人から称賛されることを過剰に求めてしまう人たち
皆さんのなかにももしかするとこのようなタイプの方がおられるかもしれないのですが、世間には『人から称賛されること』を過剰に求めてしまう方たちが一定数いるのではないかと思うのですね。
このようなタイプの方たちはあたかも「人から称賛されることが人生における最大の幸せ!」とでも言わんばかりに常に他者の目を気にしており、とにかく人から称賛されることを過剰に求める傾向があることだと思うのですが、それでも私が思うにはこのような人生の過ごし方は危険でありまた非常にもったいないものなのではないかと思うのです。
もちろん人間である以上は誰もが人から称賛されれば嬉しいことだと思うのですが、それでもあまりにも『他者からの称賛』を過剰に求めていると、人生における最大の幸せが『人から称賛されること』であるというふうに感じてしまうようになり、常に人からどう思われるかばかりを気にしながら生きていくことになってしまうのではないかと思うのですね。
その結果このようなタイプの方たちは人生からどんどん『自分の意思』というものが失われてしまい、最終的には「人からどう思われるか?」ということばかりを気にし、結局自分の人生を生きることができないということになってしまうのではないかと思うのです。
これは非常に当たり前の話なのですが、我々人間はやはり誰もが自分が本当に送りたいと思えるような人生を送ろうとすることが大切であり、『人から良く思われること』よりも『自分が満足するような人生を歩むこと』が上に来なければならないのではないかと思うのですね。
確かに誰であれ人から称賛されれば気分がよくなることだと思うのですが、それでもそれを求めすぎて常に「人から称賛されたい」「人から良く思われたい」などというふうに思っていては人生からどんどん自由が失われてしまい最終的には人生から自分の意思が失われてしまうことになるのではないかと思うのです。
『人から称賛されることを追い求める人生』と『自分が本当にやりたいと思うことをやる人生』はまったく違うものであるということは誰でも分かることだと思うのですが、このように文字にしてみると誰もが前者よりも後者の人生を歩みたいと考えるのではないかと思うのですね。
当然ながら人から称賛されることばかりを追い求める人生よりも自分が本当に歩みたいと思えるような人生を送るほうが自由があり面白いものであるというふうに誰もが感じるのではないかと思うのですが、それでもなかには文字で見ると後者のほうがいいと思うものの実際には前者のような人生を歩んでしまっているという方もいるのではないかと思うのです。
それでは一体なぜ後者のほうが自由があり面白いことがある人生であるということが分かっているものの、それでも前者の人生を歩んでしまうのかということなのですが、私が思うにその理由はこのようなタイプの方は「人から称賛されることこそ人生における最大の幸せ!」というふうに考えてしまっているからなのではないかと思うのですね。
この言葉には先ほども少し触れたのですが、要は『人から称賛されること』が人生における最大の幸せであるというふうに考えてしまっているのですが、それでは一体なぜこのように考えてしまうことになってしまうのでしょうか?
その理由に関しては本章でじっくりと見ていきたいと思います^^
なぜ『他者からの称賛』を過剰に求めてしまうのか?
皆さんのなかにももしかするとこのような方がいるかもしれないのですが、このようなタイプの方は『他者からの称賛』を過剰に求めてしまうことになるのではないかと思うのです。
そのような経緯からこのようなタイプの方は四六時中自分が人からどう思われるかを気にしており、常に「どうすれば人から称賛されることができるのか?」ということばかりを考えているのではないかと思うのですね。
その結果このようなタイプの方は常に人の目を気にしながら生きることになることだと思うのですが、それでも普通に考えればこのような人生の送り方は決していいものではなく第三者の視点から見ると非常につまらないものであるというふうに思えるのではないかと思うのです。
なぜならこのようなタイプの方は『自分の好きなことをする』ということや『自分が本当にやりたいと思うことをやる』ということよりも人から良く思われることや称賛されることを追い求めているため、人生からどんどん『自分の時間』が無くなり、その大半を『人から称賛されるため』に費やすことになるからなのですね。
そのような経緯から考えるにこのような『他者からの称賛』を過剰に求めるのが人生においていいことではないということは誰にでも明らかだと思うのですが、それでは一体なぜこのようなタイプの方はそのような事実が分かっていながらも他者からの称賛を過剰に求めてしまうことになるのでしょうか?
