法隆寺 築地塀の魅力
2008年5月7日
南大門をくぐると視界が開け、法隆寺の懐の深さを実感する。
築地塀が控え目な高さで延び、正面に見える中門を引きたてている。
竹山道雄は次のように記した。
たたずんでこの広場をながめていると、すべて明晰をきわめた空間の中に、なにかふしぎなものが感ぜられた。どこかに一点の謎のようなものがあった。この印象が気にかかったが、それが何によるものかは分らなかった。首をかしげて立ちつくしているうちに、ようやく悟った。その謎めいたものというのは、彼方に遠望される、中門の柱だった。
築地塀が全体の風景を柔らかく引きしめている。
しかし塀は飛鳥当時にはなく、鎌倉期に初めて巡らされたものらしい。
土塀のない法隆寺はイメージしにくいが、実相院や普門院を始めとするすべての子院が見通せたのだろう。
それはそれで面白い景色だろうけれど、私の頭は、この築地塀あってこその法隆寺だと刷り込まれてしまっている。
東大門付近から道を横に外れると、崩れかけたり、いたずら書きで無残に傷つけられたりした土塀を見るが、時代は移ろっても人間はいつでも愚かな存在である。
中門に向かって歩くと、一歩ずつ鮮明になって来る伽藍。
南大門からのこの距離が絶妙だ。
中世から古代、その古代も平安、奈良、藤原、そして飛鳥へと吸い寄せられていくような感覚に囚われる。
心はすでに西院伽藍にある。
続きます。