Petrarcaを読もう! 第1歌(序歌) 文法解説編
名前のない詩集
ペトラルカの生きた時代背景については別稿「予備知識編」を参照してください。
次には彼の人生の概略(何年に生まれたとか、どこで暮らしたかとかその手の話)を語る順番とも考えたのですが、さすがにこれは語りだすと長くなるのでやめます。ググってください。
ここでは簡単に歌集Canzoniereについて述べようと思います。
ペトラルカは詩人である以前にまずなによりも文献学者でした。欧州各地の修道院の図書室に眠る多くの未知のラテン語の文献を自らの手で発見しています。そしてイタリア語の詩人である以前にラテン語での著作家でした。散文でも韻文でもラテン語で多くの著作を残しており、その手柄で「桂冠詩人」という最高栄誉の称号を得ています。ラテン語を復興することを自らの使命であるとし、俗語、つまりイタリア語での著作には重きをおいていませんでした。けれども後世、彼の名声はイタリア語による叙情詩集Canzoniereによるものであったことは皮肉なことです。
その詩集ですが、いろいろな点で不思議な書物です。まずタイトルがハッキリしません。彼自身はRerum Vulgarium Fragmentaというタイトルをつけました。「俗語による叙述断片」というくらいの意味です。ところがこれはラテン語です。つまり中身はイタリア語の詩集なのですが、タイトルはラテン語でつけたのです。このあたりにペトラルカのラテン語やイタリア語に対する態度がよく現れているように思われます。この著作は彼の在世の間はそのオリジナルのタイトルで呼ばれていました。しかし現代ではCanzoniereというイタリア語のタイトル(カンツォーネなどと同語源で「歌集」とでも訳すべき語)が一般的に使われています。この起源をたどると、ペトラルカの没後1世紀ほど過ぎて、彼の手稿を16世紀に文献学者が整理し、最終的な決定版を出版(発明されて間もない出版術を使ったわけですが)したときにこのタイトルをつけたのが機縁になっています。
したがってペトラルカ自身が預かり知らぬところでつけられたこのタイトルで呼ぶのもあながち意味のないことではないのですが、それに反対する人もいます。歴史捏造に当たるのではないかというわけです。そうした人々はよくRimeという名前でこの著作を呼びます。rimaは少し古風なイタリア語ですが「詩」を表す名詞で、rimeはそれの複数形です。後述しますが、Canzoniereの冒頭の詩が詩集全体を紹介する「序歌」の役割をしていてそのなかでrime sparse「散り散りの(一貫性のない)詩たち」という言葉で自らの詩集を紹介する箇所があるのです。前述のペトラルカ自身がつけたラテン語のタイトルのfragmentaは英語のfragmentに相当し、まさにこのタイトルをペトラルカ自身がイタリア語で表現したものがrime sparseなわけです。それをとってRimeと呼ぶのも、つまり多少は原題に近いので理屈にあっているでしょう。個人的な話をすれば私はイタリアで出版されたこの詩集をいろいろな出版社の版で所有していますが、Einaudi社のそれのタイトルはRimeとなっていて、それが以外はCanzonieriとなっています。つまり同じ作品なのにいまでも編者の考えによって異なったタイトルで呼ばれているということです。翻訳ならそういうことはしばしばありますがオリジナルのタイトルでこれはかなり珍しいことではないでしょうか。
主人公は誰か?
