山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ
玉葉集に見えるこの行基の歌は、あまりにも有名だ。
わかりやすく誰にでも共感できることはもちろん、新暦旧暦を問わず、お盆の時期は特に心に沁みる。
意識的な字余りも気にならないし、逆に、この字余りこそが必然だったと思えるほど違和感がない。
凡庸のそしりもぬぐえない歌意だが、その凡庸を堂々と詠んだ、けれん味のなさにこそ注目して鑑賞するべき歌であろう。
素直に詠めば素直に受け入れられる、まるで心の試薬のような歌ではないか。
ものの本によると、本当は行基の歌ではないかも知れぬ、とあった。
大歌人の歌のようでもあり、信仰心の篤い名も無き市井の人が詠んだ歌としても通用する。
これだけ単純な歌意にも関わらず、人間の情念の普遍性が一直線に貫かれているので、功徳の高い高僧の作に仮託されたとも言える。
ふとした弾みでこの歌を思い出すのは、亡き父母を想う心情が常に伏流水にあるからで、この歌を超える歌など現在までありはしないと言い切りたい。
歌が放つ光彩は一層輝きを増し、心の内界深くまで抉る。
詞書は「山鳥の鳴くを聞きて」と、案外単純である。
その山鳥が実際にほろほろ鳴くかどうかと懐疑的になるのは、現代人が歌を解釈する際の悪しき癖であって、当時は、山鳥はほろほろと鳴くものと信じられていたし、雛鳥を呼ぶ時は確かにそのように鳴く。
一方で、当時の表現では、枯れ葉もほろほろと落ちることが、半ばお約束のようになっていたと思われる。
源氏物語の橋姫の巻には以下のような使われ方がされている。
入りもてゆくままに霧(き)りふたがりて、道も見えぬしげ木の中を分けたまふに、いと荒ましき風の競(きほ)いに、ほろほろと落ち乱るる木の葉の露の散りかかるもいと冷やかに、人やりならずいたく濡れたまひぬ。かかる歩(あり)きなども、をさをさならひたまはぬ心地に心細くをかしく思されけり。
山おろしにたへぬ木の葉の露よりもあやなくもろきわが涙かな
ほろほろと落ちるのは木の葉、葉の露、そして八の宮へ向かう薫の涙、と重奏的に描かれている。
涙がほろほろはらはらと落ちる表現も、当時の常套句と認めてよい。
さすがの筆致、紫式部である。
伝(あえて伝とつける)行基の歌に戻る。
山鳥のほろほろと鳴く声(こゑ)きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ
風鈴がかすかにチリリンと鳴れば父がやって来たかと思い、朝霧が立ち込めれば母に抱かれたかと思う。
特に秋風が沁みる頃には、内腑にまで響く懐かしさが甦る。
この歌を踏まえ、「笈の小文」の中で芭蕉も亡き父母を偲んだ。
ちゝはゝのしきりに恋し雉子の聲
ほろほろと山吹ちるか瀧の音
続いて一茶も詠んだ。
亡母や海見る度に見る度に
山鳥のほろほろ雨やとぶ小蝶
ほろほろとむかご落ちけり秋の雨
蕪村も「ほろほろ」に触発されている。
雨ほろほろ蘇我中村の田植哉
墓所や浄土や天上から下界へ戻った死者たちは、それぞれの家族の元へ帰り、家の中のそこかしこから、今を生きる家族を優しく見守っている。
家族は、団らんでたくさんの笑顔を見せてあげよう。
現在、年間死者数130万人が、団塊の世代が亡くなる頃には160万人になるとの予想が出ている。
中には無縁の人も大勢逝くことになるだろうが、我が家は部屋数が多いので、お盆の時くらいは快く居候させてあげたいと思う。
遠慮せず、どんどんいらっしゃい。