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短編|白淵山のご機嫌な雨(牡丹と獅子・番外編)

こちらは、本年7月発売の『牡丹と獅子 双雄、幻異に遭う』(角川文庫)を読んでくださった方へのお礼SSです。
手にとってくださった方、読んでくださった方、また感想をお寄せくださった方、お手紙やイラストを書いてくださった方、本当にありがとうございました。言葉にならないほど嬉しかったです。
てんこ盛りの感謝をこめて、本作を捧げます。

時間軸としては、本編終了後の「日常の一幕」となりますが、本編の大きなネタバレはなく、単独としてもお読みいただけるかと思います。楽しんでいただけますように!

登場人物】
洛宝(らくほう)……本編主人公。美貌の毒舌ぐうたら道士
英傑(えいけつ)……本編主人公。炊事洗濯なんでもござれな便利屋
斗斗(とと)……虎の仔の姿をした精怪


白淵山のご機嫌な雨


「今日も雨か……」
 白淵山、緑雲閣の一室。
 洛宝は円窓のふちに腰かけ、雨天を見上げながら鬱屈として呟いた。
「おー。雨だなー」
 のんびりと答えたのは、英傑だ。床に広げた敷き布に座り、酒を飲みながら、七弦琴を手慰みに爪弾いている。
(この男はあいかわらず心地のいい音色を奏でる)
 洛宝は口には出さずに感心する。
 脳みそまで筋肉でできていそうな武人のくせして、琴の音は胸に沁みるほどに繊細だ。
 とはいえ、今日ばかりは英傑の琴も洛宝の心を慰めはしない。
「英傑。雨が降りだしてもう七日だ。なんとかしろ」
 不機嫌に命じると、英傑は「無茶言うなよ」と苦笑した。
「水神さまの祟りだってんなら、雨をやませる方法もあるんだろうが……ただの秋の長雨だろう? 便利屋ごときになにができるってんだよ」
 英傑はそう言ってから、不思議そうに顔をあげた。
「ずいぶん機嫌が悪いな。べつに嫌いじゃなかっただろう、雨」
 洛宝は顔をしかめる。
 たしかに嫌いではない。むしろ好きだ。こうして窓辺に座り、雨音に耳を傾けながら酒杯を傾けるのは、至福のひとときとも言えた。 
(いや、そんな風には思えない日もあったな……)
 風が強まれば、窓の板戸を閉めざるをえない。すると雨音は遠のき、室内の静寂がきわだつ。そうしたとき、不意に襲いかかってくるのは、孤独と、虚しさだった。だれよりも大切だった兄はすでに亡い……その事実を思いだし、どうしようもなく気分が塞いだ。酒の味すらわからなくなり、好きであるはずの雨すら疎ましく思えた。
 今、素直に「雨が好きだ」と思えるのは、英傑がいるからかもしれない。
 英傑が棲み処にしている庵は緑雲閣よりも古い。壁や床は修繕が済んでいるが、屋根までは手が回っておらず、ついにこの雨で雨漏りしてしまった。「雨がやむまで」と緑雲閣に避難してきて、すでに六日が経っていた。
 ともに酒好きということもあって、夜には自然と酒宴がはじまる。寂しさを感じる暇もなく、毎日がただひたすら賑やかにすぎていく。
(楽しい)
 などと思いかけた洛宝は、ハッと我にかえり、円窓のふちにゴツンと頭をぶつけた。
(くそ。この私がなにを腑抜けたことを!)
 楽しんでない。断じて楽しんでなどいない。
 ふちに額を押しつけたまま、洛宝は葛藤する。
「なんだなんだ。どうした?」
「うるさい! なぜ不機嫌か、だと? おまえみたいなでかぶつがいつまでも緑雲閣に居座り、邪魔で仕方ないからに決まってる! さっさと出ていけ!」
 にらみつけると、英傑は「へーえ?」とにやりと笑った。 
「毎晩、酔っぱらうたびに、『杯を交わす相手がいるのは楽しいな!』なんて大はしゃぎしてる奴が、不機嫌ねえ」
「……っな」
 洛宝は記憶にないことを言われ、つかのま言葉をなくした。
「だれが大はしゃぎなどするか、適当なことを!」
 洛宝は棚上の竹簡を掴んで、力まかせに投げつけた。
 英傑はそれをひょいとよけ、にやにやと笑う。
「酔わなきゃ素直になれないってのは面倒な性分だなあ。楽しいなら楽しいでいいだろうがよ、っと!」
 英傑が手元の酒甕を掴んで、軽く投げてきた。
 飛んできた酒甕をぱしっと受けとめ、洛宝はそれを左右に振る。水音はしない。空だ。洛宝は顔をしかめ、空っぽの酒甕を投げかえした。
「楽しんでない。それと、どうせなら中身の入ったやつを投げろ、気の利かない奴め」
「そりゃ悪かったな。たしかひと甕ぐらい、中身の残ってるやつがあったと思ったが……これか? これか? これだったかな?」
 くつくつと笑いながら、英傑が次々と酒甕を投げてくる。どれも昨晩ふたりで呑み散らかした空の甕だ。洛宝は「ふざけるな」と英傑に投げかえすが、英傑は身軽によけ、さらに別の酒甕を投げてきた。
 次第に興に乗る。英傑は手をゆるめずに甕を放ち、洛宝もまた、なにがなんでもひと甕はあいつに当ててやろうと意気ごみ、応戦する。やがて室内には、ふたりの賑やかな笑い声が響きわたり、そして――、
『うるさいです』
 ぴたり。洛宝と英傑は同時に動きを止め、酒甕を投げあう体勢のまま、声のほうに目をやった。
 室内と廊下とを仕切る薄絹の帳の下に、斗斗がちょこんと座っていた。
 だが、いつもと様子がちがう。普段は丸っこい虎の仔に似た姿の斗斗だが、いまは全身の毛が針山のようにボサボサに逆立っている。
 なによりもちがうのは、その目つきだ。
 殺気だっている。
『毎晩毎晩おふたり揃って、どんちゃん騒ぎ。歌って、琴弾いて、踊って、笑いころげて、散らかし放題で……あげく、なんですか。この騒ぎは』
 斗斗がぶつぶつと呟く。その据わった声にたじろぎつつ、洛宝はもごもごと反論を試みる。
「どんちゃん騒ぎは認めるし、鼻歌をうたったのも認めるが……踊ってはいないぞ、斗斗」
『踊ってるでしょーが! 心がるんるんに踊ってるのが、透けっ透けなんですよ、洛宝さまは!』
 洛宝は絶句する。英傑が声をあげて笑った。
「いいぞー、斗斗殿。もっと言ってやれ」
 その途端、斗斗の目が英傑をにらみつけた。 
『英傑さまもなんですか! 空甕で投げっこなんてして! 何歳ですか、あなた!』
「えっ。あ、いや、つい調子に乗って……申しわけない、家僕殿」
『こっちは長雨のせいで毛がボサボサで、髭もしおしおしちゃって、イライラしているのに、人間たちはご機嫌でけっこうなことですね。……もうっ。雨なんかきらいだーっ』
 逆立った毛並みから、ぼっぼっと怒りの炎を噴きちらしながら、斗斗が四つ肢で走りさっていく。
 ぽかんとしていた英傑が、おろおろと洛宝を振りかえってきた。
「どうしたんだ、斗斗殿は」
 洛宝は額に手を当て、深々とため息をついた。
「斗斗は雨が嫌いなんだ。毛がボサボサになるから。己を白淵山でいちばん優美な獣だと思ってるから、雨の日の乱れた毛並みが矜持を傷つけるらしい。だから雨天がつづくと巣ごもりして、私の牀榻にも寄りつかなくなる。……腹毛をもふりたいのに」
 洛宝は、くうっ、と歯がゆさを嘆く。
「もう七日だぞ、英傑。七日も、斗斗の腹毛に顔を埋められていない。これが不機嫌にならずにいられるか!」
「……ああ。洛宝が不機嫌な理由も、斗斗殿の塩対応が原因なわけね」
 英傑は呆れた声で言って、ふいに「ふっ」と噴きだした。
「いやしかし、毛がボサボサになった姿も、あれはあれで愛らしいと思うんだがな」
 くっくっと笑う英傑に、洛宝もしみじみとうなずいた。
「毛玉の化け物みたいで悪くないだろう」
「ああ。じつに可愛らしい。けど、まさか白淵山一の優美な獣を自称してたなんて……」
 英傑が肩を震わせる。洛宝もこらえきれずに口端をひきつらせた。
「笑ってやるな、英傑。私が力を抑えこんでるとはいえ、斗斗はもともと道士喰いの凶悪な精怪だ。もしこの会話を聞かれて怒らせでもしたら、厄介なことに……」
『――ねえ、お二方』
 ふたたび斗斗の声がし、洛宝はハッと口をつぐむ。
『いま、斗斗のこと……笑いました?』
 まずい。背筋が凍りつくほどの殺気を覚え、洛宝はこわごわと帳のほうを振りかえる。
 そのとき、窓の外で稲光が閃いた。
 白い雷光に透けた帳の向こうで、小虎の形をした影がゆらりと揺れる。
『笑いました、よね……?』
 影のなかで、赤い眼光がぎらりと光った。
 
