『最近』 小山田浩子
何も起こらない小説である。
何か起きそうな気配が漂うことはあるのだが、結果として最後まで特に大きなことは起こらない。けれどもけっこう笑えてわりと怖くてなんだか胸に沁みる。
登場するのは30代40代の、どこにでもいそうな姉弟と姉の夫、そしてその周辺の人々。急に心臓に違和感を感じて救急車を呼ぶが結果として何も問題なかったり、コロナワクチンの副作用で熱を出して遠方の母に心配されたり、好きだったカレー屋が閉店するとネットで知って食べ納めに行ったりする。
そしてそんなエピソードが、五感を開き切って感受するように書かれていく、驚くべきはその描写の濃密さだ。
そこに濃密に詰まっているのは、誰もが似たような経験を、いつどこでと特定できるものではなく持っている、誰もが共通して「わかる」感覚である。
夜間の救急病院、食べ納めのカレー屋、紹介された異性と初対面する中華屋、大往生した親戚のおばあさんの四十九日、、、一つ一つのエピソードは確かに物語に違いないが、ごく普通の、ありきたりの物語である。
ごく普通の人々のごく普通の物語をこれほどふくよかで手触りがあって心に沁み付くものにする語りに、なんという技なのだろうと溜息が出る。
特に印象に残るのは、食事のシーンにおける描写である。
食事というのはそれこそ、誰もが頻繁に行なっている、全ての人に共通する日常の行為である。特にこの作中で描かれる食事にまつわる些事は、現代日本一般人の我々の誰もがきっと容易に想像できる、共感の均一性の高いものだろう。
そんな誰かがどこかで体験したような「ごくごくありふれた」エピソードの連なりの中に、ひょっと出てくる奇妙な展開、例えば、友人と会うと言って出かけた妻が思わぬ活動に参加していたことを偶然知ってしまう、などがうっすらと不気味な手触りを残す。
全く理由の分からない嘘や憎悪、身体から出てきた得体の知れないものといった、ちょっとゾッとする要素が差し込まれて気味の悪さを漂わせるのも、著者ならではの技である。
そして所々に、他のエピソードに登場した誰かと同一人物ではないかと思わせる人物が登場して、「あれ、この人はもしかしてあの人?」と混乱させるのが面白い(ついでに言うと人物だけでなく小道具的なものもたまにそんなドッペルゲンガー的登場をする)。ちょっとした身体の特徴などが共通する彼ら彼女らは、同一人物のようでいて同一人物ではなく、つまりこの世界を埋め尽くすありふれた物語を彩る人々は、誰ということはなく誰でもありうるのかもしれない、などとふと考える。
語られるのはごく最近の日本、ウィズコロナからアフターコロナへと進みかけている世の中だが、すでに「少し前」という感じを受けることに気づいた。コロナ小説の粗熱が取れつつある今、ということだろうか。
疑心暗鬼や閉塞感が世の中全体を包んだあの時を経た今だからこそ、この小説に詰まっている物語、ここにあそこにいるかもしれない、あの人かもこの人かもしれない人々の物語が私達に伝える、ありきたりの世の中の愛おしさを感じ取りたい。
ということで大変面白く読んだが、やはり私が一番好きな小山田浩子作品は『工場』、次いで『穴』と『庭』だ。
小山田浩子を初めて読むという方にはまずは『工場』をおすすめしたい。