私が思うにその理由は『「人から称賛されることこそ人生における最大の幸せである」というふうに考えているから』なのではないかと思うのですね。
このようなタイプの方は人生における最大の幸せを『人から称賛されること』というふうに考えているからこそ、どんな欲求よりも強く「人から称賛されたい!」というふうに思うことになるのではないかと思うのです。
その結果このようなタイプの方は常に他者の目を気にしており、人から称賛されるためにはどうすればいいかということばかりを考えてしまうことになるのではないかと思うのですが、それでは一体なぜこのようなタイプの方は『人から称賛されること』をあたかも人生における最大の幸せかのように考えてしまうのでしょうか?
私が思うにその理由はこのようなタイプの方は『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』という価値観を持っているからなのではないかと思うのですね。
要はこのようなタイプの方は『人から称賛される人間=価値がある人間』というふうに考えており、そして自らに関して「価値がある人間である!」というふうに思いたいからこそ『他者からの称賛』を過剰に求めてしまうことになるのではないかと思うのです。
人間は誰であれ人から称賛されれば嬉しく、例えば皆さんも「君は本当に運動神経がいいね!」と言われたり「君は本当に賢いね!」などというふうに言われれば非常に嬉しいことだと思うのですが、それでもそれはあくまで「嬉しい!」という感情なのではないかと思うのですね。
そのため大半の方は人から称賛されれば確かにいい気分になることはできるものの、それでもそれほど『他者からの称賛』を求めることはなく、自分の送りたいと思える人生を送ることができるのではないかと思うのです。
しかしその一方でこのような『他者からの称賛』を過剰に求めてしまうというタイプの方は『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』という価値観を持っていることから、人から称賛されるとただ単に「嬉しい!」と感じるのではなく「自分は価値がある人間なんだ!」というふうに感じることになるのではないかと思うのですね。
そして人間である以上は誰もが「自分は価値がある人間である」というふうに思っていたいことから、このような『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』という価値観を持っているという方は自らに価値を感じるために他者からの称賛を過剰に求めてしまうことになるのではないかと思うのです。
要はこのようなタイプの方は『人から称賛される人間=価値のある人間』『人から称賛されない人間=価値のない人間』というふうに考えているからこそ、「自分は価値のある人間なんだ!」というふうに思いたいことから『他者からの称賛』を過剰に求めてしまうことになるのではないかと思うのですね。
何度も繰り返すようですが人間である以上は誰もが人から称賛されれば「嬉しい!」というふうにいい気分になることができることだと思うのですが、それでもこのようなタイプの方たちはただ単に「嬉しい!」と感じるのではなく「自分は価値のある人間なんだ!」というふうに思うということなのです。
そのような経緯から考えるにこのようなタイプの方たちにとっての『他者からの称賛』というのは明らかに普通の人とは位置付けが違い、そのような違いからこのように『他者からの称賛』を過剰に求める方たちが一定数いるのではないかと思うのですね。
そして現時点で自らに関して「自分は人から称賛されることを過剰に求めてしまうタイプだな‥‥」「自分は人から称賛されることを人生における最大の幸せであるというふうに考えているタイプだな‥‥」というように考えられているという方もいるかもしれないのですが、それではそのような方がそのような現状から脱却するためにはどうすればいいのでしょうか?
『他者からの称賛』を過剰に求めてしまうという現状からの脱却方法については次章でじっくりと見ていきたいと思います^^
『他者からの称賛』を過剰に求めないようにするためにはどうすればいいのか?
