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芸術鑑賞の時間に考えたこと

先日、学校行事の一つとして、クラシック音楽の鑑賞会へ生徒らを引率して行きました。
自分自身も音楽の素養もないので、「やっぱり、ホンモノはすごいなぁ!」くらいの感想しか持つことができませんでしたが、音楽を聞きながら思いついたことを書き記したいと思います。

なんだかイライラする

入場の時点から、騒がしく、走り回っている生徒を見て、何しに来たんだとイライラ。
座席に座る際も、名簿順で座るのだと伝えていたのにも関わらず、ホールへ入るまでのいつの間にやら、ぐちゃぐちゃになってしまい、他のクラスもろともにスムーズに座れずイライラ。
いざ、舞台が始まってからも、こちょこちょと話し合っていたり、もぞもぞと落ち着かない様子にイライラ。
そして、オーケストラに合わせて、歌う人が珍しいのか、なぜかクスクス笑い出す雰囲気にイライラ。

はぁー、、、

この行事って何のため?

この行事は生徒がどう育ってほしくて用意されたものなのかと、ぐるぐると考え始めた一方で、じゃあ自分は何のためにこの空間にいるのかという思考に至りました。

「生徒に鑑賞マナーを伝えるため」 
「生徒に集団行動をいかに上手くするかを伝えるため」
「生徒にクラシック音楽の素晴らしさを伝えるため」

自分にとっても、滅多にないせっかくの芸術鑑賞の時間なのに、なんかつまらないな。。。

笑顔のメゾソプラノ歌手

そんなことを思っている時にふと、ステージで歌っている人の姿を見ると、クスクス理由もわからず笑っている生徒を見ながらも、笑顔で楽しそうに歌っていました。
自分が「クスクス笑いながら見ているなんて失礼だ!!」と憤っているのは、誰のため?
ステージで気持ちよさそうに歌っている人はそんなことは気にせず、自分が表現したいことを鑑賞している人たちに対して、思い切り表現している。
「表現者たちに失礼だ!!」と思っていた自分自身がなんだか恥ずかしく思えました。
人の気持ちを勝手に代弁したつもりになっていたのだと気づきました。

生徒らの素直な反応を目にすると

些細なことにイライラしていた自分よりも、歌詞のある曲がオーケストラで流れた時に、自然と口ずさんでしまっていた生徒や、「あっ、あの楽器、◯◯がクラブで担当してる楽器や!」と素直に話している生徒たちのほうが、音楽を本当に楽しめているのではないかと、思わされました。鑑賞マナーとしては演奏中にしゃべってちゃダメなんだけど。

もう少し素直な気持ちで鑑賞をしようと思い直し、舞台に立つ演奏者を見ていると「やっぱり、表現者ってすごいなぁ。」と感じました。

表現者と鑑賞者の境目

アンコールの曲で手拍子が始まった時に、舞台が一体化したことを感じました。そして、ただの鑑賞者であった私たちが、意識もせぬ間に、表現者の一端になっていたことに気づきました。
この時に、表現者と鑑賞者は、ある意味で表裏一体なのかもしれないと頭によぎりました。能動的な表現と受動的な表現があるのだと。

表現者としての自分

結局、いろいろな気持ちや思考の中で、私自身も音楽に集中できたとは思えませんが、ホンモノの表現者たちを前にして、自分も教育者として、ホンモノの表現をしていきたいと、改めて思わされました。

自分には、どんな表現できるのだろうか。これからも自分を見つめ、そして不易流行たくさんのことを学ばなければいけないなぁ。そんなことを思った芸術鑑賞でした。

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