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メルティングポット シンガポール 「で、その子、何人なの?」と聞かなくなったわけ。

先日、一緒に働いている20代の若者に、

「こないだ生徒さんと話していてジェネレーションギャップを感じたんです。」と切り出されました。

20代の彼女に常に私が感じているジェネレーションギャップを、その彼女が感じるぐらいだから私にはもう麻痺ゾーンだな…と思いつつ、その内容を聞いみると、

インターナショナルスクールに通っている生徒さんが友達の話をしていて、講師である彼女が、

「へ〜、その友達は何人なの?」と聞いたら、

「う〜ん、何人だろう…?どこから来たのかいちいち聞かないから分からない。」

と返された事について『どこから来たのか、何人なのか?』を友達に聞かないことに静かな衝撃を受けたらしい。

(うん?これはジェネレーションギャップか……?)

と思いながらも、

言われてみれば、確かにうちでもいちいち子供に友達の国籍を聞くことがなくなったな、と思い返しました。

いつからでしょう、この「どこから来たの?Whre you come from?」に違和感を感じるようになったのは。

この「どこから来たの?Where you come from?」を直訳すると、

■国籍はどちら?
■どこから来たの?
■肌の色は何色?
■何語を話すの?

と、こういうことを指していて、無意識のうちにその相手を自分の知ってる知識の範囲内でカテゴライズしていると思うんですね。

しかしながら、多種多様に血が混じり合っている子供達が多いシンガポールではそのカテゴライズはかなり難しい。だから私もしなくなったんだと思います。

うちの家庭に当てはめてみても、

主人:アメリカ人、アメリカ国籍、アメリカ産まれ、白人、英語話者、日本語できます。

私:日本人、日本国籍、日本産まれ、アジア人、黄色人種、日本語話者、英語もできます。

と、ここまでは容易に想像ができるでしょう。

しかし子供達は、

日本人/アメリカ人、日本国籍、アメリカ国籍。
シンガポール産まれ
英語話者、日本語話者。
肌の色はアジア人の中に混ざれば白い方だが、白人種に混じれば白くはない。
そして、日本もアメリカも『戻る』ところではなく『行く』ところで、ここシンガポールが『戻る』ところだけれど、シンガポーリアンではありません。

さらに、友達家族の中には強者もいて、

母:コロンビア人と日本人の両親を持つミックス、アメリカ国籍、ニューヨーク育ち。
ご主人:イタリア人、ニューヨーク在住歴長し。
子供達:クウォーターで下の子はシンガポール産まれ、日本語、英語、イタリア語に、中国語まで学んでいる。

もはや『どこから来たか』=『国籍』では繋がらない。

そして容姿の見た目では既に何人で何語を話すか。と察することすら出来なくなってきている。

こう改めて考えてみると、シンガポールは本当に人種のるつぼ【メルティングポット】だ。

見た目だけでは、いったいどこの国の人で、いったいどこから来て、どんな言葉を話すか検討がつかない。(なので分からないと思って日本語でヒソヒソ話するのも危険です。やめましょう。)

カテゴライズのできないイレギュラー揃い。

だからこそ「こうでなければならない、こうであるべき」という概念がないので足並みを揃える必要もなく、周りを気にせず『私は私、あなたはあなた。』と相手を受け入れ、伸び伸びと気楽に自分を出せるんだと思います。

いや本当にシンガポールは子育てには最高の環境だと思っているし、そう思える場所で我が子を育てられていることには感謝しかない。

そうそう、『どこから来たの?』と聞く代わりに、子供が新しい友達を連れてくる度に聞くようになったフレーズがあります。

それは、

「アレルギーはある?Do you have any food allergies?」
「食べられないものはある?Do you have anything you can't eat ?」

これもメルティングポットならではの質問ですね。


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