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ADHDではないと、もう言えなくなった私の物語

私は先日、医師にADHDと診断された。

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妻から何度もADHDだと言われ、私は大変遺憾に思っていた。

なぜならばADHDとは言い換えれば「おっちょこちょいの、うっかりはちべぇ」と同義である。

うっかりはちべぇの比喩はつまり「馬鹿」とか、「ドジっ子」とか、「あいつ、またお騒がせしてるよ」というキャラの事である。

私のセルフイメージはワンピースで言うならばルフィとか、シャンクスとか、そういう主人公?的な?キャラだった。

なのでADHDを受け入れてしまうと、「もうルフィにはなれないではないか!」という抵抗があった。

自分のセルフイメージは自分で自由に決めて良いではないか。私にはその自由がある。

だから仮に周りのみんなからは、「はちべぇ」に見えても、私自身が私のことをルフィと思っていればいい。
信条の自由はこの国には保障された権利である。

しかし、世間のイメージと自己イメージの乖離は確実に私の平穏を侵食していった。

まるでそれは漫画の大好きなページが書き変わっていくような気持ちで、あんなにかっこよかったシーンがおっちょこちょいな行動で台無しになっていくようであった。

つまり、自分はルフィではなく、はちべぇだったと認めないと、自分の存在に辻褄が合わなくなり、違和感が拭えない程になった。

お前はワンピースのキャラじゃなくて、水戸黄門のキャラだと、そう認めなければ平穏などは程遠い生活になってしまうと、そう思い知らされる日々が待っていた。

ここに記していく記事は
「ADHDだと認められない私が、ADHDを受け入れ、仲良く歩んでいける物語」
だと信じている。

なぜ信じているのかといえば、まだなってないからである。今現在、実践中だからである。

私は妻の献身的な説得により、ADHD診断をIQテスト込みで医師に診て頂くこととなった。

そして先日、しっかり、そしてはっきりと
「はい、ADHDです」と言い渡された。

私は本当は「いや、実はちゃんと調べてもらったら勘違いとかあるんじゃね」と心のどこかで期待していた。
そしてその期待はちゃんとぶっ壊れた。

私の中のルフィは消えた。みんなを守り、導くヒーローの私は、渡された診断結果に1文字も垣間見えなかった。

しかも医師いわく、
「普通は逆なんです。」
「普通はみんなADHDの自覚があり、周りには理解してもらえずに医師を頼るんです。」
「でも、あなたは自分がADHDではないと思っていたけど、やっぱりADHDだったんです。」

、、、そんなこと言われたら、まるで私は超勘違い野郎で、ただの恥ずかしい考えを持つ心が子供の大人です、って言われてるようなものじゃないですか!

そもそもADHDってだけで変わり者なのに、ADHD界の中でも殊更に変わり者になっちゃったら、私は人間界でどれだけ異端児扱いされてしまうんですか!ADHDの方々からも迫害されるじゃないですか!

そのような思いを当然、医師にぶつける程の常識知らずではないし、妻も同席しているので、
「あ、はい、そうですね」と何にも感じてない顔で聞き流すふりを上手にしていた。

そう、医師の言うとおりである。
実は検査を受け、ADHDと診断されたのはこれで2度目なのだ。

一回目は娘も一緒に受けた。結果は娘もADHDだった。

私は昨今になり大切だと言われ始めた自己肯定感の大切さを履き違えている。
むしろ逆に誤った方向に自己肯定感を尖らせてしまった結果、己の腹にトンガリが刺さってイタいタイプの人間に育ったのだ。

きっと全部親の育て方のせいだ。大体こういう性分の問題は育て方に問題があるものだ。よって私の責任ではない。

そもそもADHDに生まれちゃったこと自体、私のせいではない。現実よりも大きく自分を見積もる考えの偏りだって、親の偏愛の賜物ではないか。

そう、私は悪くない、そう言ってこの現状を被害者意識で高見の見物と行こうか、と言いたいところだが、残念ながら私はこの体の宿主であり、ADHDの当事者なので、逃げようもない。無論、放棄のしようもない。

誰かのせいにしたい
誰かになんとかしてもらいたい
誰にも責められたくない

こんなこと書いて、もう凄い嫌な人間だなぁ、ホント誰だよこんな記事書いてるやつ。

、、、これが私だ。

そんな私がこのADHDでも生きやすくなる方法を見つけた。それが「瞑想」だ。巷ではマインドフルネスとも言われており、脳を休ませたり、今起きている事に集中するだけというとてもお手軽な方法だ。

私のADHDな凄さを書くのも一興ではあるが、そんな私が瞑想によってADHD体質をどう乗りこなせるようになるのか、という日々を書いてみようと思う。

しかしご存知の通り、ADHDの頭の中は多動性なので、閃きのままに筆を動かすととにかく散らかる。

そんな散らかりすら、あけすけもなくさらけ出せたらさぞ気持ちがいいだろう、そういう想いである。

#瞑想
#ADHD
#マインドフルネス
#発達障害

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