それではいよいよ『他者からの称賛』に振り回されないためにはどうすればいいのかということについて見ていきたいと思うのですが、まず皆さんに分かってほしいのは人間である以上は人から褒められれば「嬉しい!」と感じるのは当たり前のことであるということなのです。
そしてそのような経緯から考えるに誰であろうとも「人から褒められたい」「人から称賛されたい」などという欲求は持っていて当たり前であり、逆に他者からの称賛をまったく求めないという方などほとんど存在しないのではないかということなのですね(たまにそういうタイプの方もいますが‥‥)。
しかし実際には誰であれ人から称賛されれば嬉しいにもかかわらず、世の中には『他者からの称賛』を過剰に求めない方もいれば「人から称賛されることこそ人生における最大の幸せ!」とでも言わんばかりに『他者からの称賛』を過剰に求めてしまう方もいるのではないかと思うのです。
それでは両者の間には一体どのような違いがあるのかということなのですが、私が思うに前者と後者の最大の違いは『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』という価値観を持っているか否かということなのではないかと思うのですね。
要は前者のほうは決して『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』などという価値観を持ってはいないものの、その一方で後者は『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』という価値観を持っているということなのです。
そしてそのような経緯から考えるに誰であれ人から称賛されれば嬉しいものの、後者のようなタイプの方は人から称賛された際にただ単に「嬉しい!」と感じるだけではなく「自分は価値がある人間なんだ!」というふうに感じることになるということなのですね。
何度も繰り返すようですが我々人間は誰もが人から称賛されればいい気分になり非常に嬉しいのですが、それでも後者のようなタイプの方はただ単に「嬉しい!」というふうに感じるだけではなく「自分は価値がある人間なんだ!」というふうに人から称賛されることによって自らに価値を感じようとすることになるということなのです。
そして当然ながら人間である以上は誰もが自分に価値を感じていたいことから、このように人から称賛されることによって自らに価値を感じようとするタイプの方は狂ったように『他者からの称賛』を求めてしまうことになるということなのですね。
またこのように『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』という価値観を持っているということは裏を返せば『人から称賛されない人間には価値がない』というふうに考えているということになることから、このようなタイプの方は人から称賛されることができなかったり自分以外の人間が自分以上に称賛されているような姿を見たりすると自らに価値を感じることができないということになってしまうのです。
そのような経緯からこのようなタイプの方のなかには「自分は価値がない人間である」「自分は誰からも見下される惨めな存在である」などというふうに感じている方もおり、そしてそのような劣等感を払拭したいからこそ『他者からの称賛』を過剰に求めてしまうことになるというケースもあるのではないかと思うのですね。
大事なのはこのようなタイプの方は『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』という価値観を持っているからこそ、『人から称賛される人間=価値がある人間』『人から称賛されない人間=価値がない人間』というふうに考えてしまっているということなのです。
そのような経緯から「自分は価値がある人間なんだ!」というふうに思いたいことから他者からの称賛を過剰に求め、実際に人から称賛されることができると「自分は価値がある人間なんだ!」というふうに優越感に浸ることができるのですが、それでもその優越感はすぐに消え去ってしまうものであり永遠と自らに価値を感じさせてくれるものではないのですね。
これは非常に当たり前の話なのですが、我々人間は人から称賛されたとしてもいい気分になることができるのはほんの一瞬のことであり、例え称賛されたとしてもしばらく時間が経てばそのいい気分や優越感はすぐに消え去ってしまうものであるということなのです。
そのような経緯から考えるに人から称賛されることによって自らに価値を感じようとするタイプの方は確かに人から称賛されればその瞬間は「自分は価値がある人間なんだ!」というふうに優越感に浸り自らに価値を感じることができるかもしれないのですが、それでもその優越感は一瞬にして過ぎ去ってしまうことから、しばらく時間が経てばまた「人から称賛されたい!」という思いに駆られてしまうことになるということなのですね。
その結果このようなタイプの方は例えどれだけ人から称賛されることができようとも決して満足することがなく、永遠と「もっと称賛されたい!」「もっと称賛されたい!」という不足感や欠乏感を感じながら生きることになるということなのです。
そしてここで皆さんに分かってほしいのはこのように『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』という価値観を持っていると『人から称賛される人間=価値がある人間』『人から称賛されない人間=価値がない人間』というふうに考えてしまうことになることから、自らに価値を感じるために『他者からの称賛』を過剰に求めてしまうことになるということなのですね。
しかしこのように人から称賛されることによって自らに価値を感じようとするというタイプの方は例えどれだけ人から称賛されたとしても決して満足することがないことから、いつまで経っても永遠に満たされない思いを感じながら生きることになるということなのです。
確かに人から称賛されればその瞬間は「自分は価値がある人間なんだ!」というふうに優越感に浸り自らに価値を感じることができるかもしれないのですが、それでもそのような優越感は一瞬にして過ぎ去ってしまうものであることから、このようなタイプの方はどれだけ人から称賛されようとも本当の意味で満足することがなくその人生の大半を欠乏感や不足感を感じながら生きることになるのではないかと思うのですね。
そしてその結果このようなタイプの方は「人から称賛されることが人生における最大の幸せなんだ!」とでも言わんばかりに常に人の目を気にし、常に人から良く思われるためにはどうすればいいのかということを考えることだと思うのですが、このような人生は『自分の意思』というものがない非常につまらないものであると言うことができるのではないかと思うのです。
当然ながら我々人間は誰もが自分が本当に送りたいと思えるような人生を送るために生きているのであり、決して人から称賛されるために生きているのではないのではないかと思うのですね。
そのような経緯から考えるにこのような『他者からの称賛』ばかりを求めるような人生は非常につまらないものであるというふうに思うのですが、それでは現時点でこのような生き方をしてしまっているという方がそのような状態から脱却するためには一体どうすればいいのでしょうか?