別稿でも書いた通り、詩集の「表向き」のテーマはLauraラウラという女性への賛美です。まずはこのラウラという女性について簡単に説明します。ペトラルカによればアヴィニョンの教会で1327年4月7日に偶然見かけて、要するに一目惚れをしたということになっています(後述しますがラウラはその後1348年にペストでなくなったことになっていますがそれも4月7日です。そして4月7日はキリストが十字架にかけられて処刑された日でもあります)。
けれどもそもそもこのラウラという女性の実在性自体が疑われています(そもそも上記に日付の符合だって確率的にまずありえないことであり明らかに創作ですよね)。歴史的に調査した学者に言わせるとたしかに当時アヴィニョンに貴族の人妻でラウラという女性はいたのですが、それがペトラルカのラウラである保証は全くありません。すべてペトラルカによるフィクションではないかという説のほうがむしろ濃厚でしょう。そしてたとえフィクションでないにせよ、二人が恋仲に陥ったとか不倫関係になったとかそういう話は(残念ながら)一切ありません。本当に一方的に一目遠くから見ただけといった関係です。たとえ実在していたとしても、現実の女性とはほぼ関係がない心の中の理想像を数十年間思い続け歌に歌い続けたと考えていただいたほうが妥当です。
詩集の中でもdolce stil novo的なクリシェを使ってその美が称えられることはあっても、我々現代人が恋愛詩といって想像するような、ふたりの「恋仲」のようなものが物語られることは一切ありません。
この女性が実在しようがしまいが、詩集に描かれているのは、実際の恋愛感情というより観念的な女性崇拝であるのがわかると思います。
もっと言えば、別稿「予備知識編」にも書いたように実はラウラという女性自体本当はどうでもよくて、ペトラルカにとって関心があるのは自分なのです。自分の実存的苦悩を吐露するというところに彼にとっての主眼があるのです。
面白い研究があり、それによると詩集全体のなかで最も多く使われている単語はmio(英語のmyに相当する所有代名詞)だそうです。その次に頻出の語はdolore(英語のsufferingやpainに相当する「苦しみ」を表す名詞)だそうです。こんな分析からも相手の女性の美しさより自らの苦しみを吐露するのが詩集の中心的な命題であるということが察せられます(現代でもこういう男はいますよね。偉大な詩人でなかったら、ほんとに感じの悪い男と言わざるを得ないでしょう)。
詩集の構成
この詩集は最初ほんの十数編の詩からなる詩集として1330年代に公表され、その後、ペトラルカの生涯を通じて、書き足され、詩の順番も入れ替えられ、最終的には1370年代に366編の詩から成る詩集として完成させられました。
まず、この事実が我々の注意を引きます。断片集rime sparseであるとペトラルカ自身が語る一方で、40年の長きにわたり、推敲を重ね詩集としたわけですから生涯をかけた作品といって過言ではないでしょう。limatio petrarchescaという言葉があります。「ペトラルカの推敲」という意味のラテン語です。そのように推敲することがペトラルカの代名詞となるくらい推敲に推敲を重ねたわけです。
そして、この366という数がいろいろ憶測を呼んでいます。ラウラがなくなった年は1348年で、4で割り切れるわけですから閏年です。閏年の日の数にあわせたのではないかというのが一つの解釈です。もう一つの解釈はちょうどダンテの神曲が本当は地獄篇、煉獄篇、天獄編が33歌ずつで99歌であるのに、地獄篇の最初に序歌に相当する歌が付け加えられ結局34+33+33=100歌という構成になっているのに倣って、序歌1歌と365日分の365歌があわさり366歌なのではないかというのがもう一つの解釈です。いずれにせよ一年ぶんの歌ということになっています。一年ずっと心から離れぬ思いという意味合いという意味であろうと解釈されています。
そして詩集全体を大きく2つのパーツに分けることができます。前半はラウラ生前のときに歌った歌、後半はラウラが亡くなったあとの歌です。
そしてその366の詩の大部分(90%近く)を占めるのはソネットです。実際に読み進める中で解説しますが、ソネットは4+4+3+3=14行からなる詩の形式です。発明したのはペトラルカではないのですが、巧みな脚韻と組み合わせたり、実に効果的にこの詩形式を利用したのは紛れもなくペトラルカの功績であり、それによってソネットはペトラルカの代名詞にもなったし、同時にソネットはイタリアのみならずシェイクスピアなど海外含め近代の抒情詩の代表的な詩形式になったのです。
それでは第1歌(序歌?)を読んでみましょう!
ペトラルカの歌集Canzoniereの冒頭のソネットです。まず全文を掲載します。
Voi ch’ascoltate in rime sparse il suono
di quei sospiri ond’io nudriva ’l core
in sul mio primo giovenile errore
quand’era in parte altr’uom da quel ch’i’ sono,
del vario stile in ch’io piango et ragiono
fra le vane speranze e ’l van dolore,
ove sia chi per prova intenda amore,
spero trovar pietà, nonché perdono.
Ma ben veggio or sì come al popol tutto
favola fui gran tempo, onde sovente
di me medesmo meco mi vergogno;
et del mio vaneggiar vergogna è ’l frutto,
e ’l pentersi, e ’l conoscer chiaramente
che quanto piace al mondo è breve sogno.
