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『花束みたいな恋をした』30歳独身婦人の感想垂れ流し

『花束みたいな恋をした』を鑑賞した。心底1人で観に行ってよかったけど、そもそも観にいかなければよかった……、と後悔するくらい自分の決定的な欠陥を突きつけてくる映画でとても辛かった。2021年トラウマ映画トップ3入り確定ではないでしょうか。30歳独身婦人としての感想を垂れ流しこの感情を成仏させてくれ。

普段こんなド真ん中ストレート恋愛映画なんて見ないのだが、友人に「お前は絶対これを観ろ、そして過去を振り返れ」と言われたのでそこまで言うなら……と思い渋々映画館に赴いてみたら、読後感としてまんまと冒頭の感情を抱き内省のために筆を取ったわけなのでやはり持つべきものは信頼できる友人だ。

エモ散らかして半ベソになる前半

序盤は共感の嵐だった。なぜならば、花束みたいな恋だろうが地べた這いつくばるような恋だろうが、私の場合だいたいDCPRGやギャスパー・ノエやうめざわしゅんを知っているかどうかから恋愛が始まるからだ。
絹(有村架純)と麦(菅田将暉)が押井守、今村夏子、きのこ帝国といった共感の接点を通じて惹かれ合う過程は「悔しいけど私じゃないか〜」と思わざるをえなかった。

余談だけどこういう人たちの家って(というかこういう人たちを表現する家の小物として)絶対にAKIRA全巻置いてあるよね。それ、だいたい合ってる。私も父が持ってた初版棚に並べてるし。


居酒屋やファミレスで趣味をシェアしあうサマ、互いの知らないことを教えあうサマ、知識をひけらかすマウンティングではなく純粋に知を2倍にしていくサマも全身の毛穴が開くほど共感。
そういえば昔ヒップホップの話で盛り上がってさんぴんキャンプ誘ったなぁ。本も、阿部和重と伊藤計劃交換したなぁ。

ニッチな趣味の共感の接点→単純接触効果→恋愛感情に発展し付き合うというフォーマットが「わかるわかる……」と思えまくってしまう前半なのだ。この時点で昔を懐かしみ半ベソ。

後半で絶望的な感情になることをこの時の私はまだ知らない。

魂を削られライフがゼロになる後半

ただ、ずっと仲良く暮らしましたとさ、という話なわけもなく、絹と麦は就業観の違いを皮切りに加速度的にすれ違っていく。最終的には共通の友人の死への捉え方の違いが決定打となり約5年間の関係を終わらせることになる。

“男の戰い”的なものが垣間見えるようになり社会人として地に足つけていく麦と、「楽しくないことはやりたくない」をブラさない絹。そんな価値観の違いにより少しずつズレていく2人。
麦は絹との生活を維持するために好きだったイラストレーターの道を諦めるんだけどね。ボタンが掛け違ってくると全てが裏目に出るものだ。

ただし彼らはすれ違ったから別れたのではなく、「互いの違いに目を向けることから逃げ続けていた」から別れたのだ。この点に私は魂を削り取られてしまった。

彼らはそもそもそんなに喧嘩をしない。倦怠期になってやっと声を荒げるような喧嘩をするようになるが、なんだかんだ話をそらして、心にしこりは残っているにも関わらず仲直りをしつづけてしまう。考え方の違いに目を向けたり嫌なところを指摘したりすることはまずない。議論して着地点を見つけることも一切行わない。
それがトリガーとなり別れたら嫌だ、という気持ちがあるからだろう。そして自分が、嫌われるのが嫌なのだろう。自分が、傷つきたくないのだろう。

もっと言うとこの2人、付き合うときから相手という個人そのものを認めるというより、「相手からどう思われるか?」「相手に好かれたい」という自分主語の承認欲求で動いている。2人が別れた後に本音をぶっちゃけるシーンがあるが、そこで絹が「実はガスタンクに興味がなかった」、麦が「正直ミイラ展は引いた」と伝え合うのがその証左である。
付き合う前からずっと、自分が心地の良いところだけに目を向けていたのだ。

これがとにかく辛かった〜、全部私だ〜。自分主語で、自分が傷つきたくないだけで、相手を見ているようで全部自分を見ている。
見終わった後よく分からない汗がダラダラ出たので逃げるように劇場を後にした。
ようこんな映画大衆にウケてますな。一定層とってはトラウマ映画かあるいはヘレディタリーばりのホラーだよ。

自分の課題として一応は認識していたことをご丁寧にまざまざと2時間強の映像で突きつけられ強制的に客観視させられて吐きそうになった。ああ私って麦と絹みたいな奴だったんだ恥ずかしい。ちなみにこういう自分をさらけ出す文章を垂れ流してるのも恥ずかしい。過去の交友関係全方位に赤面。

絹と麦はこの恋愛を通じて、他者との違いを認め、受けとめたり議論したりするという共生のためのメソッドを体得し、互いの新しいパートナーで実践していくのだろうが、私は未だにこれができない。
何度恋っぽいものをしても相手の違いを受容することが難しい。他人を慮って生活できない。そのくせ他人に指摘もできない。自分主語の中二病から抜け出せないでいる。結果、どちらかが「都合の良い人」になって終わる。
眞鍋かおりも言ってたのにね、価値観と予算とスケジュールが合う友達なんてそんなにいないって。恋人ならなおさら見つけられないだろうに。つまりこの世は相補性が前提なのだよ。わかってるが……なぜかそれが30になってもできない!

文字にすると自分のヤバさが際立つな、南無南無

ふと思い出したけど、そう考えると『A子さんの恋人』でA君がA子に贈った「一緒に生きていく方法をふたりで考えましょう」って言葉マジで人類が共生する上でのド名言だね。私もそんなこと言える人間になりてぇ〜なれる気がしねぇ〜

この文章を垂れ流したからといって明日からいきなり他者に目をむけられる受容性と元気モリモリな女にはなれないんだけど、まずは他人の服装や持ち物に興味を持つところから始めてみますか……。

「お前は絶対にこの映画を見て直ちに内省しろ」と言ってくれた友人の愛の深さとトラウマ映画を世に放った土井坂元タッグに深くお礼申し上げます。

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