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『闇という名の娘』 ラグナル・ヨナソン
アイスランドのミステリー小説。
豊かな自然に囲まれた首都レイキャビクを舞台にした、冷酷で無慈悲な物語。爽快とは決して言えない重い読後感。だが間違いなく面白く読み応えのある作品だ。
主人公のフルダは64歳の警部。
男性社会の警察組織の中で奮闘してきて、あと数ヶ月で定年退職という時に、後任の若い男に仕事も部屋も全て譲るようにと上司から命令される。
廊下に出るとうわさ話が聞こえてきそうだった。フルダがクビになったらしいぞ。もう歳だからな。若返り人事のために厄介払いされたらしい。すでに全員の知るところとなり、好き勝手言っているに違いなかった。
担当していた事件からも外され、仕方なく未解決事件を一人で捜査し直すことにするフルダ。彼女が選んだのは、小さな入江の岩場でロシア難民の女性の遺体が発見された事件だ。世間にも全く注目されず、自殺ということで捜査打ち切りになっている。
手始めにフルダは、エレーナが身を置いていた難民収容施設を訪れる。
エレーナの身になって考えてみよう。人生の最後の数カ月をここで過ごしたのだ。知らない国にやって来て、言葉が通じる者がいない収容施設に身を寄せ、ただ成り行きに身をまかせて生きていた。こんな狭い部屋に閉じ込められて。ちょうどフルダがいまの家でときどき囚人のように感じるのと同じだ。ひとりぼっちで、家族はおろか、気にかけてくれる者はひとりもいない。一番つらいのはそこだ──気にかけてくれる者はひとりもいない。
異国の地で死んで忘れられた女性に自分を重ねる思いもあり、エレーナに深く心を寄せていくフルダ。
関係者に聞き込みをするが、エレーナの難民申請を担当していた弁護士は、彼女の死は自殺としか考えていないようだ。しかし通訳をしていた男は、彼女は実は売春に関係していたようだと打ち明ける。
警察署の刑事たちは、フルダが掘り返した事件の捜査に非協力的で、嗅ぎ回るのをやめさせようとする。
どうにか食い下がって捜査を進める許可を得たものの、援助の得られない孤独な捜査(しかも上司から許された捜査期間はたったの3日)。フルダを動かすのは、女性が蔑ろにされる社会への抵抗と、このままおとなしく引き下がれないという意地だ。
怪しげな人物や情報が次々と出てくるテンポの良い捜査の進行はそれだけで読み手を夢中にさせるが、そこに挿入されるフルダの複雑な過去や現在進行しつつある「友情以上愛情未満」の関係といった、彼女の内面に関わるエピソードが作品の魅力と余韻を深めている。
フルダは、2歳まで乳児院(孤児院のような場所)で育てられ、その後は未婚の母と祖父母の元で育ったという生い立ちを持つ。母は心から彼女に愛情を注いでくれたのだが、それでも心のどこかに淋しい記憶が拭えず残り、貧しい環境で育ったことも彼女の過去に暗い影を落としている。
結婚した夫はハンサムで財力があり、海辺の豪華な家で愛する夫と娘と暮らした過去をしばしばフルダは回想するが、その幸せな過去と現在は大きな不幸によって断絶されていることが匂わされる。
警察という男社会で自分は不当な扱いを受けてきた、と彼女は強く思っているが、人との間に壁を作ってしまいがちな性格や、強靭すぎる彼女の信念が、知人との関係や明かされていく過去に現れ、そしてまた今ここで彼女を奈落の際に追い詰める。
フルダは決して「気にかけてくれるものは一人もいない」わけではなかったのだ。彼女が心を閉ざしていただけで、本当は「気にかけてくれるもの」は周りにいたのだ。
それに気づかなかった、気づくために心を開いて生きることができなかったフルダの運命が切ない。
そして明らかになるエレーナの死の真相、フルダの秘められた犯罪、さらに衝撃のラスト。終盤は驚愕の連続だ。
結末はまさに「唖然」であり、そして苦しいくらい救いがない。しかし重い読後感を味わいながらも読者はこのフルダという主人公に惹きつけられ、もっと彼女を知りたくなるのではないだろうか。
素晴らしいことに本作品は3部作のシリーズもの。時系列でいうとシリーズ1作目の本作から、2作目、3作目と過去に遡るらしい。
すでに全て翻訳も揃っているので、さっそく続編も読んでみたいと思う。