快楽と幸福の違い
ダニエル・ゴールマンという心理学者が書いた「EQ」という本がある。
search inside yourselfの本に参考文献として載っており、興味が湧いたので読んでみた。
EQとは、つまり心の知能指数である。
IQが頭の良さであることに対し、EQは対人関係スキルの上手さと言える。
このEQを研究し、社会的な成功や幸福度とEQとの相関関係を調査した結果が記されたのが本書「EQ」である。
とても興味深い研究結果が載っていたが、その中でも一際興味を引いた実験結果がある。
それは「幸福と快楽の違い」に関する実験だった。
身体というのは喜怒哀楽によって様々な反応をする。
例えば怒りを感じたら手に血が集まり、恐怖を感じたら足に血が集まるのだそうだ。
その中で一際目を引いたのが「快楽は副交感神経が優位になる」そして「幸福を感じても身体に変化はほとんどないが、幸福を感じている時に感情の変化があっても、すぐに幸福に戻りやすくなる」とあった。
かなり要約して書いたが、私はこの事実で一番衝撃を受けたのは「快楽と幸福って、違うの?」という事だ。
快楽とは、美味しいものを食べたり、楽しいことをしたり、笑ったり、つまり刺激的な何かによって感じる高揚感のようなものだ。
しかし対して幸福感とは、子供や動物を愛しく思ったり、安心を感じたり、人の幸せを願ったり、つまり内発的に起こる心の充足感のようなものだ。
私はこれまで「お金があって、たくさんの遊びがあって、贅沢な暮らしができることが幸せ」だと思っていた。
しかし私が考えていた幸せは「快楽」であって、幸福ではなかった。
てっきり私は「快楽を感じることが幸せ」だと錯覚していた。
この違いを明確にできたことはかなりの収穫だ。つまり快楽を追っても、幸福とは関係ないからだ。
快楽は副交感神経に作用するが、幸福は何も分泌しない。
しかし人は幸福を求めて生きているのではないのか?
今、快楽にまみれた人に「幸福を感じていますか?」と問いただしたら「幸福とは思っていない」という可能性がある、ということだ。
確かに、これは合点のいく事象がいくつかある。
例えばお金が沢山あり、社会的な成功をしている人が自殺するケースだ。
お金があれば快楽を買うことができるだろう。快楽が幸福に繋がるならば、お金持ちの人は自殺しないことになる。
しかし、快楽が日々充足していなくとも、幸福感で満たされている人は恐らく自殺はしないだろう。
自殺は不幸な感情が引き起こす最悪の結末だ。もし仮に貧乏であっても、幸福な人は自殺しないだろう。
いや、むしろ豊かな国の方が自殺者が多い実態から察するに、快楽と幸福の錯覚こそ、不幸の連鎖を生み出している可能性を感じる。
私達は資本主義による競争のせいで所得の大小を幸福度と勘違いしている。
だからより豊かになろうと努力しているが、実はこの努力で幸福が満たされることはないというのが真実なのではないだろうか?
だとしたら、より富を得ようとするよりも、まずは瞑想をしてうちなる幸福を基盤にする方が先なのではないだろうか?
幸福を欠く快楽は、回し車の中で走るネズミのようなもので、頑張りと幸福に比例関係があると錯覚しているだけだと私は思う。
本当に幸せになりたいならば、まずは瞑想、そこから始めるべきなのではないでしょうか??