奈良の絵日記 斑鳩

2010年9月13日



前回の「奈良の絵日記 三日目」からの続きです。

軽い夏風邪と、軽い熱中症?で体調がすぐれない。
とはいっても、奈良に来た目的は法隆寺。
何としてでも行かねばならぬ。

近鉄奈良駅前からバスに乗った。
風邪薬のせいか、次第にトロトロと眠ってしまった。
危うく乗り過ごすところだった。
あぶないあぶない。

ふと足元を見ると、
「いかるが げすい」
なるほど…。
何がなるほどなんだろ?
正面に山門と五重塔を望む

山門前にて
法隆寺 山門

ちなみに山門とは三解脱門の略で、空門、夢相門、無作門を云うのです。

回廊越しに五重塔

西院伽藍に入り、回廊

回廊
講堂

五重塔
世界一美しい木造建築物と断言しよう。

五重塔
五重塔

金堂は失敗したので雪景色にして誤魔化す。

金堂

西院伽藍を、二時間かけて見た。
それでもまだ、時間が足りないくらいだ。

写真などでお馴染のアングル。

おっさん
若草伽藍北側

奥は東大門。
逆に、反対側をしばらく進むと、
藤の木古墳がある。

東大門

根拠の希薄な私見だが、藤の木古墳は崇峻天皇か、そのゆかりの皇族が被葬者か。
もっぱらの説は、土着の豪族。
物部氏、膳氏、平群氏、額田部氏などが有力視されているが、いまだに確定していない。
って、被葬者を特定するのは、もう無理でしょう。

築地塀は、後嵯峨天皇(だったかな?)が行幸の折に、寺側があわてて造ったものと、何かの本で読んだことがある。
それまではこの塀の内側も丸見えだったのだろう。
ここは若草伽藍があった場所であり、入鹿に攻められた山背大兄王の、厩戸一族が滅亡した場所でもある。
以後、財政的に困窮し続けた法隆寺だが、幕府が徳川になってからは手厚く保護された。
中でも有名なのが、桂昌院と綱吉母子だった。
かなりの資金や米を寄進している。

境内には松の木が多い。
松は枯れやすいから、何世代もの交代があったことは簡単に想像できる。
ところが、面白い逸話が残っている。
それは厩戸と父、用明天皇との会話だ。

用 「松の若木と、桃の花では、どっちが好き?」
厩 「松の方が好きやねん」

当然、関西弁なのだ。

用 「なんでや?」
厩 「桃の花はきれいやけど、すぐに散ってしまうがな、でも松は一年中青々としてるから好きなんや」

何しろ、二歳の時に東を向いて合掌しながら、「南無」と唱えたくらいの賢い坊やだったから、平安以降、この程度の逸話はゴロゴロある。
でも、厩戸を讃えるあまり、度が過ぎると嫌味になってしまう。
と、大人げなくひがんでみた。

夢殿

その厩戸が身罷った場所跡に建立されたのが、ご存知、夢殿。
夢殿といえば救世観音。
その御前立観音が、法隆寺秘宝展ということで、大宝蔵殿で限定公開されていた。
新しく造られた玉虫厨子や、私が畏敬してやまない西村公朝仏師作の仏像などは必見。

中宮寺で心ゆくまで、半跏思惟の仏様とお会いしてから法輪寺へ向かう。

法輪寺 三重塔

小寺だが好もしい佇まい。

法起寺遠望

のどかな風景に、ドーパミンが出て癒される。
ドーパミンって何だ?
脳内物質だろうから、脳味噌から出るのだろうが、一日歩き通しで乳酸も出る。
でも乳酸はどこから出るのだろう。
代わりに鼻水が出た。

また少し体調が怪しくなって来たので、再訪を決意して、早々に引き揚げた。
年齢と共に、確実に体力が落ちているのが分かる。

子規忌間近暮れ残る日の宝珠かな

築地塀越しに、夢殿の甍が見えた。

  続きます。

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