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SNS社会を快適に生き抜くには?

2024年現在、SNSの普及は凄まじく誰もが自分に適したSNSを利用する時代。そして綺麗に社会的レイヤー(年齢などの属性含め)ごとに利用プラットフォームの分断が起きているのも面白い現象と言える。

いわゆるZ世代と言われる若者は、Tiktokを中心とした新興SNSに。
20代~40代を中心に普及しているInstagram。
ビジネス界隈や他人同士の誹謗中傷を中心にカオス化しているTwitter
もはやおじさんメディア化している?見方をされがちがFacebook。

出典:https://www.hottolink.co.jp/column/20240214_114872/

10年前には、そもそもSNSというものが始まったばかりだった。
利点としては様々あるが、SNSの恩恵を受けたことで人生が豊かに、
自己実現に成功された方も数多いのも事実。

しかし、今SNS離れの若者も増えていると言う。
若者の鬱や人生に対する絶望、自殺の原因にもなっている様子も伺える。
これはなぜか?という社会学的背景で考察してみた。

「人生の偏差値」が可視化されてしまう残酷さ。

偏差値教育に否定的な大人も多いのではないでしょうか。
偏差値というものの存在自体が、
他人と比較することを前提に作られた指標であるからだ。

故に、幼少期の頃から「人と比べる」というのが、
子供の潜在意識(メンタルモデル)に組み込まれてしまうこと。
結果的に、「同一化(誰かのようにならないといけない)」だったり、
自分という個性を活かすことにフォーカスせず、
「誰かより優れていること」に価値を置く子供が増える。

その競争に勝てないとわかった人から、
「自己肯定感」「自己効力感」の負のスパイラルに巻き込まれる。

本来、無限の可能性を秘めているにも関わらずだ。
これが、偏差値教育のデメリットだと私は感じている。

では、これのメリットは一体なんなのか?
あくまでも人の資質(学力)を測るのに、一定の指標があることで、
学校の差別化や、進路の判断基準など役に立つ点はもちろんある。

これがなかったら、その学校に入学して「どんなメリットを享受できるのか?逆にどんなデメリットが背景に潜んでいるのか?」が不透明なため、
「意思決定」することが非常に恐ろしくなるのも事実。

私が小学生の時代は、テストの点数を観れるのは自分だけ。
友人が何点だったか?自分が全体の中の何位なのか?
これが可視化されなかった。
(これが良かったのだと、心底思う)

つまり、人と比べて自分がどの位置にいるのか?
ということを気にせず生きていけたのだ。

唯一、比較されるとすれば、「運動神経」ぐらいだ。
(目に見えて、足が速いとか、分かりやすい体育の授業w)

つまり、おかげで何かにハマることや、没頭することに
躊躇なく、ある意味「自由気まま」に物事を、選択できていた気がする。
「そうしたいから、そうする」の幸せな世界だ。

しかし、現代のSNS社会は、「他人の人生が見えること」により、何か始めるに際しても、
否応にも他者と比較してしまう生きづらさを生み出している。
時代の閉塞感を作っている「負の量産ツール」とも言える。

本来は、自分の好きなことをやり、居たい人と、心地よい時間を過ごすだけで、それなりの幸福感を誰しもが得れるはずが、
比較するものが目に入ることで、「お前、そんなんじゃダメじゃない?」と、誰かに言われている気分になる。

これがまさに、不幸の始まりと言える。

階層社会の見える化


他人の人生が見えることにより、自分の人生の立ち位置が分かってしまう。
これが、今のSNSが「大人の通信簿」と私が呼ぶ理由です。。

いわゆる、自分の人生の偏差値(他人の人生と比較して自分はどうなのか?)が残酷にも垣間見えてしまうのである。
その結果、お前の人生は「〇〇点だ!」と言われているような、
気分になるのである。(こう感じる人は、本当に多いと思う)

具体的に、

・自分と同世代の人が世の中で活躍している姿(キラキラびと)
・自分よりも容姿や実績的なものが優れている人の姿
・楽しそうに、人生リア充を過ごしている人

こんな人を見て、大体の人は心の中でこう思う。

それに比べて自分は何でこうなんだ?一体何の価値があるのか?
人生って一体何の意味があるのか?生きるって何?
自分にとっての幸せって何?(誰かと比較することで、出てくる問い)
羨ましい!私もあんなふうになりたい!あんな生き方が良い!

そう思い何か自分探しをしたり、
何かのスクールに通ったり、オンラインサロンに入ったりと、
何かをしないといけない焦燥感に駆られ、一度はアクションをする。

しかし、何か良さそうなことや本を見つけやってみるも、すぐには結果に結びつかない。(本来、何かを成す為の時間的距離感を分かっていないから、というツッコミは置いておく)

そして、その過程でまた他人のSNSを見て、凹んで「やっぱり、どうせ自分には」、「やってみたけど、あの人みたいな才能ないかも」というマインドを強化し、結果的に「何も行動しなくなる」着地を迎えてしまう。

社会における自分の立ち位置を「知って良かった」人もいる。
それは、そこに危機感やある種の「自分も変われるかも!」的な気づきを糧に自己実現に生き生きと向かっている人だと思われる。

しかし、
見なければ幸せに生きれた人、
知らなければ良かった人
の方が、
実は世の大多数なのではないか?と最近は思うようになった。

そして皮肉にも、
これは影響力を武器にビジネスをしている方(オンラインサロンなど)は
絶対に言わないことでもある。
※「頑張れば自分みたいになれますよ!」、だからそのノウハウを教えます。
 が彼らのビジネスの本質的エッセンスだからです。

SNSと共に快適に生きる作法とは?

ここで、私が思う快適なSNSとの付き合い方を綴っておきたいと思います。
(実は成功されている人は意識的にやってることでもあります)

これは、人によって最適なHOWは異なると思うので、あくまでも
それ良いかも!と思ったことだけでも参考になればと思います。

・気分が下がってしまう人の投稿はミュートをする(自分の感覚でOK)
・ワクワクする人、元気になる人はフォローする(生きづらい社会のサバイブするのに必要)
・本来のSNS活用に戻す(近況を知りたい人のみを見えるようにする)
・SNSとおさらばする(これは俗世間との断絶を潔くできる人のみ)
「自分にとって、いま必要な情報」だけを選び、「将来的に知っといた方が良い」レベルの情報を捨てる(翻弄されなくなります。イマココに集中できます。)

大前提、SNSの情報は言ってみれば表面的な情報(最もらしい、それっぽいもの、最適解な風)が大半です。

人生を変えるような「本質的な真理」や「再現性の高いノウハウ」は、
今のところネットには落ちていないと私は思っています。
(本当に価値ある情報は、実体験から得た学びor 人から直接的にきます。)

私自身、このような活用を意識的に行うことで、
ヘルシーにSNS利用できるようになったばかり。
(現在進行形ですw)

ぜひ、試してみてください〜



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