里の秋
数年前の9月の備忘録より。
目印の庚申塔の石板横から、軽トラがかろうじて入れる細道をゆるゆるだらだら上って行くと、里から山の最奥まで進むことができる。
大好きなコースで、日本の模範的な原風景に出会える土地だ。
前日の午後にやって来ると、すでに仲間の一人が滞在中で、ご近所の孝子さんから頂いたという天然のナメコの下処理を敢行中だった。
孝子さんは実に我々に対して好意的な方で、歳は60~65歳くらいか。
以前、四人揃っていたところへ採りたてのオクラやキュウリを持って来て下さったのも孝子さんで、新参者の都会のシニアたちが珍しかったのだろう。
誰かが豆大福を大量に持ち込んで来ていたので、お裾分けしたら、その場で2個、ぺろりとお召し上がりになった。
後はお持ち帰り頂いたのだが、帰り際に、あら、お茶も頂戴しませんで、と言い放って消えた怪女で、我々はいたく面目を潰した。
お茶出した?
うん、出した。
よしよし、田舎の人間関係は大切だから、人見知りばかりが四人集まったとて、その辺はシッカリしなければいけない。
その時、誰かは忘れたが、もう少し若ければね、と発言。
すると別の誰かが、30代の女性が二人来たと思えばいいと、混ぜっ返した。
私は20歳が三人の方がいいなと思ったが黙っていた。
しかし20代にせよ30代にせよ、我々からすれば子や孫の年齢になるわけで、いい歳をしたじじいが不毛な会話で場繋ぎをしている感覚である。
20代にも30代にも、まったく相手にされないことがわかっているし、これが同世代にだって見向きもされないのだ、じじいたちは。
もっとも、女房子供から逃れたくて、ここを男の隠れ家に決めたのだからと、また誰かが言った、女人禁制でいいんじゃないかとも…。
女房が来たいって言ったらどうする?
その時はその時さ。
誰もマウントポジションを取ろうとしないので、第四者委員会は機能不全に陥る。
私は、60歳のおばさんは勘弁して欲しいが、20歳のキャピキャピのおねーさん三人だったら許そうと、胸でつぶやいている最低のセクハラ親父である。
こんな話は落語の古典的なマクラやくすぐりでよく聞く話で、お天道様はバカだねえ、どうして、夜に出りゃ一日中明るい、とか、もしもしお父さんいる? 子供が電話に出て、いらない、とか、子持ちししゃもを焼いたら卵がなく、ラベルを確認したら「子持ちししゃもオス」とあったとかの古典的な与太噺の類である。
で、話を前夜に戻すが、ナメコは翌日にということにして、私は筑前煮を作って食べさせた。
どうも分担が決まって来つつあるようで、私は食事、運転が担当のようだ。
車で30分も走れば小さいながらスーパーがあるので、それほど苦にはならないが、もっと里山暮らしらしい作業をしてみたい。
それらは徐々に侵食させるべく、作戦を練ろう。
今日の朝はお釜でご飯を炊き、前夜の筑前煮の残りを温め直し、玉子を焼き、塩もみしたキュウリとタコを三杯酢で和え、自家製手前味噌のお味噌汁にナメコとお豆腐を投入した。
これが絶品だったと自画自賛。
これはイケると褒めて貰えりゃ単純だからその気になって、じゃ、また作ってやろうじゃないの、となる。
なんせ、こちとら老人食だったら作り慣れているから、じじいの口にも合うのだろう。
おまけにご飯にはワカメを入れて俵形にして白胡麻振って、食べやすくしたところなんざあ手が込んでいる。
それにほんだしがなかったので、かつお節を朝から削った。
削り器は誰かが持ち込んで、本格的に不便で非効率の暮らしを目指そうとか勝手なことをほざいたもの。
どうせ自宅では使わないものを、ここぞとばかりに捨てに来たものだろうと見当をつけた。
まだ私が可愛く(本人が言うのだから正しい)幼かった頃、削り節の美味しさに目覚め、母におだてられて懸命に削ったことを思い出した。
もう削れないくらい小さくなったらしゃぶっていいからねと言われ、当時の親指ほどになったので口に放り込み、いつまでも恍惚としていた。
すると半日後にはかなり軟らかくなって、より旨味が増した法悦を幼心に味わった。
最後は程良いところでごっくんした…。
がしかし、今度からはスーパーで花かつおを買うぞ!
