東京 パンデミック: 写真がとらえた都市盛衰
東京という都市は、自然がもたらしたパンデミックにより大きな揺さぶりを受けた。一方で、写真家である著者は粛々と仕事を続けた。人工性に塗り固められた都市空間を異化する自然との邂逅に、いつも通りに感謝の挨拶をするように写真が撮られた。
本書ではコロナ禍の東京で撮影された写真とそれを端緒とするエッセイが繰り返される。36枚の写真は「人工と自然の力関係の記録」という、これまでの著者の制作活動の主題から逸れることは無い。身体の反射に従って撮影するというのだから、その一貫性は必然的ともいえる。その全てが、自然の健全な美しさの発見と共に、人間や都市の病理を炙り出す写真である。写真と共に綴られるエッセイは複数の写真に映ったモノ同士の関係の共通性から構造を発見し、そして意味を捉えるという著者の写真の見方を教えてくれる。
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本書では各写真の撮影日における新型コロナウィルスの感染者数のメモが各エッセイの後に付されている。連日テレビで放送され、人々を一喜一憂させている数字である。しかし、ここではその数字の大小に本質的な意味はない。敢えてこれが記してある効果とは、ウィルスと人間がせめぎ合う時間の流れを感じさせることか。あるいは、コントロール不可能な自然が都市の背後にあることへの気づきを与えることかもしれない。
本書の中で、自然は全てが意識的にコントロールされた都市の中の異物であると述べられた。都市を覆い尽くしていく様なウィルスの気配をイメージして写真に重ねてみると、都市の人工物の方が制御不能な自然の中に内包された異物に見える感覚が湧いた。ウィルスは写真が記録した都市の人工と自然の関係の見え方をいくらか変化させるフィルターになっているように思えた。
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このウィルスのフィルターの濃度は、パンデミックが過去の記憶になるに従って薄まっていくだろうか。本書の最後には東日本大震災に被災した東北の人々との出会いが回想されている。津波もパンデミックと同様に人工性に埋没した人間の精神を揺さぶる大事件であった。津波に家を流されたことを平然と語る人々は、自身が自然の循環の一部に組み込まれているという諦観を持っているようだ。人間を中心とした都市での生活では、自然への意識を一時的に思い出したとしてもまたすぐに忘れてしまう。こうした人間の愚かさはパンデミックの今まさに実感されるものであろう。
自然は恩恵も災いももたらすが、人間に対して全く無関心である。しかし、人間は自ら進んで自然と対峙することでそのメッセージを汲み取り、自身の理性や振る舞いを問い続けなければならない。複数の写真から人工と自然の「構造」を発見する思考とは、全てが目紛るしく変化する都市生活の中にあっても、大きな自然の循環の中に個人がしかと着地する方法を訓示しているように思う。
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本書が教えてくれた人工と自然をフレーミングする術を、自分が日々の生活で目にする風景に重ねたい。人間として、自己や他者の人間性に向き合い続けなければならない中でも、自然に対して魂を開いておきたいと思う。向こうからふとした瞬間にやってくる美しい贈与を見逃さないために。
書籍情報
山岸剛: 東京 パンデミック: 写真がとらえた都市盛衰, 早稲田大学出版部, 2021