脳の処理能力が落ちているときは本、と今週の3冊
外の世界を知ることは、気分を安らかにしてくれる。とくに自分が行き詰まっていたり、視野が狭くなっているときに。
ただ、本は視覚情報を与えてくれない。遠く離れた人の物語も、人物の顔すら想像で補わないといけない。でも私はそれが好きだ。情報量が多すぎる世界の中で、本を読んでる時間だけは自由になれる。
処理しないといけない情報が文字しかないからこそ、想像力や記憶力、類推力などほかの部分で脳を広く使える気がする。そして、それこそが外の世界を自分なりに知る、という安らかさと豊かさにつながっていく。
また前置きが長くなった。今回は米・英・仏の本を読んだ。
フラニーとズーイ
ずっと読みそびれていたフラニーとズーイ。
Amazonから届いたとき、母が「私の時はフラニーとゾーイーだった…」と慄いていた。その野崎孝訳も家にあるはずらしい。
あらすじとしては、知性もルックスも抜群の兄妹ゆえに抱える人生の混乱と困難、及びそれに対する考え方のあれこれ。宗教にすがることの曖昧さ、という点においては前回書いた西加奈子「サラバ!」にかなり通ずるところがあった。
さて気になる春樹訳だが、個人的には今回は割とうまく機能していたと思う。(彼の翻訳はハマる本とまったくハマってないものがあると個人的に思っている)
特に前半にある妹ズーイのパートでは、いい意味で彼っぽくない「年頃の女の子」感がきちんと控えめに出ていて、だからこそ後半パートとの文体の違いが際立っていたし、それこそが本書の旨味だと感じられた。
サリンジャーそのものについては、ナインストリーズはじめ割と読んでいるし好きな方だ。
ただ13歳で読んだ『ライ麦畑で捕まえて』だけは「は?なにこいつ大丈夫?意味不」としか思えず読了してしまったので、そのうちまた読んでみたい。たぶん私に青春は早すぎたのだと思う。そして、もういくぶん遅い気もする。
羊飼いの暮らし
今回のイチ押しはこれだ。日本ではあまり話題になっていないが、NYTの批評家をして唸らせ、英米ではさまざまな賞を番狂わせ的に獲ったという。
著者はイギリス湖水地方の伝統的な羊飼いの家に生まれ、学校もろくに出ず羊飼いになった。その後成り行きでオックスフォード大に進学し、また羊飼いに即戻るという変わった経歴の持ち主だ。
そんな彼が心からリスペクトを払う伝統的な羊飼いの暮らしを追体験できるのがこの本である。
私は別に読む前から、正直羊飼いの暮らしに興味はあまりなかった。そして、今もなりたいとは思っていない。
しかし、それでもこの本を強く推すのは、本書を読むことによって
・遠く離れた場所に住む人々の生活・価値観をリアルに体感できること
・そしてそれらをリスペクトすることが結果的に自分自身のものさしを大きく広げてくれるから
である。
古典ではなく、現在も続いている伝統をリアルタイムに知れる本はそう多くない。羊飼いに軸足を置きつつ、オックスフォード大を卒業した若い著者ならではの切口だ。
ちょっと不思議な本だと思う。羊飼いのハウツー部分が多いので最初はおや、と思うかもしれない。しかし読み進めることによって、中央と地方(あまりこういう言い方はしたくないが)ホワイトカラーとブルーカラー、地域間による価値観の違いと多様性、それぞれの職業倫理など普段触れることの少ない葛藤が沢山でてくる。
特に都会育ちで地域産業に興味がある人はぜひ読むべき一冊だと思う。そして、実は一番読んでほしいのは地域になんて興味がない、と思っている人たちだ。
異邦人
子供たーちがー空に向ーかいー 両手をひ⤴︎ろげー
鳥や雲やーゆめ⤴︎までもー 掴もうとーしていーるー⤴︎♪
フランス文学でこんなにあっさりした文体は久しぶりに見た気がする。読みやすい。
主人公ムルソーは何に対しても「いずれにせよ同じことだ」と度々口にする。結果、成り行きで殺人を犯すことになるのだが、それでも個人的にはミレニアルおよびゆとり世代と割と考えが近しい気がしてしまう。
なんか、一周まわってこれはミレニアル文学だと思う。短いし、淡々と進むから隙間読みにも向いている。読みそびれている人、ぜひ読んで感想を語ろう。
それはそうと、異邦人を読み終わってからもずっと久保田早紀の名曲「異邦人」が頭を離れない。早くカラオケくらい行ける体になりたいものだ。
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