出汁を取ったら残りを佃煮にしてやろう。
シソの葉と山椒も入れればかなりの味になるだろう。
これこそエコではないか。
そうだ、だし入りのお味噌にすればいいんだ!
学習した。
じじいになっても生涯学習なのだ。
田舎暮らし楽しい!
山里はもののわびしきことこそあれ世の憂きよりは住みよかりけり
古今和歌集の中のよみ人しらずの歌だが、まことにその通りだなと思う。
都会暮らしは華やかではあるが、その裏は汚辱にまみれている、とは私の主観です。
もう一首、お気に入りの歌がある。
老いぬとてなどかわが身をせめぎけん老いずはけふにあはましものか 藤原朝臣敏行
これも古今に採られた歌で、作者は「秋来ぬと目にはさやかに見えねども」でお馴染みの人。
今では笑止だが、魚を喰らい、地獄へ墜ちたとされている人でもある。
歌意は単純で、役立たずのじじいと諦めていたけど、こうしてじじいになってみればこそ、今日のような感動と出逢えたのだろうな、くらいのことです。
古今集辺りで採られた秋の歌は、これでもかこれでもかというくらいに月や菊や女郎花の羅列で、もういい加減にしろよと文句も垂れたくなるが、それでも珠玉の歌がそこここに散りばめられているので好きっ!
20代の三人のおねーさんにはわかるまい。
カラコンとか装着して、黒目んとこをブルーやパープルとかででっかくさせて、竹下通りでも歩いていなさいね。
それに金髪でここ来ると、時期が時期だけに、コンバインで刈り取られちゃうよ。
いまは手元に古今集しかないので古今の中から探せば、簡単に里山を題材にした歌が目に入る。
いづくにか世をばいとはん心こそ野にも山にも迷ふべられなれ
作者は素性法師で、濁世を逃れてどこで田舎暮らしをしようかね、でもなあ、私のことだから野にいても山にいても惑っちゃうに決まっているのさ、くらいの内容でしょう。
この歌を本歌取りしたのが、私が愛してやまない式子内親王で、こちらは以下の歌を新古今に遺している。
ながめわびぬ秋よりほかの宿もがな野にも山にも月やすむらん
話が曲がってしまいそうなので軌道修正する。
一方で、「山の法師のもとへつかはしける」の詞書の歌も見える。
世をすてて山に入るひと山にてもなほ憂き時はいづち行くらん
こちらは凡河内(おおしこうち)躬恒(みつね)で、この古今集の撰者でもあり三十六歌仙の一人。
「大和物語」に有名な逸話があるけれど、長くなるので割愛。
遁世しても、そこでまた厭きたら次はどこへ行くんだい? くらいの歌。
「山の法師」は素性法師とは別人のようだ。
話は現代に戻って、本当は墨染の法衣を着て恰好つけたいのだが、それこそ山頭火の真似で行乞でもしそうな勢いになりそうなので、藍染めの作務衣で過ごしている。
恰好から入るなど、典型的な似非田舎暮らしだが、まだ般若心経くらいは唱えられる(と思う)。
物乞ふ家もなくなり山には雲 山頭火
旅の法衣がかわくまで雑草の風 同
法衣ふきまくるはまさに秋風 同
めつきり秋めいた風が法衣のほころび 同
法衣ぬげば木の実ころころ 同
彼岸花咲く小さな土手下には細い小川があり、梅雨の時期にはホタルが乱舞する清らかさに心が和む。
いかにも秋らしい風が、さらりと吹き抜けた。
もうそんな季節なのだと噛みしめれば、神様仏様、もう冬には「寒い!」 などと決して口にしませんから、どうかこの猛暑をお鎮めください、と懇願したことなどケロリと忘れている。
人格が他人より劣っているのか、まるで野狐禅そのままではないか。
それでも干からびた感情の亀裂が柔らかくほどけ、慈雨に打たれたような感覚の手応えがある。
そろそろお彼岸の入り。
野の花を摘んで、仏花とする。
葉月と長月は、例年死を想う季節。
いずれ想われる側に行くのだが、それまではルーティンを続けるしかない。
予報は雨のようで、それはそれで風情があるが、やはり秋は晴れていて欲しい。
こうして束の間の里山散歩を終えた。
どうか孝子さんの目に止まりませんように。
最後まで読んで頂き、感謝です。