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持たない暮らしとモノ作りのしごと
大正生まれの「捨てられない人」の遺品整理をしたことがある。
一戸建ての平家に一人暮らしで、部屋数は4〜5部屋ほど。
ゴミ屋敷ではないけれど一人暮らしとは思えない程のモノを持っていた。
たくさんの本、メモ帳、ノート、はがきや手紙、お客さん用の布団、未使用のタオル、若い頃に着ていたであろう洋服、帽子に和服。タンスは各部屋に1〜2個。
お菓子の空缶の数々、大量のレジ袋、割り箸、未使用の指定ゴミ袋。倉庫には年代物がたくさん。長い間一人暮らしだったのにありとあらゆる生活用品が3〜4人分はあった。
いつ、どんな理由でその住人が家から出ていったのかは知らないけれど、ついさっきまでその家で生活していた、という生活感は漂っていた。(実際には何年も前に家から離れている。)
住人が何十年ものあいだ「大事に保管していた」モノを赤の他人である自分は躊躇なくゴミ袋につめてトラックに載せていった。使えそうなものは選り分けたが9割は捨てるものだった。
当然、そのモノ達を保管していたタンスや戸棚などの「箱もの」もつぶしてトラックに積む。
そしてそれらを燃やせる場所に運んで一気に燃やした。
何メートルも燃え上がる炎と煙と色んなものが焼けている変なにおい。
せっせと集めて運んできた「何十年分」が目の前であっけなく消えていく。
さっきまで部屋に置いてあったタンスを一つあたりものの1〜2分でつぶしたと思ったら数時間後には灰になっている。
持ちすぎるムダと破壊して消えていく虚しさを噛みしめすぎてお腹の底のほうは重苦しかった。一緒に作業していた仲間が「残った誰かしらがこの作業をするんだよね。」と言った言葉も忘れられない。
モノづくりを仕事にしている自分にとっては何とも複雑な心境だった。
もっと虚無感がぐさぐさ突き刺さってきたのは東日本大震災のときだった。
でもじっくり振り返れば、じぶんは震災の体験があったからこそいったん離れたモノづくりの道へ戻ってきたようなものだ。
東日本大震災も遺品整理も「虚無」という言葉が一番最初にあらわれた言葉だった。
そして、モノを持ちたくないのにモノ作りを仕事としている。
ムダとか虚無とかは、自分にとって切っても切れないモノづくりのテーマなのかもしれない。
使い捨てではない、長く持っていたくなる、愛着まみれのモノ作りをする人を目指したい。