第1連
それでは一連ごとに語学的に解釈していきます。(すべてイタリア語の初級文法と基本語彙をご存知の方向けの説明になります)
Voi ch’ascoltate in rime sparse il suono
di quei sospiri ond’io nudriva ’l core
in sul mio primo giovenile errore
quand’era in parte altr’uom da quel ch’i’ sono,
冒頭のVoiは呼格(つまり呼びかけ)です。それに関係詞cheがついています。ascoltareの目的語はquei sospiri「ため息」です。間に動詞ascoltareを修飾するin rime sparseが割り込んでいます。rimaはpoesiaと同じく「詩」を意味する名詞であり、それを修飾するsparsoは「散らばった、ばらばらの」という形容詞。つまり「バラバラの詩作のなかでため息を聞く」というのがascoltare in rime sparse quei sospiriの意味なのですが、このrime sparseという表現が前述のように非常に示唆的です。
前述のようにこの歌集はラテン語ではなく俗語であるイタリア語で書かれており、また断片集的にまとまりがないというのがペトラルカ自身の認識であり、それを歌集のひとつめに置いたこのソネットの中で宣言しているわけです。
いずれにせよここまでの部分を日本語に訳すなら「このまとまりのない詩集のなかで我が溜め息を聞く汝らよ!」
次のond'io nudriva'l core 部分は現代イタリア語とは語学的に少し違います。coreが現代語ではcuore、nudrivaはこれも現代語ではnutrireなのはすぐに分かると思うのですが、問題はまず動詞の活用です。現在形でも半過去でもそうなのですが、当時のフィレンツェ語の活用は現代イタリア語の活用とは違います。現代語ならnutrivo-nutrivi-nutrivaと活用する(半過去単数1〜3人称)わけですが、当時のフィレンツェ語ではnudriva-nudrivi-nudrivaです。基本的に半過去の単数1人称はいまの単数3人称と同じ活用語尾を持ちます。このあとにでてくるeraも現代語ならeroであるべきところです。
もうひとつ現代語ではあまり見かけないのがondeですね。これは関係副詞です。現代語ならdi cuiとかdei qualiに相当します。
どちらもこの時代の文章には(というかごく近世まで)いくらでも出てくる点なので覚えておいて損はないです。
ところで動詞nutrireは現代語でも日常会話レベルの動詞です。英語で言えばnourish「滋養分を与える、養う」に相当します。
音韻上の理由から消失している母音を補うとこの部分はsospiri onde io nudriva il core、現代イタリア語にすればsospiri di cui io nutrivo il cuore、英語で言えばsighs with which I nourished my heartというわけです。
まだまだondeから始まる関係詞節が続きます。in suは合わせて一つの前置詞と考えて差し支えないでしょう。もう少し正確に言えばinが前置詞でsuが副詞なのでしょうが、英語のuponと同じようなものです。ここでは「〜の上」ではなく「〜に関して」というくらいの意味で使われています。
mio primo giovanil erroreはほぼ現代語と同じなのでおわかりだと思います。直訳すれば「初めての若き過ち」ですが、地理的にも時代的にもペトラルカから隔たったわれわれにも「初恋」を指すのだろうというのは直感的に伝わるのですが、もちろん前述のようにラウラへの恋を暗示しています。それゆえ、この語句が先程のrime sparseと同じく示唆的で、"giovanil errore"と"rime sparse"というこの2つの語句の故にこのソネットが単に詩集の冒頭の歌であるだけではなく「序歌」であるにふさわしくなっているのです。
ところでerroreは英語の「エラー」と同様にイタリア語でも「過ち」であるわけですが(または相当共通の語源ラテン語の動詞erro「彷徨う」から考えれば「彷徨い」)、なぜ初恋のことを「過ち」と呼んでいるのでしょう。もちろんわれわれにとっても若い日のちょっとした火遊びを「過ち」のように呼ぶのはありきたりなことです。しかしペトラルカが初恋のことを「過ち」と呼ぶのにはもう少し深い意味合いがあります。ペトラルカは何よりもまず宗教人です。アヴィニョンに捕囚された教皇庁のスタッフですから。と同時に当時の教皇庁の腐敗を嘆いてもいました。また前述のように古典文化の復興を願う文献学者でもありました。どちらの観点からしても恋にうつつを抜かすというのは天命に背く行為であるということです。
第1連の4行目はほとんど現代イタリア語と同じなので説明はいらないでしょう。ただ一言だけ余計なことを言わせてください。みなさんは中学校の頃に英語で関係代名詞のwhatというのを習ったと思います。この関係代名詞はwhichなどと違い先行詞を含んでいると習ったはず。
This is the book which I'm reading.
