誰も人格に一目惚れなどしない
何かの拍子に、ある人が何故か気にかかるようになることがある。
立ち居振る舞い、容姿、声のトーンと、要因はさまざまだ。
もちろん、まだその時点では、相手の内面などわかりもしない。
しかし、わからないながらも魅かれていく自分に気づく。
それが恋の始まり。
逆に、どんなに頭脳明晰でも、そのライフスタイルが気に入らないと熱も冷め、一瞬で冷静になったりする。
第一印象の直観が、以後、意思のすべてをマイナス方向に固定化させるバイアスとなる。
だから人は、誰でも人格などに一目惚れするわけではないのだ。
何と勝手で厄介な生き物であることか。
平安時代前期、病弱だった仁明天皇の崩御を悲しんで出家した僧正遍照なる歌人がいる。
百人一首にも採られた、
天つ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ
の作者である。
まるで絹の肌触りのように滑らかで整った清らかな歌だが、気になるのは以下の歌だ。
名に愛でて折れるばかりぞをみなへし我おちにきと人にかたるな
をみなへし(女郎花)という評判の遊女(白拍子)がいた。
その女郎花を折り取ってしまった。
だが、外聞が悪いので他人には語ってくれるな。
歌に詠むくらいだから、一種の武勇伝的な、誠に悪趣味な歌である。
「我おちにき」とは堕落してしまったの意味だが、当時の階級制度を鑑みれば当たり前なのだろうし、古今集にも採られているので、当時は評判の歌だったことがわかる。
共感を得ていたわけだが、ここに女郎花の人格はない。
遍照は六歌仙の一人である。
ピンと来ないかも知れないので話を現代に置き換えるが、およそ30年くらい前か、ノーパン喫茶がブームになった時期があって、イブちゃんなるノーパン喫茶界のアイドル?が持てはやされていた。
そのイブちゃんとどうにかなっちゃったんだよ、くらいのことと思えばいい。
遍照の俗名は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)という。
桓武天皇の孫だが、母の身分が低く、皇籍からは外れている。
出家前から浮名を流した評判の多い人で、とにかく女性、それも身分の低い女性に限って心が動く厄介な人だ。
わび人の住むべき宿と見るなべになげき加はる琴の音ぞする
貧しい住まいから、女が弾く琴の音が聞えてくる、それは女の嘆きであろう、といったところだろうか。
スキャンダルを恐れてか、はたまたマザコンゆえなのか、これも身分の低い女性を詠んでいる。
それだけで済むはずはなかろう、と勘繰ってしまうのは深読みではあるまい。
マザコンらしさが窺える歌も遺している。
たらちめはかかれとてしもぬば玉のわが黒髪を撫でずやありけむ
「たらちめ」は「たらちね」と同意の、「ぬば玉」も「黒髪」に掛かる、どちらも言わずもがなの枕詞。
出家剃髪時に、かあちゃんが知ったら悲しむだろうな、丸めた頭をよしよしと撫でてなんてくれないよね、くらいの解釈でいい。
こんな調子で七十半ばまで生きた。
その間には小野小町との贈答歌などもあって、結構、人生を謳歌していたらしいことが推測できる。
この時は、石上寺に詣でた小町から秋波を送られている。
男としては充実した一生だったのだろう。
但し、女戒を犯した僧侶として、後世に名を残してしまった。
女性の歌ばかりが目につく高僧の遍照さん、いい時代を生きたね。
そして、女性を心から愛したことはあったのだろうか。
一方で、遊女の女郎花はどのような一生だったのだろう。
一般庶民の名が、こうして遺ることだけでも珍しい。
だが、女郎花はシンデレラにはなれなかった。
恋は嫉妬と監視と独占欲を呼ぶが、愛は情に変質する可能性を秘めている。
情が生じた時から、本当の男女関係がスタートするように思える。
関係に多少の軋轢があったとしても、その軋轢が情や絆を強くする。
歳を重ねて、初めて気づくことである。
見るに我も折れるばかりぞ女郎花 芭蕉
今回は遍照をディスってしまったので、機会を設けて名誉を回復させたい。