読み書きなんて練習しなくていい?
大型連休は,前半戦は神経系からトラウマ修復をする精神医療の4日間授業(1日6時間×4日で24時間)を受けるために子どもの1人と一緒に実家に帰省していました。
他のきょうだいはピアノの発表会があるので夫に託して,家族が2つに分散しての前半。
どうでもいいですが,ゴールデンウイークGWとはNHKでは言わないのね。
そして4日間講座が終わったら,子どもは実家に残しその足で新幹線に乗って中日を家で過ごし,後半戦は他のきょうだいを連れてまた実家で合流。
前半と後半で4回も新幹線乗車ですわ……。
流行病の大流行で更に体感したのですが,わたしは学校は《自己都合》で休んでもいい考えです。
動きたい盛りの神経系の子どもを椅子と机に長時間座らせて集団授業を受けるよりも体験型の授業であって欲しいし,ひとりひとりの学びのスタイルは違う。
特にうちの子の場合は,ADHD脳なので,動きながら学ぶタイプ。
学びは一様ではない教育にもう変わるべきだと,不登校支援をする教育臨床の現場にいた頃から思っていました。
集団マスゲームみたいな昭和感の教育は,令和時代にはもう無理ですわね~。
でもね,残すべき教育と捨てていい変えていい教育があるとしたら(あるけどね),それは変えてはいけません。
その1つが「読み書きそろばん」の基礎教育です。
これは知識の下積だから,習得に時間がかかって,めんどくさいし,ITがあるから任せたらいいと思うかもしれない。
でもね,違うねん。(出たニセ関西弁)
こないだもアメブロを見てたら,あるママが「小1の子どもに文字練習の宿題をさせるな。手で書くなんてわたしの仕事では全くない。手書きの意味がなんてない」みたいなことをお書きになってて……。
おいおい,おーい!
ちょっと待ったぁ~。
あんたなぁ,教員が無駄を好き好んで指導してるんちゃうで。教育のプロが指導要領に沿ってやっているんや。
文字を書くというのは,手と目を協応させた行動な神経回路だから,何回も何回も体に染みつかせていくもので,使わなかったら神経回路は無駄と判断するから刈込みといって捨てられる。
「話す」には訓練がいらないように(定型発達の子どもの場合),「読む」力が遺伝子にはないように,「書く」だって訓練がいる,後天的なスキルなんですよ。
小学生の内は,体をしっかり使って神経回路を高度に発達させていくことで,さらに学びの質が変わるんだけどなぁ。
人の発達の機序を知らないって恐いんだけど~。
平仮名,カタカナ,漢字交じりの表意文字の日本語を書く,読むスキルは,普通に日本人が考えるよりもかなり複雑な言語習得体系なんだけどな~。
(だから,我が家のADHD児たちには,書道を習わせているのはそこ)
と,久しぶりに激おこぷんぷん丸になってしまいました。
激おこぷんぷんと言えば,「発達デコボコ」をカミングアウトしたYouTubeがパタッと伸びが止まりました……。
単に面白さがない,興味がない,動画の質の問題など,多々理由は考えられるとはいえ,発達凸凹(神経発達症/発達障害)の世界を知ってもらって,理解を深めお互いのバイアス(先入観)がなくなったらいいなの思いがあるので,かなりショック。
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「激おこぷんぷん」が死語なのか,定番なのか,もはや高年齢出産ママにはわからないので,センスなさ過ぎタイトルで失礼します……。