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78歳の初来日ピアニスト、2時間ノンストップでバッハを弾く〜アリス・アデール、バッハ「フーガの技法」全曲

2024年2月12日(月)、武蔵野市民文化会館でアリス・アデールの弾くバッハ「フーガの技法」を聴いた。

アリス・アデール(Alice Ader)、1945年フランス生まれ。
フランス人ピアニスト、御年78歳にしてなんと初来日である。


1.  リサイタル概要

アリス・アデール ピアノ・リサイタル《第1日》

ドイツ・プログラム<大絶賛を浴びたフーガの技法・全曲>
長らく来日が望まれながら来日をしていなかったフランスの秘宝がヴェールを脱ぐ!武蔵野での2会連続公演により、そのたぐいまれな鍵盤芸術の全貌がついに明らかになる。第1日目は青柳いづみこも絶賛した驚愕のJ.S.バッハのフーガの技法を味わい尽くす!

日時・会場
2024年2月12日(月・祝)14:00開演 (13:30開場)
武蔵野市民文化会館小ホール

出演
アリス・アデール(ピアノ)

プログラム
J.S. バッハ:フーガの技法 BWV1080 全曲
[演奏時間:約110分(休憩なし予定)]


彼女は今回の来日で、東京で2公演、名古屋で1公演を行う。
バッハ「フーガの技法」のプログラムは東京の1回のみ、しかも来日して最初の公演だ。
「フーガの技法」は2時間近い作品だが、それをノンストップ休憩無しで弾くという。

2.  私と「フーガの技法」の距離

私はバッハの鍵盤曲の良い聴き手ではない。

一部の曲を除いて何度も聴くほど好んでいないし、その一部の曲というのも、曲自体に惹かれたわけではなくて演奏者と密接に結びついた形での受容だ。
例えば、W.バックハウスの弾く組曲、R.グードや最晩年のC.アラウの弾くパルティータ、E.フィッシャーの平均律、グールドのゴールドベルク変奏曲、チェルカスキーの弾く小品(他の作曲家による編曲)など、と、曲の前に必ずピアニストの名前が出る。

上記のリストを眺めればお察しの通り、基本的にとっつきやすい旋律や華やかさがある曲ばかりだ。
そして往年の名ピアニストの名前が並ぶ通り、レコーディングばかりである。チケットを買って出掛けてまでして、バッハの鍵盤曲をわざわざ実演で聴く気が全く起きないのだ。

ただでさえそのような具合なので、その数少ない曲の中に「フーガの技法」は ---言うまでもなく--- 含まれていない。
いや、この際正直に白状すれば、私にとって「フーガの技法」は「聴き通すのが苦痛」というレベルで苦手な作品だ。

Wikipediaに言わせれば

『フーガの技法』は、作品固有の緊密な構築性と内在する創造性によって、クラシック音楽の最高傑作の1つに数えられている。

フーガの技法-Wikipedia

なのだそうだ。

しかしながら、作曲技法を駆使した名作なのだろうという情報は理解できるしその想像もつくのだが、実際に聴いてみても何が良いのかさっぱりわからない。
聴いていると常に眠くなる。
その「フーガの技法」をノンストップ休憩無し、2時間近くかけて弾くのだという。
私にとって、それに耐えるのはもはや拷問ではないか。

3. 直観

コンサートは年間70本ほど行くが、自慢ではないが「当たり」を引く率は極めて高いほうだと思っている。
演奏家についての様々な媒体からの情報、プログラム内容、公演会場などを総合的に判断し、自分のスケジュールや予算を勘案し、これなら賭けても良い、と思うものを最後は勘で選ぶのだが、演奏そのもので明らかなハズれを引いたことはほぼ無い。
(客質が悪かったり迷惑客がいるものを引いたことはある。特にN響と都響で比率が高めなのはなぜだろう・・・。)

