「見ざる聞かざる言わざる」を励行できてるか
僕はADHD、ASDの両方をもつ発達障害であるが、
現在の治療(投薬)を受ける前は、HSP的な傾向が特に顕著で
超がつくほどの過敏症だった。
いろんな出来事で、心が動き、動揺し、乱れる。
特にFacebookの存在は、僕にとっては鬼門だったし、
今みたいに「SNS疲れ」という言葉が出てくる前(たぶん2015年頃)には
Facebookはやめたし、同じ経営母体であるInstagramも、
全くやったことはない(アカウントは一応ある)
Twitterはめったに見ないし、このnoteは、リア友がほどんど
いないから、フォロワーさんの投稿を見て、心が乱されることは
ほぼない。
もちろんSNSだけが悪者なのではなく、リアルな付き合いの場
(仕事や交友関係)の中にも、心乱される場面は多々あり、
人間関係を整理してきた面もある(上から目線の言い方で申し訳ないが)
で、上記した発達障害の投薬治療も相まって、以前の症状が10
だとすれば、今は、3〜4くらいのレベルまで下がってきた。
しかし、生きている以上は、なんやかんやあるのが当然で、
ここ最近も、「あぁ知りたくなかった」という内容が
いくつか耳に入ってきた。
それを耳にした時に芽生えるのは嫉妬心だ。
悪感情は数多くあれど、嫉妬心というのは特に
独特の感情であり、僕はもっとも忌み嫌っている。
SNSをやめ、人間関係を改めたのは、つまり
「見ざる聞かざる言わざる」を励行するためだ。
で、よくよく考えてみると、僕はこれまでに
「見ざる聞かざる」ばかりに傾注し、「言わざる」が
全く出来てなかったことに気がついた。
他人から聞いて、「そんなこと知りたくなかった」という
同様の内容を、僕は、他人にしていたのだ。
例えば、「○○くんとこの前、食事してさぁ」とか
「○○を○万円で買ったんだけど」とか。
自分が傷つきたくないなら、相手のこともそれ以上に
考えなければならなかったのだ。
「傷つく」「嫉妬する」内容は個人差が大きいと思うのだが、
多分、自分の感情に無頓着だったり、自分が傷ついてるその事自体に
気がついてない人も多くいるのだと思う。
「内省する」という習慣のない人は、自分が傷ついていても
それに気づかない場合が多い。
でも、針がチクッと刺すくらいの痛みは感じているはずであり、
そういう「小さな傷」は、気づかないうちに、自分の中で
どんどん蓄積され、ある閾値を超えた段階で暴発してしまうのだ。
僕らみたいに、いちいち「傷」に気がつくのもしんどいが、
気が付かない人の方が、本当はヤバいのだと思う。
今の気温は35度。
今日は当地は38度の予想だ。
午前の仕事も終えたことだし、これから庭で、多分今年最後の
日光浴を楽しもうと思う。
皆さんもよい午後をお過ごしください。
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