 ――待て、斗斗、誤解だ、話せばわかる!
 ――なにが誤解なんですかああ! 毛玉の化け物? もう許しませんからねええ!!
 ――うわあ、斗斗殿、火を放つな、家が燃える!
 
 緑雲閣で、悲鳴があがる。逃げまどう足音が響き、獣の咆哮がとどろく。
だが、それらの賑やかな音は、優しい雨音にくるまれ、外まで漏れきこえることはない。
 白淵山の秋雨の一日は、今日も穏やかに過ぎさっていく。


 
おわり


お読みいただき、本当にありがとうございました!



本編あらすじ

「眠らずの獅子」の二つ名を持つ劉英傑は、乾帝国の南の辺地、神仙が住む山と言われる白淵山の麓にある龍渦城市で便利屋を営んでいる。
英傑は、水神様の祟りと噂される事件解決を依頼されたことをきっかけに、白淵山に住む「百華道士」こと丁洛宝の噂を聞く。
彼は牡丹のように美しい顔立ちをしているが、大の人嫌いでめったに人前に出てこず、さらに彼と目が合うと死ぬ――のだという。
図らずも洛宝と接触した英傑は、彼の近寄りがたいほどの美貌に反した毒舌と、中身の率直さに興味を持つ。
怪力乱神がらみの事件を解決する便利屋となれ、と元締めから背中を押された英傑は、炊事洗濯なんでもござれの特技を活かし、半ば強引に食客として洛宝の庵に居座りつつ教えを請うことに。
初めは英傑を疎んでいた洛宝だったが、英傑に持ち込まれる幻異事件を共に解決していく羽目になってしまう。
次第に相手のことを密かに面白く感じていく2人だが、それぞれ消えない過去の「傷」を抱えていて……?

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