのだと思う。

  毒親のために
  物質界を充分に楽しめなかったが、
  若い頃は物質界を
  充分に楽しむことが必要であり、
  物質界と取り組む時期であると感じる。
  
  「人生50年」ではなくなったが、
  やはり「50年」で
  ひととおり物質界との取り組みが終わり、
  そこからは
  精神的な自己を育てる時期
  だろうと感じている。

  魂がしっかりと
  衝動と欲望を支配できるように
  なるような
  年齢の重ね方をしたいものだ。

  

  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?