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社会が王様で私が家来

瞑想をした後は少しだけ世界が静かに見える。むしろ瞑想中の世界はとても騒がしい。

この瞑想界の騒がしさを抜けた後だから、現実世界は静かに感じるのかも知れない。

瞑想中は頭の中が忙しい。意識を呼吸に集中しないといけないし、呼吸に集中すると言っても、鼻なのか、お腹なのか、喉なのか、呼吸を感じる体の部分は色々ある。

私はいつもお腹がちょうど良いと思っている。お腹は自分の緊張度合いを表すからだ。

私のお腹は緊張していると力が入っており、呼吸が浅くなったり、強引な呼吸になったりする。

このお腹の力み具合は私のストレスチェッカーのような役割があるので、「あー、今こんなに緊張してたんだ私、なんでだろう」という具合に、体が私の感じ方をお知らせしてくれる。

そんなお腹に意識を合わせていると、自分の感じ方を客観的にモニターで確認している気分になる。

特に緊張状態の自分に気付くのは驚く。人は自分の緊張を自覚しているわけではなく、極度に緊張が高まった時にだけ自覚症状が出るものなのだ。

この無自覚の緊張に、瞑想は気付かせてくれた。つい先日瞑想は対して何も気付くことはないとか書いちゃったけど、私の経験不足でした、瞑想ごめんなさい、決して過小評価しているわけじゃないんです、効果がすぐに出ないと分かんないんです。だってADHDだから。

しかし、ADHDだから瞑想が良いとか、とかく発達障害が努力すべき課題ってどうして増えていくのだろうか。

定型発達(普通の人のこと)は瞑想しなくても毎日健やかに生きていられる。対して発達障害の人はこの世界で平穏に生きていくために努力を要する。

もしADHDの性質のまま社会に出ると、期待に添えない事象が度々起こり、生きにくさに繋がってしまう。

そうならないために瞑想したり、ジャーナリングしたりしなければならないのは、社会の不公平と言っても良いのではないだろうか。

障害を持つ側が自分の人生の時間を使い、社会に適合するように改造しなければならないのは、まるで社会が王様で私が家来、という関係性に感じてしまう。

それは私の考え過ぎなのか、それとも社会が障がい者に対し、健常者思想を押し付けているのだろうか、これは永久に議論の尽きない分野なのだろう。

ともかく、瞑想をすると頭が忙しく、現実は静かだと感じられた。そして私はお腹に緊張センサーがあると気づいた。

今日の瞑想の収穫はこれくらいだ。

#瞑想
#ADHD
#マインドフルネス
#発達障害

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