伝えたいことを思った通りに相手に理解してもらうのってなかなか難しい。
毎日当たり前のように家族や友達と会話をしてコミュニケーションをとっている私達ですが、この普段の何気ない会話も、お互いの見えない努力があって始めて成り立っているんだな〜と、こないだ読んだ本『話し方の心理学』を読み切ってから考えるようになりました。
話をする側(発する側)は聞く側(受け取る側)の、語彙や体験、環境や背景などを無意識ながらもある程度想像しながら話します。
例えば私の実家の方では「だるまさんが転んだ」を「にーしーろっぱっと」と呼称して遊んでいますが、兄と昔話をするまで、これがうちの地方の独特の呼び方などと全く気づきもしませんでした。
なので、兄や姉と「にーしーろっぱっと」の話をするのと、東京で知り合った友達と話をするのとでは、話の流れや説明、使う語彙も変わってきます。
自分の常識は世間の常識ではないってことに改めて気づいたわけですが、恐らくこういう『ご当地呼称』は探せばたくさん出てくると思うんですね。
呼び方は違うけれど、話をしていくうちに同じ『物事』を指していたということもあるように、私が「りんご」と思っている物体を相手が「りんご」と認識していて始めてお互いの会話の対象物が「りんご」になるわけで、
これが、私が「りんご」と呼んでいる物体を、相手が「だんご」だと思っていたら、
という具合に、だんだんとズレが生じていずれ会話の中で迷子になってしまう…
待ち合わせをする時もそう、例えば「西口のスタバの前に10時ね!」と言って、西口にスタバが2つあったら、きっと落ち会えない率50%。
これは、私が認識しているものが相手も同じように認識していると思い込んでしまうから出てきてしまう状況で、発する側と受け取る側の言葉の曖昧さ、ある意味同じ言語を話しているから大丈夫だろうという『あぐらをかいた』余裕からくるようにも思えます。
(まぁ、こんなことが起こるのは日常茶飯事ではございますが。)
まだこのくらいなら携帯電話で連絡をとってすぐに「ごめん、ごめん、あっちのスタバで待ってたよ〜。」で許されそうですが、以下のような大事な場面で同じような事をやらかしたら、時には取り返しのつかない状況に追い込まれてしまうこともあるでしょう。
海外へ渡航する際の集合時間と出発時間の勘違い。
時差を含めた会議の時間設定。(私はこれをやらかしました…)
上司からの通達の指示語の指示している言葉を確認しなかった。
などなど。
これがお互い母国語が違かったり、相手の言語に合わせて話をしていたら、もっと慎重になるし、まず、そうならざるを得ないでしょう。
というのも、国際結婚をしている私は主人との間に何度も起こる凡ミスの実体験で、回を重ねるごとにだいぶ育ってきました。 笑。
実際、私は大事なことは、
と、いちいち自分の言葉で確認するようにしています。この『いちいち』ってのが鬱陶しいかと感じるかもしれませんが、それでも不毛な時間や険悪なムードを回避できるには間違いないのでお勧めです。
それでも、気を抜いたら「言ったよね!」「聞いてないよ!」となったりはするんですけどね…
まぁ、最終的にはどれだけ相手とコミュニケーションが取れているかなんでしょう。
伝えたいことを自分が想像しているように正しく相手に伝えることって、ほぼ奇跡のようなもので、80%伝わっていたら成功、60%伝わっていたら有難うってものなんじゃないかと思います。
この記事を読んだ皆さんが、なるほど!相手に何かを伝えるって当たり前のようで実は努力の賜物なんだな、と感じて頂けることで、若干のズレに余裕が出て多少のことには目をつぶれるな、と、そう思って頂けるようになったら嬉しいです。
《余談です》
時々、同じ日本語を話しているにも関わらず、全く話が通じないって経験ありませんか。
私がここシンガポールで産科に通っていた時のクリニックの日本人女性スタッフなんですが、1対1で顔を見ながら話しているのに、ほとんど話が噛み合わず、イライラというか段取りが分からず心配になって、以来、日本人と分かった途端に「日本人スタッフに代わりますね。」とローカルスタッフに言われるのを「代わらないで良いです!このまま英語で話して下さい!」と何度もお願いしたことを思い出しました。
これはこれでまた、コミュニケーション不足とかではない何かが起因しているに違いない。