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消えたいと思う人に、今私が思うこと
今日は「人と比較し続けした人生から解放された今日までのこと」を休んで、この話を書きたいと思う。
"「死にたいと願うこと」や「自殺」は、果たして悪か?"
結論、私はそうは思わない
「せっかくもらった大事な命を、無駄にするなんて」
そんな一言で済ませられるほど、人も人生も簡単ではない。
そもそも、他人が「無駄」かどうかの価値をつけていいものでもない。
消えたいと願う、だれか私を今すぐ消してくれと願ってしまう。
そんな夜は確かに存在する。
それはあなたが悪いわけではない。
あなたを不用意に傷つけてきた様々な事柄や言葉が悪いのだ。
人生の責任は自分しか取ってくれないけれど、身に降りかかる全てのことを自分で背負う必要はない。
人から見て、
「そんなことで?」と言われるようなことで傷つき涙が溢れることがある。
それは、すでにコップは表面張力ギリギリのところまで水が入っていて、たまたま「そんなこと」が最後の一滴だっただけだ。
体格のように、コップの大きさも人それぞれだ。
あなたが弱いわけでも、悪いわけでもない。
自分でも気が付かないうちにたくさんの涙を心に溜めてきただけだ。
そして、その水をうまく排出できる場所がなかっただけだ。
その水が人の土地に流れて、迷惑をかけないか心配できる人だっただけだ。
残された人も、全てあなたのせいだと思わなくていい。すでにコップはいっぱいだったのだから。
隣にいるその人は、決して同じ道を歩んでいない。
本当は死の淵ギリギリを歩いている可能性がある。
その淵にいることを、その人も気がついていないかもしれない。
見落としてしまうほどの小さな小石に、気が付かないような小風に、バランスを崩してその淵から落ちてしまうことがある。
その人はバランス感覚を整えるための努力を怠ってきたわけではない。
人よりも小さな小石や小風を感じとることができる人だっただけだ。
その人を責めることなんて、出来ない。
昔の人は、もっと強かったとか
今の人は、弱いとか。
恵まれているから、些細なことでダメになるとか。
そんな言葉も無視で良い。
戦時中からも高度成長期からも、
昭和からも平成からも
暮らしも食べ物も倫理観も、環境全てが変わった。
なのに何故そこだけを取って、同じ物差しで測るのか。
その物差しに意味はあるのか。
私はないと思う。
素晴らしい先人たちに学ぶことはあるだろう。でも、比較すべきではない。
生き抜くことだけが強いわけでもない。
人と戦えないことよりも、人を傷つけないことの方が強さである場合もある。
だから、あなたは自分を責めなくていい。
戦えなくても、離脱しても。
私はこの日記を、いつかの私に送りたいと思う。