『ロシア語だけの青春』 黒田龍之助
代々木駅東口。駅を出て道を渡った先には、雑居ビルが立ち並ぶ。その店舗と店舗の間に、狭くて古い階段が。
道案内で始まるプロローグを読みながら、自然とその歩幅に呼吸が合っていく。
狭い階段を上って行き着くのは、小さな語学専門学校。著者が高校時代から通い、後に講師も務めていたミール・ロシア語研究所だ。
本書はこのロシア語学校の物語、そして著者の「ロシア語のことしか考えていなかった青春の日々」が、瑞々しくそして熱く語られた、魅力たっぷりの一冊である。
書き出しの自然な歩行の速度そのままに、なだらかなテンポで文章が続き、とても心地良い読み心地だ。
勉強にも部活にも興味のない高校生(ご本人いわく)だった著者が唯一熱心に取り組んでいたのが、ロシア語学習。ミール・ロシア語研究所と出会ったことで著者はより一層ロシア語にのめり込み、ロシア語を上達させたいという一心だけで大学進学やその後の人生の進路を決めていく。
本書では、ロシア語への情熱に染まった著者の人生の、その青春期が切り取られ、ミール・ロシア語研究所という伝説的な語学学校と、そこで出会った人々との思い出と共に述懐される。
ミールの教師の指導の元、まさに「ロシア語漬け」の日々を送った黒田青年。
使用していた会話集(ラズガボールニク)は、通訳として働き始めた頃も常に握りしめているお守りのようなものになったという。
ロシア語特有の「ジュ」という発音がうまく出来ず、夜の帰路、自転車をこぎながら、授業中に教えられたポイントを思い出しつつ夢中になり、「ジュ、ジュ、ジュ、、、」と知らず声に出していて前を歩くサラリーマンを怯えさせたという話など、笑えるが大いに同感できる。
私も学生時代にスペイン語のrrの発音で同じことをした事がある。ドトールの座席で。
ある程度力を入れて語学を学んだ経験のある人ならば、学習者の熱と喜びは実感として分かるかもしれない。
しかし著者の熱意は、そんじょそこらのものではないのだ。読めばわかるが、それはまさにロシア語だけの青春、寝ても覚めてもロシア語の年月である。
スポーツや音楽、どんな分野でもそうだが、情熱の火を燃やし続ける者だけが到達できる境地がそこにあるのであろうことを、常人である私などは憧れとともに想像するのだ。
通訳や講師の経験を積んで大学教授となり、今ではスラブ系語学の第一人者となった著者が語る外国語習得法も、本書の読みどころだ。なるほどと思った重要ポイントをいくつか、ここにもメモしておこう。
確かに、怒鳴って不自然に響かない外国語は、本物という感じがする。
・数詞がきちんと使いこなせるかどうかは、学習者のレベルを判断するときに有効
・発音に手を抜かない
・暗唱は欠かせない(暗唱してこなかった学習者の外国語は、底が浅い)
・怒鳴ったことのない外国語は本物ではない
外国語学習者には特におすすめしたい一冊だが、今まさに青春真っ只中の高校生や大学生にも、ぜひ読んでほしい良書である。