This is what I'm reading.
上の両者を比べてみるとwhichとwhatの違いは一目瞭然です。ところが地中海方面の英語以外の言語にはwhatに相当する先行詞を含んだ関係詞が存在しません(後述しますが、文法的に同じような使い方をする関係詞はいくつもあります)。イタリア語ならciò cheまたはquello che、フランス語ならce queのように先行詞と関係詞2語で表現します(英語でもかなり文語的ですがwhatのかわりにthat whichという言い方はあるのですが)。
I understand what he says.(英語)
Capisco quello che dice. (イタリア語)
したがって、「彼は昔の彼ではない」He is not what he used to be.のような表現も習ったことがおありと思いますが、「今の私」がquel che io sonoです。
さてそれでは第1連を日本語にしてみます(詩というより文法的な解釈を重視し散文的な訳文で失礼)
汝ら、このまとまりのない詩集の中で、今とは少し違う時分の若き私の最初の惑いについて我が心を満たしてきたため息の音を聞く者たちよ!
第2連
それでは第2連です。
del vario stile in ch’io piango et ragiono
fra le vane speranze e ’l van dolore,
ove sia chi per prova intenda amore,
spero trovar pietà, nonché perdono.
いきなり前置詞del から始まっていますが、韻文の場合はこのくらいの語順転倒anastropheは当然読み解かねばなりません。4行目のtrovar pietàを修飾しています。trovare pietà nonché perdono del vario stileというのがいわば普通の語順です。
ついでですがnonchéはイタリア語初学者の方はご存じないかもしれませんが、いまでもそれなりに使われる接続詞です。ちょうど英語のA as well as B「B同様にAも」に相当するような語です。したがってここだけを訳すとしたら「様々な詩形式に許しもそして哀れみも見いだせることを私は望む」というわけです。
話が前後してしまいますが、今の訳の中のvario stile「様々な詩形式」と仮に訳しましたが、これが第1連のrime sparseに対応しています。この詩集にはいろいろな詩形式の詩が混在しています。多数を占めるのはこの第1歌も含めてソネットと呼ばれる1行11音節で14行の詩なのですが、それ以外にカンツォーネもあればマドリガーレもあればバッラータもあればといった具合です(それぞれの詩法に関してはググってください)。つまり詩集としてのまとまり、つながりもないうえ(rime sparse)、詩の形式もいろいろなものが混在している(vario stile)けれども許せ、そしてそのような形でしか表現できない事情を察し憐れめ、ということです。
もう一度1行目のvario stile in che io piango e ragionoの部分に戻りましょう。in cheは関係代名詞です。現代イタリア語では前置詞がついた関係詞はcheではなくcuiに代わるわけでここも現代英語でならvario stile in cui io piango e ragionoであるべきところです。英語ならvarious styles in which I cry and reasonですね。ragionareはまさに英語のreasonと同じく「論ずる」。2行目はほぼ現代語と同じなので問題ないはず。英語のin vain「無駄に」とかvanity「虚栄心」と同語源のvanoは現代語でもよく使われる「儚い、無駄な」という形容詞です。
3行目が一番文法的に難しいところです。いろいろな文法が絡まり合っているので。まず関係代名詞chiの用法です。さきほど英語のwhatに相当する先行詞を含んだ関係詞はイタリア語やフランス語には存在しないと言いましたが、じつは「〜のもの」を表す関係代名詞に関してはそのとおりなのですが、「〜な人」を表す関係代名詞に関してはイタリア語に先行詞を含んだ関係詞が存在します。
英語でもある程度レベルの高い文法なので、「英語でもわからない!」という声が聞こえてきそうですが、次のような文を何処かで習ったことがお有りでしょうか。
Whoever does it will be punished. 「それをする人は罰せられるであろう」
whoever does itが「それをする人」を意味する名詞節を作りこの文の主語になっています。
イタリア語でもchi(cheではない)がこのwhoever同様の役目をします。
Chi lo fa sarà punito.「それをする人は罰せられるであろう」
このchiは現代イタリア語でもそれなりに使われます。ここの3行目でもchi per prova intenda amoreが名詞節を作り「自らの経験から愛を知っている者」を表しています。intendereは現代語同様に「理解する」、per provaは現代語ではまず使われませんがprovareが「試みる」なので「自らの試みによって→自ら体験して」という意味の慣用句であったのだろうと考えられます。intendaは接続法が使われているのは本当にそうした者がいるかはわからないので使っているのでしょう。現代イタリア語でも義務ではないですがchiの作る節中に接続法を使うのは自然なことに感じられます。