このアリス・アデールは招聘元のオフィス山根さんのブログで紹介されていたのをたまたま見つけた。

Youtubeでピアニスト本人のチャンネルもあり、いくつか演奏を聴いてみて、ふむふむと思いつつも、それ以上ではなかった。


だが、直感的に「なんだかわからんが、これは実演を聴いたほうがいい」と頭の中でアラートが鳴った。
びっくりするほど安かったこともあり、半信半疑のまま東京公演2日分のチケットを確保した。

4. 実演

苦手な「フーガの技法」の実演、どうだったのか。


控えめに言って素晴らしかった。

いや、最高だった。

ただし「フーガの技法」は私にとって鬼門でこれまでろくに聴いてこなかったので、何が素晴らしかったかを十分に言語化できない。
なので、簡潔に。

『大の苦手だった「フーガの技法」が、好きな曲へと180°変わった』

まさかこの晦渋だと思っていた曲が、実はこんなに面白いと思わされるとは。
面白い、といっても表面的なエキサイティングさではなく。
バッハによって曲が構造的に組み立てられていく様が目に見えるように演奏され、そこに1時間50分間近く、ひたすら魅了された。
構造が見えるといっても冷たい分析的な演奏というわけではない。
知的でありながらも、長年この作品を弾き続けてきたピアニストの、作曲家への献身と敬愛の情に満ちた演奏とでも言うのだろうか。

全く長さを感じなかった。

いやぁ、未だに言語化できないけれど、なんだか凄いものを見た。聴いた。

5. ピアニストの言葉

「フーガの技法」は、未完の作品。最後の曲の途中で唐突に終わる。
それを後生の作曲家が補筆完成させたものもあるが、アデールは未完のままで演奏する。

彼女はプログラムで以下のように述べている。
少々長いが引用する。
(なお、この日本語も実に見事な翻訳だと思う。)

J.S.バッハ:フーガの技法

私が「フーガの技法」に取り組み始めたのは、長く病気をわずらっていた、 その療養期間中のことだった。この作品はほぼ2年間にわたり、日々私に寄り添ってくれて、私を癒やし、栄養を与え、取り戻してくれた。天才的な作品であると同時に、魂の糧である。この作品は人間の最も深い本質を内包している。目に見えないもの、そして変容を教えてくれる。

《フーガの技法》は1745年から47年にかけ、音楽の数学的な解釈を探求して いたドイツの音楽愛好家団体、音楽科学文書交流協会(Correspondierende Societät der musicalischen Wissenschaften) のために作曲された。

ヨハン・セバスチャン・バッハには記念碑的作品が多数存在しているが、こ の曲はその最後を飾る作品だ。驚くほど複雑で、対位法とカノンのあらゆる 形式が一つの主題、一つの調を基本として書かれている。

バッハは亡くなる1年前に視力を失っており、この作品は未完成のまま遺された。

バッハはこの作品の最後に 《音楽の捧げ物》 と同様、自分の名前(B/A/C/H= シ♭,ラ,ド,シ♮)を刻み込んでいる。

バッハの最も偉大な理論的作品がこうして未完成であるということ、すなわ ちバッハがフーガという形式の絶対的巨人であったにも関わらず完成させる に至らなかった、という事実は、人間は美しくも不完全であることの証言で あり、圧倒される思いだ。

ジル・カンタグレルはヨハン・セヴァスティアン・バッハについての著作『粉挽き小屋と川』 (Le Moulin et la rivière) の中で、きわめて美しい言葉を書いている。「この作品は時間というものを廃する精神的体験であり、人間という 存在の条件から逃れようとしている」。

私は絶対的にこの言葉を支持する。

                          アリス・アデール

公演プログラムより引用

6. 長い沈黙

アデールには「フーガの技法」のライブ録音がある。
Youtubeで探せば聴けるが、最後の曲が唐突に終わると、長い沈黙ーーーおよそ20秒を超えるーーーそして大きな拍手が湧き上がる。
この「長い沈黙」はいかにして生まれたか不思議だった。
演奏者が弾き終えれば、どんな曲であれ、大抵は数秒経てば誰かしらが拍手をし始めるからだ。