その方法は非常にシンプルであり、やはりこのような状況から脱却するために必要なのは『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』という価値観を変えることなのではないかと思うのですね。
『すべての人は違うけれども対等な存在である』という価値観
ここまで『他者からの称賛』を過剰に求めてしまう方たちについて見ていったのですが、その背景には『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』という価値観があるのではないかということでした。
要は「人から称賛される人間であればあるほど価値がある」というふうに考えているからこそ「自分は価値がある人間なんだ!」というふうに思いたいことから『他者からの称賛』を過剰に求めてしまうことになるのではないかということなのですが、それではこのような状態から脱却するためにはどうすればいいのでしょうか?
私が思うにこのようなタイプの方が現状から脱却するためには価値観を変えなければならないのではないかと思うのですが、ここで気になるのが新たに手に入れるべき価値観なのではないかと思うのですね。
現状の『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』という価値観が他者からの称賛を過剰に求めてしまう原因であるということは分かるものの、それでも新たに手に入れるべき価値観がどのようなものであるか分からないという方も少なくないのではないかと思うのです。
そのためここでは新たに手に入れるべき価値観について見ていきたいと思うのですが、私が思うにこのようなタイプの方たちが新たに手に入れなければならない価値観は『すべての人は違うけれども対等であり、誰もが愛されるべき存在である』という価値観なのではないかと思うのですね。
要は我々人間は誰もが違うものの、そこに『人間としての価値の差』はなく誰もが違うけれども対等な存在、すなわち人間としての価値は同じであるということなのです。
『他者からの称賛』を過剰に求めてしまうという方は『人から称賛される人間であればあるほど価値がある』というふうに感じているからこそ『人から称賛される人間』は『誰からも称賛されない人間』よりも価値があるというふうに考えていたのですが、このような考え方をやめ「誰もが対等な存在である」というふうに考えなければならないということなのですね。
確かに我々人間は誰もが違うことから、なかには多くの人から称賛される人もいればあまり称賛されない人もおり、多くの女性からちやほやされるかっこいい人もいれば女性からあまりモテずキャーキャー言われるようなタイプではない方もおり、多くの子供から憧れられるヒーローのような存在の方もいれば子供から憧れらえるようなタイプではない方もいることだと思うのですが、大事なのはこのような『人間としての違い』を『人間としての価値の差』として考えてはいけないことなのです。
人から称賛されることを過剰に求めてしまうという方たちは『人から称賛される人間=価値がある人間』『人から称賛されない人間=価値がない人間』というふうに考えている傾向があるのではないかと思うのですが、大事なのはこのように『人間と人間の間には価値の差がある』というふうには考えないことなのではないかと思うのですね。
『他者からの称賛』を過剰に求めてしまう方たちは「人間と人間の間には価値の差があり、人から称賛される人間であればあるほど価値がある」というふうに考えられているのではないかと思うのですが、これが他者からの称賛を過剰に求めてしまう最大の原因なのではないかと思うのです。
そしてこのように考えているからこそ「自分は価値がある人間なんだ!」というふうに思いたいことから他者からの称賛を過剰に求めてしまうことになるのではないかと思うのですが、ここまでにも見てきたようにこれは人生において非常にもったいない時間なのではないかと思うのですね。
そのような経緯からこのような習慣からは誰もが可能な限り脱却しなければならないことだと思うのですが、脱却するために重要なのが価値観を変えることであり、そして新たに手に入れるべき価値観が『すべての人は違うけれども対等な存在である』というものなのではないかと思うのです。
私たち人間は確かに誰もが違い、そこには能力や容姿、社会的地位や経歴という意味での「優れている、劣っている」という違いはあるかもしれないのですが、それでもそのような『人間としての違い』を『人間としての価値の差』として考えてはいけないということなのですね。
そして現時点で他者からの称賛を過剰に求めてしまうという方でもこのように『すべての人は違うけれども対等な存在である』という価値観を頭のなかに打ち込むことができるようになれば、他者からの称賛を過剰に求めることからは解放され本当の意味で自由な人生を歩むことができるようになるのではないかと思うのです^^
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