さて更にここが難しいのは3行目のove siaの2語です。oveは現代イタリア語のdoveに相当します。したがって本来的には場所を表す副詞節を作ります。しかし英語のwhereもそうですが、それが拡大解釈され、時や条件を表すこともあります。たとえば英語で次のような文を考えるとそれは了解されることでしょう。
You must do it where it is possible.「それが可能なところでは、→ときには→もし可能なら」
ここのoveも条件を表すseと同様と考えればその後にくるsia(動詞essereの接続法)が使われていることとも符合します。ご存知のように現代語でもたとえば「もし可能なら」をSe é possible, …と言っても間違いではないですが、蓋然性が低い場合には条件法を使いSe sia possible, …というわけですから。
そしてここのsia (essere) は存在を表します。現代語ではessereではなくesserciで存在を表しますよね。C'é un libro sulla tavola.「机の上に本がある」のように。でも英語でもGod is.で「神は存在する」を表すようにここではessereだけで存在を表しています。ラテン語由来の用法ですが、ラテン語の詩に精通したペトラルカにとってはむしろこちらが自然だったのかもしれません。
いずれにせよ、わかりやすい現代イタリア語に直すとこの詩行は次のとおりになります。
Se ci sia qualcuno che capisca l'amore per esperienza
そして最後の行にもどります。spero trovare pietà…のくだりです。現代語ではsperare はsperare a +inf.という形で使いますからsperoのすぐ次に動詞の原形が来るのはやや奇妙です。このあたりもラテン語的です。ともあれ、trovareの意味上の主語はsperoのそれと一致、つまり「自分が憐れみを見出すことを自分が望む」という文法の原則は現代語と同じです。したがって、3行目の「もしも経験から愛を知っている者がいたら」という文とのつながりを考えると、「彼らの中に憐れみを見出すことを望む」となるべきところですが「彼らの中に」という語句は書かれていません。詩なので、暗に含蓄されているところを補うのは読者の責務です。
ところでこの「愛を知る者」というのは1200年代~1300年代までフィレンツェを中心として一斉を風靡したdolce stil novo「清新体」派の詩人たちのトポスです。日本で言えば平安時代の「色好み」に似ているでしょうか。清新体に刺激を受けて、ダンテそしてペトラルカのような詩人たちが1300年代にフィレンツェで大活躍をするわけであり、まさに清新体派詩人たちはフィレンツェ・ルネッサンスの母胎となったわけですが、ダンテにもDonne ch'avete intelletto d'amore「愛を解する汝ら女性たちよ」という超有名な詩があります。したがってこの詩行はそうした先達たちへのオマージュになっているわけです。
それでは第2連を和訳してみます。
もしも自らも経験により愛を知る者がいたら、彼らの中に、私が儚い希望と儚い苦しみを行きつ戻りしつつ泣きそして愛を論じる様々な詩形式に許しとそして哀れみを見出したいものである。
第3連
Ma ben veggio or sì come al popol tutto
favola fui gran tempo, onde sovente
di me medesmo meco mi vergogno;
さてこの第3連からは3行になったことに気づかれたでしょうか。この第1歌はソネットという詩形式で書かれているのですが、ソネットは4連、そして最初の2つの連は4行、残りの2つの連は3行で構成され、合計4+4+3+3 = 14行で書かれるのがルールなのです。詩形に関しての解説は別稿に譲ることにします。
この連の前半は文法的には難しいところはありません。ただ綴りが多少、現代語の(散文)とは異なるかもしれません。benはbene、veggioはvedo(地域により今でもこの1人称単数形は使われているかもしれません)、orはora、sì には深い意味はありません、あえていえばoraを強めているくらいです。al popol tuttoは現代語ならa tutto il popoloとするところです。
fuiは現代語と同じくessereの遠過去の1人称単数です。語順がここは逆転していてふつうなら(io) fui una favolaとすべきところです。
問題はfavolaの意味です。普通は「物語」を指す語ですが、ここでは「語り草」、つまりペトラルカがラウラへの愛に血迷ったことが人々の間で嘲笑の対象になってきたことを指します。
