あたしでよければ、聞くよ
あんまり学生時代にいい思い出はない。
いじめと言わないまでも、特別に仲のいい友達がおらず、なんとなくはみ出し者だった、ずっと。
わたしはあの子が好きだけど、あの子にはもっと好きな子がいて、わたしはいつも優先されないのだ。
それなりに他者からの承認を求めるタイプのティーンだったわたしは、だから仲良くしてくれる子に追従するきらいがあった。
誘われたらなるべく予定を空けて付き合うし、楽しくない話をされても我慢してにこにこと聞いておく。その子にはほかにもっと優先順位が高いものがあることは分かっているけど、物分かりのいいふりをする。
Aという学生時代の友達は、とにかく面倒見のいい姉御肌だった。
わたしを何かと気にかけ、よく遊びに誘ってくれていた。
合コンに参加させられたこともあったし、知人男性を紹介されたこともあったし、街コンにも参加させられたし、あとはなんだ、なんて言うの、ちっちゃい街コンと言うか、ブログなどで少人数を集めて談笑する会にも連れて行かれた。
こうして書くとなんか……。
たぶん、Aはわたしを憐れんでいた。
男っ気がない(ように見えていたのだろう)わたしを可哀相に思い、男をあてがう。
ちなみに誤解なきよう言っておけば、当時それなりに男っ気はありましたが……?
メンタルがやられて付き合ってた男にメンヘラ化してしまったこともありますが……?
Aは、よくわたしにこう言った。
「何か悩んでるの? あたしでよければ話聞くよ」
当時わたしにはこれが苦痛だった。
たしかに、メンタルがぼろぼろになった時期もあったし、ティーンなので悩み事は尽きない。
たぶん心のどこかで「この人に話すのは何の解放にもならないんだろうな」ということを理解していた。
わたしのタイミングで話したい悩み事を、Aのタイミングで喋らされることに違和感しかなかった。
でも、わたしは何せ承認されたい人だったので、言われるままにそのとき抱えている悩みを打ち明けることも幾度かあった。
そのたびに、わたしは自分を「安売り」してしまったと感じていた。
でも、Aに悩みを話して「そっかつらかったね」と承認してもらうはずが、Aは何を話しても「そっか、でもあたしなんてさ~」と自分の話に持っていきがちだったし、「そんなの、こうすればいいじゃん」と謎に解決策を講じてきたのだ。
よくネットで、女と喋る理系の男のテンプレが流れてくる。女は話を聞いてもらって頷いて慰めてもらいたいだけだが、理系の男は対策と解決を提案して白けさせる、というやつ。
あれは、理系とか女とかそういうのはいったん置いといて、ある種的を射ている。話し手はただ静かに聞いて「うんうんお前は悪くない」と言ってほしいだけのときがある。
それを理解しないで、「ここをこうすれば解決するのでは?」「もっとこうしたらよかったのでは?」と言うから槍玉にあげられちゃうのである。
たぶんAは、わたしのそういったかまってちゃんな「ただ聞いて頷いて同意してほしいだけ」というのに気づけず、あまつさえ「もっとつらい自分の経験」「解決策を提案できるあたし」を提示することで、自分の承認欲求をわたしで満たしていたのだ。
だから、結局彼女の「あたしでよければ話聞くよ」というのは、ほんとうにわたしを案じていたわけではないのだと、振り返ってようやく気づいた。
Aが悪いと言いたいわけじゃない。わたしだって、Aに承認欲求を満たしてもらおうとしていたのだから、お互い様だ。
ただAのほうが一枚上手だっただけの話。
時を経て、今やAとは音信不通だ。
自分のつらい経験を聞いてもらって承認欲求を満たすことはなくなったし、そうしてほしかったAと、言い方は悪いがこれ以上話すことはなくなってしまった。
当時のことを振り返って、今更ながらに思う。
Aは同い年の女の子だったが、彼女は確実にわたしを「下」に見ていた。
大してかわいくないし、男っ気もないし、大したことない悲しい出来事でヘラってる、駄目な女だと思われていた。
わたしが、Aと縁を切ろうと、音信不通になろうと思ったきっかけは、ある日食事に誘われ、ちょうどその日は予定が空いていたためOKしたときに返ってきたラインでの一言だ。
「えこって誘ったらいつも来るよね(笑)」
あ~。
こいつとこれ以上もう関わりたくない。
このとき、めちゃくちゃはっきりと、そんな感情が奔流のように突き上げた。
薄々感じていた、下に見られている、という認識が確固たるものになったのが、この言葉だった。
余談だが、闘病生活を経て就職してから、一度だけAと会う機会があった。
そのときも、まあたしかに社会人としては先輩だが、彼女は先輩面してなんだかんだ意味の分からない社会人としてのなんたるかを吹聴してきた。
なんか、「えこが社会人とか感慨深い~(笑)」とかも言われた。おめーは俺のなんなんだ?
そんなこんなで思うのは、やっぱり、人付き合いは尊敬の上に成り立つということ。
相手を下に見ることと相手をかわいがることは、まったく別ベクトルの話だし、無意識だろうが意識的にだろうが、見下しているというのは、相手に伝わる。
わたしがAのためにわざわざ予定を空けたことも、なぜ誘ったらいつも来るのかも、Aは知らない。
別に知らせたいとも思わないし、恩着せがましく言うつもりもない。
人付き合いをする上で、わたしは相手を尊重することを心掛けたいとは思っている。
そもそも、自己肯定感が別にそこまでめちゃくちゃ高くもないので、この人はすごい、とだいたいの相手に感じるため、それ自体は別に難しくない。
でも、どうしても慣れてくると、親しくなればなるほど、態度が雑になってしまうきらいがあるので、それは気をつけたい。
相手を雑に扱っていい奴だと思っているわけではないのだけど、親しき仲にも礼儀ありというやつを忘れたくない。
音信不通になったと言っても、ラインをブロックしたわけではないので、未だにTLにAの投稿が上がってくることがある。
元気にしているようだけど、もう関わろうとは思わない。
わたしは、自己肯定感はそんなにバリ高でもないが、自分のご機嫌取りは最高にうまいのだ。