数十秒に渡る長い沈黙は一度だけ体験したことがあるが、それは2022年10月、現役最長老の巨匠ブロムシュテット指揮/NHK交響楽団によるマーラー「交響曲第9番」という非常に特別な演奏会だった。あれはまるで神秘的な儀式のような場だった。

果たして、たった一人のピアニストのバッハ演奏で、それと同じことが起きるのだろうか。
ライブ録音がそうなっているのは、おそらく単なる偶然だろう、と。

だが、その日の武蔵野市民文化会館小ホールでは、本当に、その長い沈黙が再現された。
終曲が唐突に終わったあと、ピアニストの動きが止まる。
誰一人として動けない。
じっと楽譜を見ていたアデールが、しばらくしてゆっくりと体を椅子から傾けると、ようやくそこから拍手が沸き起こった。

その後は熱狂的、と言って良いと思う。
2時間近い大曲を、一切の弛緩も破綻も無しに、見事に弾き切ったピアニストに対しての賞賛の拍手は凄まじかった。
そして繰り返されるカーテンコール、幾人ものスタンディング・オベーション。

ご本人も満足の出来でご機嫌だったのだろう、なんとそこからアンコールを2曲も弾いてくれた。
しかもバッハとシューベルト!
まずはバッハ「ゴールドベルク変奏曲」から第25変奏、そしてシューベルト《17のレントラー》D366 第12番。
適度に緊張の解れた雰囲気の中で、いずれも染み入る演奏だった。

7. 会場の物販は完売

終演後にCDを購入しようと物販コーナーに向かったが、購入するとその後のサイン会に参加できるということもあり、数十枚あった各種CDは見事に完売。
このときばかりは開演前にCDを買っておかなかったことを後悔した。
今週土曜のコンサートでもし再度物販があったら、開演前に確保することを固く誓ったのであった・・・。

8. ピアノのコンディション

一つだけこのコンサートで気になったのは、ピアノのコンディションが少々宜しくなかったのかな、ということ。
全体的に少し音が重く、ややぼやけた感があった。(もちろん、演奏の魅力の前には些細なことですが。)
おそらくアリス・アデールのピアノは、もっと芯があってピリっとしたキレがあるのではないか。曲によっては演奏からそう感じるものがあった。
同行者も曰く、弱音がうまく響いてこなかった、調律後に急に予想外に湿度が上がった際にああなる、とのこと。

おそらくだが、今回のコンサートは完売・満席で、しかも14時開始。
ランチ後の、体温が上がって湿度をたっぷり放出する人間(しかも男性比率多め)がみっちりと詰まった小ホールなので、急激に温度や湿度が変化したのではないかと思う。

9. 2日目公演(2/17)への期待

土曜日にはフレンチ・プロがある。
もちろんチケットは確保済み。そちらも完売らしい。
ドビュッシーやラヴェル、セヴラックといったプログラムなので、ピアノのコンディションはバッハよりも軽やかに微調整してきてくれると嬉しい。
ドイツものとはまた違った洒脱な演奏となるのだろうか。
今から楽しみでならない。

そして後半のフィリップ・エルサン:《エフェメール》全 24 曲に至っては、アデールに献呈され、彼女が初演した作品だ。
おそらく今回が日本初演だろう。
そして、どうやら作曲家本人もこのタイミングで来日するようなので、会場に臨席されると思われる。

特別なコンサートとなりそうだ。

10. 是非再度の来日を!

そして、気の早い話だが、是非再度の来日をお願いしたい。
録音にはメシアンやムソルグスキー、シューベルト、モーツァルトなどもあるようだし、CDを出していないものも多数レパートリーに入れていると思うので、是非いろいろなものを聴いてみたい。
個人的には、メシアンと、アンコールで弾いたバッハ「ゴールドベルク変奏曲」の全曲が聴いてみたい。
(ということでアデールを招聘してくれたオフィス山根さん、是非お願いします!頑張って!)

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