2行目のondeはすでに説明したとおり関係副詞です。3行目のmi vergognoを修飾しています。vergognarsiは現代語でも多用される「恥じる」という意味の再帰動詞です。英語でも「恥じる」はbe ashamed of ~のように受け身で使いますが、もともとはashame oneself of ~が受け身になったわけであり、そう考えるとイタリア語で再帰動詞であるのも納得できるはず。
ove mi vergognoが英語で言えば of which I ashame myselfに相当するわけです。
そして何と言ってもレトリカルなのは3行目のdi me medesimo meco miの部分です。前述のようにmi vergognoだけで十分「恥ずかしい」は表せているのにdi me「私に関して」は不要です。さらにそのmeを強めるための英語で言えばoneselfに相当するmedesimo(現代語ならstessoで強めるところ)がmeと頭韻を踏んでいます。mecoはcon meのことです。(これもラテン語的な表現ですが、文学語としては近代に至るまで使われています)
リンカーン大統領の"the government of the people, by the people, for the people"ではありませんが、無理に英語にすればこの詩行も"of which I ashame myself of me myself to myself"というかんじです。どんなに恥ずかしいかを強調するためのレトリックと解すべきなのでしょう。同じことを繰り返し愚痴をこぼす人を間近で聞いているような印象を与えます。このあたりもこのソネットの特徴的なところです。(詳しくはこのあとに各予定の別稿「音韻編」で解説します)。
第3連を和訳してみます。
しかし、長い間自分がどれだけ世間の笑い草になってきたかはよく分かるし、それについては自分のことを自分に対して自分でしばしば恥じているのだ。
第4連
et del mio vaneggiar vergogna è ’l frutto,
e ’l pentersi, e ’l conoscer chiaramente
che quanto piace al mondo è breve sogno.
文構造がわかりにくいと思います。この文の主語はvergognaと、それと並列の関係になっているIl pentirsiとil conoscere…です。語順がここも転倒していますがè il frutto del mio vaneggiareが述語です。il pentirsi「悔いること」、il conoscere「知ること」、mio vaneggiare「私が儚い愛を追い求めたこと」などすべて動詞の原形が名詞化しています。英語ならTo see is to believe.「見ることは信じること」という有名なことわざで見るようにto不定詞(または動名詞)がその役を果たすわけですが、イタリア語の場合、動詞の原形をそのまま名詞として使えるのは現代語でも同じですね。
vaneggiareはすでにでてきたvano「儚い」という形容詞の動詞形なのでここに掲げたような意味になりそうです。
というわけで、2行目までは「恥、悔い、そしてはっきり理解できたことが私が儚い愛を追い求めたことの果実である」ということです。
その「はっきり理解する」conoscere chiaramenteの目的語がche以下です(英語で言えばlearn clearly that …ということです)。その英語で言うthatに相当する接続詞che以下の節、quanto piace al mondoが名詞節を作り主語になっています。このあたりの文法もちょっと難しいところです。quantoは「〜するだけの量すべて」を表します。英語で言えばwhateverが近いといえば近いです。多少、意味は違います。下の英語とイタリア語を比べて理解してください。
You can take whatever you like. 「好きなものを持っていっていいよ」
Puoi prendere quanto vuoi.「好きなだけ持っていっていいよ」
したがってquanto piace al mondo è breve sogno.は「世に好まれることはみな短い夢である」のように訳せるわけです。この「世に好まれること」というのは愛を指していると解釈するのが妥当でしょう。ペトラルカは宗教人であり、知識人です。信仰なり知の追求なりに人生を捧げるべきであるのに原生的な快楽である愛にうつつを抜かしたとしてもそれは儚いことであると悟ったのが、自らの愛を追い求めた一つの結果である、ということです。総解釈すれば第2連にある"fra le vane speranze e van dolore"「儚い希望と儚い苦しみの間で」といった表現とも響き合います。
それでは第4連を訳してみます。
儚い愛を求めて得られたのは、恥と、後悔と、現世で好まれることは何もかも短い夢でしかないとはっきり悟ったことである。
解説をしてみて気づいたのですが、よくよく考えると現代の散文とはかなり文法的に違うところがありますね。その結果、思ったより予想外に長文になってしまいました。
けれども問題は、数々のテクニックがこの韻文の中に隠されていて、それが故にこの詩を文学史に残るものにしているのです。それについてはこれから書く予定の別稿に譲ります。しばらくお待ち下さい。