A.マルティネスが退団
今季は支配下の新外国人を取らず、左翼のポジションを空けての起用となったがそれでも安定感のない打撃が続き、故障でチャンスを手放してしまったのが勿体なかった。今回は、そんなA.マルティネスの中日時代を回顧し、今後の期待を書いていく。
外国人捕手として鮮烈デビューも
僕が初めてこの選手を知ったのはナゴヤ球場の二軍戦。まだ200番台の大きな背番号を背負い、ひたむきに練習に取り組んでいた姿が印象的だ。ただ、外国人捕手という肩書きには疑問を覚えた。
数年間という長いスパンでの固定が求められるセンターラインの要の捕手を、外国人に任せていいのかという疑問だ。差別と捉えられてしまったら申し訳ないが、キューバからの外国人選手は「派遣」という形なので、代表チームに選出されたら例えペナントレースの最中でも向こうの予定に合わせてチームを離脱しなければならない。
投手のR.マルティネスやロドリゲス、両翼のレビーラやガルシアのように、代替の効かないポジションなので、理想は日本人選手の一本立ちということが立浪和義監督の構想にもあったのではないか。結局、両翼へとまわり無難にこなしたもののなれないポジションのせいか故障してしまったことが退団の引き金となったのだろう。
ハマった時のパワーは一級品
3年間の実働期間でA.マルティネスがNPBのスタジアムで架けたアーチはわずか12本。助っ人外国人としては少ない数だが、打った瞬間それと分かる当たりが多く、まさに転生の飛ばす力を持っているのだろう。
記憶に残る本塁打は今季の巨人戦。この日は長きにわたり巨人戦の実況をしていた河村亮アナウンサーの命日であり、この本塁打で実況担当のアナウンサーが「痛烈、一閃」と往年のT.ウッズが満塁本塁打を放った時の名実況をオマージュしたことが話題となったが、この本塁打も素晴らしい当たりであった。故障なく、1年間レギュラーを全うしたら20発は堅いのではないか。指名打者があり、捕手が手薄なロッテにはぴったりの選手ではないか。
最後に
中日は積極的に血を入れ替えるのではないか。コーチの入れ替わりも発表されたので、そろそろ新たな外国人選手の入団が発表されるだろう。
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