夏の日の思ひ出 白馬岳登山
今日は、2005年に逝った父の祥月命日です。
母の話は何度か書きましたが、たまには父との思い出を綴ります。
私が20歳の夏のことです。
おやぢと白馬岳に行きました。
出発前に、猿倉山荘をバックに写真を撮ります。
撮ってやるからと恩着せがましく、嫌がる私を撮りやがります。
私、ふてくされます。
とにかく出発です。
一般大衆も、続々と入山して来ます。
早々と、どこかの大学の山岳部に抜かれます。
山岳部の合宿といえば、定番のキスリングです。
重そうです。
すでにシゴキが始まっているのでしょうか。
大雪渓が見えて来ました。
これからが長丁場です。
すでに私は四回目なので、本音を言えば違う山に行きたいのです。
たとえば槍の西鎌辺り…。
白馬尻小屋に到着です。
大雪渓の見物で、観光客はここまで入って来ます。
いよいよ大雪渓です。
ここで、登山初心者のおやぢに4本爪のアイゼンを装着させます。
私は写真係で、おやぢを撮ります。
本当はさほど必要ないのですが、念のためスリップしを想定して、私の愛用のピッケルを持たせています。
滑落回避で体を反転させる制動の基本動作を教えました。
まあ、キックステップに慣れれば大丈夫なのですが。
まだまだ先は長いのです。
楽しいことを考えて気を紛らわそうとしますが、それも無理でウンザリします。
逆に、こんな時に限って針ノ木の登りを思い出し、激しくウンザリします。
佐々成政を熱烈に尊敬します。
また、撮れと言いやがります。
霧が湧いて来ました。
でも、汗をかいた体には、涼しくて気持ちが良いのです。
写真を撮ったり休憩している間に、単独行のおねーさんと前後します。
おやぢなんかより気になり、カメラを向けます。
大雪渓が終りました。
後続のありんこたちが行列を作って登って来ます。
「おーい雪崩だぞぉ~落石だぞぉ~」
と叫びたくなりましたが我慢します。
小雪渓をトラバースします。
山岳部の若い衆を先に行かせます。
小雪渓を振り返ります。
せっかく登ったのに、また下ることを思うと、なんだか虚しくないこともないのが登山です。
どのみち下るのなら、始めから登らなければ良いのです。
また、撮れと言われました。
懐かしのチューリップハットをかぶり、カメラ目線で睨みやがります。
白馬岳と白馬山荘が見えて来ました。
もうひと息です。
混雑した山荘の話や写真はカットして、早くも翌朝です。
お約束のご来光です。
朝日を浴びるおやぢです。
背後に剣岳が見えます。
天気も良く、無事に下山して今回の白馬岳登山が終了しました。
私が二十歳の頃、父と登った白馬岳の写真をアップしてみました。
十代半ばから両親に隠れて山へ通っていましたが、谷川岳に行っていることなども薄々気づいていたようで、心配したのかどうか、どこかの山に連れて行けと言われました。
登山初心者の父に山の魅力を伝えるには、天気さえ良ければ誰もが簡単に登れて安全なんだよ、と理解させなければいけませんでした。
そこで、白馬岳登山になったわけです。
父の体力と脚力を見て、気を遣いながら、父のペースで登りました。
こちらの思惑通り、山の魅力を分かってくれたようでした。
その後、谷川岳の一ノ倉にも連れて行きましたが、こちらは出合い近くにテントを張って一泊、沢を見物しただけでした。
通い慣れたマチガ沢に行きたかったのも、じっと我慢のキャンプでした。
私はいま、この時の父の年齢を越しています。
山への憧れは未だにあります。
でも、岩山や雪山はもう無理のようです。
そんな歳になってしまったということですね。
たまには低山でも歩こうか、といったところです。
脳梗塞で倒れて一年半、病院を転々としながら、父の衰弱していく姿を見守っていました。
介護のほとんどを手抜きしてしまい、最期まで本当に親不孝な息子でした。
昨日11月11日は 『介護の日』
でも、そんなことを知っている人は、おそらく一割もいないでしょうね。
人材不足で、訪問介護の満足なケアプランも立てられない現実を知っている人は、1%くらいかな…。
十代の頃には考えもしなかった多くの「命日」が、次から次へと増えて来ました。
困ったことですが、長く生きていれば、それは仕方のないことですね。
今日は、終わりかけの野花を近くで摘んで活け、ちょっと神妙に過ごして、午前中の一時間ほど線香を焚き続けました。
昨日は寂聴さん、二日続けての香華でした。
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